後編

 気づけばいつの間にかガックリと膝をつき、目からは悔し涙がポロポロと流れていた。


「チクショウ。どうして滋賀には水量を管理する権限がないんだ。滋賀が水没したっていいじゃないか。琵琶湖の面積が増えるんだから、むしろ喜ばしいことだろ」


 悔し紛れにこんなことを言うが、言ったところでどうにもならないのはわかっていた。

 水量の権限なんてどうやって奪還すればいいのかわからないし、いくら琵琶湖の面積が増えたって、生活できないのならさすがにそんなのは無理だ。


 琵琶湖の水を止める。滋賀県民最大の切り札は、こんなにも呆気なく消えてしまったんだ。


「うわぁぁぁぁぁっ!」


 泣き叫ぶ俺。だが、それまでその様子を黙って見ていた半魚人が、すぐ側へとしゃがみ込み、言う。


「君の悔しさはよくわかる。我々も、その事実を知った時は絶望したものだ。しかし、だからこそ聞いてほしい。本当に琵琶湖の水をとめられ、尚且つ滋賀が水没しても問題ない。そんな方法かあったら、どうする?」

「な……なに?」


 決まってる。そんな奇跡みたいな方法があったら、何がなんでも実行するしかないだろう。


 そんな俺の思いは、言葉にするまでもなく表情から察したのだろう。

 半魚人は、満足そうにニヤリと笑う。


「その方法こそが、我々のこの姿なのだよ。我々は、滋賀県内で秘密裏に進められていた、他の生物の遺伝子を人間に組み込むという研究の成果だ。琵琶湖固有亜種のニゴロブナの遺伝子を得た、ニゴロブナ人間だ!」

「な、なんだってーっ!」


 そんな仮○ライダーの怪人みたいなのを作る方法が現実にあったとは。滋賀県の技術すげぇ!


「そして、わざわざこんな姿になった目的は、さっきも言った通り、琵琶湖の水を止めるためだ。この姿になれば、腕力は人間の数十倍。しかも、水中でも呼吸ができる。我々はこの身体能力を活かし、秘密裏に瀬田川と琵琶湖疏水のそこに土を積んでいる最中だ。いずれ、積み上げた土はいずれ高い壁となる。するとどうなるか、君もわかるだろう」

「ああ。そうなったら、当然琵琶湖の水も止まる。国や京都がいくら水量調整の権限を持っていたって、こっちで物理的に蓋をしてしまえばどうすることもできなくなる」

「その通り。しかもこのニゴロブナ人間の体なら、滋賀県全てが水没しても生きていける。24時間365日、全て琵琶湖の中にいることも可能なのだよ」

「素晴らしい!」


 立ち上がり、拍手を送る俺。そこにはもう、さっきまでの絶望はどこにもない。

 本当に琵琶湖の水を止めることができる。一生琵琶湖の中で暮らすことができる。そんな滋賀県民にとって奇跡と言えることが、現実になろうとしているのだ。


 そんな、感動に打ちひしがれている俺に向かって、彼は言う。


「君にこの話をしたのは他でもない。我々の仲間になってほしいからだ」

「仲間に? それはつまり、俺もあなた達のようにニゴロブナ人間になるということか?」

「ああ、そうだよ。琵琶湖の水を止めるという一大事業、仲間はいくらいても足りないくらいだ。だが、大規模に仲間を募集し、国や他県民にこの計画を知られるのはまずい。いずれは全滋賀県民にニゴロブナ人間になってもらうが、今はまだその時ではない。だからこそ、こうしてなんかいい感じに縁ができた相手にのみ、仲間にならないかと声をかけているのだ。どうする?」


 俺が、ニゴロブナ人間に。それはつまり、これまでの日常や人生を捨てることを意味している。

 こんな格好で街をあるいたら、あっという間に計画が漏れてしまうだろう。琵琶湖の水を止めるその日まで、もう日常には戻れない。


 少しだけ、ほんの少しだけ迷う。だが、それも一瞬だ。


「俺、あなた達の仲間になります。ニゴロブナ人間になって、琵琶湖の水を止めてみせます」

「おぉっ、なってくれるか!」

「もちろんです。それが、滋賀県のためになるのなら」

「ありがとう。そうと決まれば、早速改造手術に取り掛かろう。この部屋は、元々そのためのものなのだよ」


 さっきまで寝ていた台に再び寝かせられ、周りに置いてあった機械が起動する。


 今から俺は、ニゴロブナ人間になるんだ。


 正直なところ、失われる日常に、全く未練がないかと聞かれると、嘘になる。

 親や友人、数年間付き合っている彼女との繋がりも、断つことになってしまうだろう。

 けどそれも、永遠じゃない。


 この計画では、琵琶湖の水を止め、滋賀県全てが水没する頃には、みんなニゴロブナ人間になっている。

 それなら、その時になって、肥大化した琵琶湖の底でまた会えばいい。再会が琵琶湖の底なんて、究極にロマンチックじゃないか。


 そう思うと、大切な人達とのしばしの別れも、我慢できる。


「やるぞ。俺は、いや俺達は、琵琶湖の水を止めるんだ!」



 こうして俺は、人の身を捨て、ニゴロブナ人間になった。


 近年、滋賀県で起こっている失踪事件のいくつかには、このような真相が隠されているのかもしれない。


 琵琶湖の水が止められ、滋賀県全てが水没し、全滋賀県民がニゴロブナ人間になるのは、これから数年後の話である。

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【ご当地怪談】琵琶湖の水を止める半魚人 無月兄 @tukuyomimutuki

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