【ご当地怪談】琵琶湖の水を止める半魚人
無月兄
前編
それは、滋賀県民の俺が、免許をとって初めて一人で長距離ドライブに出かけた時のことだった。
車のナンバープレートは、もちろん滋賀ナンバー。『滋』に書かれている『幺』の部分が稲妻に似ていることから、イナズマナンバーとも呼ばれている、滋賀県民の誇りだ。
もっとも、関西の他のところのやつの中には、あろうことかゲジゲジに似ているからゲジゲジナンバー、略してゲジナンなんて言ってバカにする輩もいるらしい。
ふざけんな! 関西の水瓶と言われている琵琶湖のある滋賀県だぞ。お前ら誰のおかげで水が飲めると思ってる。あまりバカにするようなら、琵琶湖の水止めるぞ!
……なんてことを考えてしまったが、今はそれよりドライブを楽しもう。
今日のドライブコースは、琵琶湖の周りをグルっと一周するものだったが、さすがは日本一の大きさの湖、琵琶湖。一周するのにも時間がかかる。
途中休憩を挟み、ゴールが見えてきた頃には、日はとっくに落ち、辺りはすっかり暗くなっていた。
今俺が走っているのは、瀬田川付近。
滋賀県民以外のやつにもわかるように説明すると、琵琶湖から流れ出る川のひとつで、京都や大阪へと続いている。
暗くなっているのでハッキリとは見えないが、昼間な美しい景色が楽しめたことだろう。
この辺りはあまり人が通らないらしく、俺以外に走っている車は見当たらない。
おかげで、事故を起こす心配もなく、安心して走ることができる。そう思ったその時だ。
突然、車の前を人影が横切った。
「うわっ!」
慌ててブレーキを踏む俺。
幸いなことにぶつかりはしなかったが、免許取り立ての俺にとって、これはかなり肝が冷えた。
今でも、心臓がバクバクいっている。
それと同時に、腹が立った。
確かに俺も、周りに人がいないと思って油断していたかもしれない。けどだからといって、あんなにいきなり飛び出してくるなんて、危ないじゃないか。死にたいのか?
そう思い、横切った人影の方へと目を向ける。だが、その時俺は息を飲んだ。
「なぁっ!?」
さっき見た人影。いや、人影と言ったのは、間違いだったのかもしれない。
なぜなら、そこにいたのは、とても人と呼べるもとではなかった。
全身が鱗で覆われ、手足には鰭や水かきが備わっている。そしてその頭部は、どことなく魚に似ていた。
魚の種類で言えば、琵琶湖固有亜種の、ニゴロブナに近いだろうか。
「半魚人……?」
ゲームやファンタジー作品に出てくる、人間と魚の間のような種族。
まさか、そんなものが実在したというのだろうか?
とても信じられない。だがその信じられないものが、今俺の目の前にいる。
突然の出来事に困惑し、どうすればいいのかわからなくなる。
だが、そんな時も長くはつづかなかった。
突然、車のドアがダンダンと激しく叩かれる。
今度はなんだ!?
そう思って顔を向けると、そこにもまた半魚人がいたのだ。
「ミタナ──」
「ひいっ!」
悲鳴をあげるが、恐怖はそれだけでは終わらない。いつの間にか半魚人は、車の前や後ろにもいて、完全に取り囲まれている。
それらが、中に入ってこようと、一斉にドアノブに手をかけてきた。
「や……やめろ!」
慌ててドアをロックしようとするが、そうする間もなく、呆気なく開かれる。
こんなことなら、強引にでも車を走らせればよかった。
そんなことを思ったが、もう遅い。伸びてきた半魚人の手によって俺は口を塞がれ、呆気なく意識を失ってしまった。
「…………ここは、どこだ?」
次に目を覚ました時、俺は硬い台の上に寝かされていた。
周りをみると、薄い緑色をした部屋だった。台の周りには、なにやら大きな機械がいくつか置かれている。
その使用目的なんてのはもちろんわからないが、この部屋の雰囲気全体は、なんとなく、病院の手術室を連想させた。
いったい、どうして俺はこんなところにいるんだ。
半魚人に襲われて、それからの記憶が全くない。
とりあえず、外に出てみるか?
そう思ったその時、部屋の扉が開き、誰かが入ってきた。
「気がついたかね」
「──っ!」
入ってきたのは、さっき俺を襲った半魚人。本人かどうかはわからないが、同種のものであるのは間違い。
警戒心から思わずファイティングポーズをとるが、半魚人は気にすることなくゆっくりとこちらに近づいてくる。
「怖がる必要はないよ。といっても、いきなりこんな所に連れてこられたんだから無理もないか。だが、我々は君に危害を加えるつもりはない。我々のことが世間に知られてはまずいため、やむを得ずこうしただけなのだ。どうか信じてほしい」
そう言って、深々と頭を下げる半魚人。
意外と礼儀正しい。と言うか、普通に人間の言葉を喋れるんだな。
もちろんこれだけで完全に信用できるわけじゃないが、この態度に、俺の警戒心もいくらか薄れる。
「あんたは、いや、あんた達は何者なんだ。妖怪か何かか?」
琵琶湖に半魚人が住んでいるなんて話はあまり聞かないが、何しろ日本一大きな湖だ。人知の及ばないものの一つや二つあったって、不思議じゃない。
だが半魚人は、それを聞いて、首を横に振った。
「いや、我々はそんな大昔からいるようなものではないよ。我々が誕生したのは、いや、人間からこの姿になったのは、ごく最近の話だ」
「人間!?」
それは、妖怪よりも驚いた。
歴史が浅いなんてのはこの際どうでもいいとして、この半魚人、元は人間だったってのか?
「い、いったいどうしてそんな姿になったんだ?」
「そうだな。それを話すより先に、言っておきたいことがある」
「な、何だ?」
まさか、知ったら消すとかじゃないだろうな。
それなら、これ以上は何も聞かないぞ。
だが次の瞬間、奴は言った。
「──ゲジナン」
「なにっ!?」
そのたった一言に、反応せずにはいられなかった。
お前、滋賀県民にとってそれは禁句だぞ。
だが、奴の言葉はそれだけでは終わらなかった。
「近畿のお荷物。琵琶湖以外何も無い。ネーミングを佐賀からパクってる」
「なっ──なっ──なぁっ!」
言い放たれる言葉は、全て滋賀県の悪口だ。
いったいなぜ急にこんなことを言うのか。なんて、考える余裕すらなかった。
故郷の悪口を言われているのに、そんな余裕あるわけない。
今俺の心にあるのはただ一つ。怒りだ!
「てめえ、ふざけんな!ゲジナンじゃねえ、イナズマナンバーだ! 近畿のお荷物ってなんだ。滋賀はな、飛鳥時代と奈良時代には日本の首都だったこともある凄い県なんだそ! だいたい、近畿の人間が飲んでる水は、ほとんどが琵琶湖由来なんだよ。そんなこと言うなら、琵琶湖の水止めてやろうか!」
怒り狂い、思いの丈をぶつける。掴みかかり殴らなかったのは、俺の中にある最後の理性と言ってよかった。
だが、それもギリギリだ。もしまたこの半魚人が滋賀の悪口を言ったら、俺はこいつを殴る。たとえその結果殺されたとしても、滋賀の誇りのためなら構わない。
するとどうだろう。話を聞いていた半魚人は、なぜか突然笑いだした。
「フハハハハハ。この状況で怒れる郷土愛、素晴らしい。君は、我々の同士になる資格があるようだ」
「どういうことだ?」
「我々も、君と同じくこの地を愛する滋賀県民なのだよ。さっきの悪口は、皆、我々がずっと言われ続けてきたものだ。特に、近畿の他の場所からな。その度に、我々もハラワタが煮えくり返ったものだよ」
「なっ!? アンタもそうなのか?」
その時、俺は初めてこの半魚人と心が通じ合ったような気がした。穏やかな言葉で話しかけられるより、危害を加えないと言われるより、ずっとずっと距離が縮まったように思える。
「そんな風にバカにされた時、我々滋賀県民には切り札とも言うべき殺し文句がある。さっき君が言った、『琵琶湖の水を止めるそ』だ」
「当然だ。水は全ての命の源。千年の都京都だろうと、天下の台所の大阪だろうと、水が無ければ滅ぶ。琵琶湖がある限り、滋賀こそが近畿ナンバーワンだ」
その事実と誇りがあるからこそ、俺達滋賀県民は、どんなにバカにされても耐えられた。
いざとなれば、琵琶湖の水を止めればいい。そうすれば、近畿全てに勝てると言っても過言じゃない。
「しかしだね、実際にはそれは不可能というのを知っているか?」
「なに?」
「琵琶湖の湖水の出口は、さっき君が近くを通った瀬田川と、琵琶湖疏水。だがその二つの水量を調整する権利は、いずれも滋賀県にはない。瀬田川は国土交通省が、疏水は京都市が、それぞれ水量を管理している」
「なんだって!」
そんなバカな話があるか。琵琶湖は滋賀のものだ。なのに、なぜそこから流れる水の量を、他が管理しているんだ。
だが、半魚人の話はまだ終わらなかった。
「しかもだ。仮にその二ヶ所を塞いだらどうなると思う? 行き場を失った水は琵琶湖から溢れ出し、滋賀県そのものを水没させる。人も街も、全て水の底に沈むことになるのだよ」
「そ、そんな……嘘だ……」
絶望。今の俺の心を表すのに、それ以上の言葉はあるだろうか。
琵琶湖の水を止めさえすれば、近畿全ての府や県と戦っても勝てると思ってた。だが実際にはそんなことはできず、できても滋賀が滅んでしまう。
これを、絶望と言わずしてなんと言うだろう。
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