しかまのかちん染め

ヒノワ馨

しかまのかちん染め

飾磨しかまという土地は、兵庫県南西部、現在の姫路市に位置する。


飾磨しかまではかちという染料を産しており、それを使った「かちん染め」は現在でも姫路の名産品である。



その名産に因んだ、ある恐ろしい逸話があることはあまり知られてはいない。



その昔、増位山ますいやまの麓の平野に長者屋敷があった。

この長者屋敷、いつの間にか熊太郎という粗暴者が住み着き、好き勝手振舞っていた。


この熊太郎、元は武士の子であるが、その短気な性格ゆえ、何をやっても身につくことがなかった。


武芸をやっても駄目、学問をやっても駄目。

図体だけが大きく育ち、家の者が誰も手に負えないほどの凶暴な若者に育ってしまった。


熊太郎はとうとう勘当されて、国中をさまよっていたところ、その長者屋敷へとたどり着いた。



熊太郎はこれ幸いと、修行者の振りをして長者屋敷にもぐりこんだ。

数日滞在したのち、金目の物を盗んで逃げようと思っていたのだ。


長者屋敷の主は、修行者に化けた熊太郎を快く迎え入れ、数日の滞在を許した。


屋敷には、祝言を控えた長者の娘とその許婚が住んでいた。

その娘は名を千代ちよと言い、国で指折の美しい娘であった。


不幸なことに、熊太郎はこの娘に一目ぼれしてしまった。


元より凶悪な性格であった熊太郎は、何をしてでもこの娘を手に入れたいと思った。


たとえ、人を殺したとしても。



長者屋敷に滞在して数日経った日。

千代の許婚が祝言の準備の品を買いに留守にしていた夜。


熊太郎は台所にあった包丁を持ち出し、家の者を次々に刺し殺していった。

家の使用人を殺し、主を殺し、最後に千代の部屋へと向かうと、包丁で脅して無理やり契りを交わした。


翌朝、千代の許婚が帰ってくると、熊太郎は千代の目の前でそれも殺した。

それから、熊太郎は怯える千代に白無垢を着せ、抱き寄せながら言った。


「お前の許嫁は死んだ。お前はもう誰のものでも無い。俺のものになれ。そしたら命は助けてやる」


千代は熊太郎を拒んだ。

熊太郎は逆上し、千代を床に投げ倒すと、許婚を殺した血も乾かぬ包丁で千代の首を掻っ切った。


切られたところから鮮血が吹き出し、千代の着ていた白無垢と、同じくらい白い千代の顔を真っ赤に染めた。


熊太郎は千代の死を悲しんだが、それ以上に魅了された。


千代の死に顔に。

そして血に染まった着物に。



それから熊太郎は、長者屋敷の主の名、小鷹を名乗り、屋敷に住み続けた。


長者屋敷の財産を使い、女を侍らせ、遊んで暮らしていた。



たまにやってくる訪問者が、熊太郎の楽しみの一つであった。


熊太郎は屋敷にやってきた旅人を歓迎し、油断させ、夜になると上物の布団で眠らせた。


客人の眠りが深くなった頃合いを見計らって、手足を縛り上げ、猿轡をかまし、自由を奪った。

そして、すっかり処刑場へと変わり果てた千代の部屋へ連れて行き、殺すのであった。


ただ殺すのでは無い。

重石を乗せてじわじわと殺すのだ。


血の最後の1滴まで搾り出すように。



熊太郎には野望があった。


千代の血でまだらに染まった着物を、血の色に染め上げるのだ。

そして、それを千代のような美しい娘に着せて我が妻とする、そんな野望が。



流れた血は、それはそれは美しく着物を染めた。


血を流す者が苦しめば苦しむほど、着物の美しさは増すようだった。


血の色が濃い者、淡い者、それぞれの色があり、血を吸うたびに着物の色は暗く、深く、妖艶になっていった。



ある日、熊太郎は娘を一人攫って屋敷へと連れてきた。

千代のような上品で、美しい娘だった。



熊太郎はその娘を千代と呼んだ。

いつかこの着物が染まりあがった時、お前を俺の妻にするんだ、と毎日その娘に言って聞かせた。



それから熊太郎は、屋敷に訪れた旅人だけでなく、家に置いていた女たちも手にかけるようになった。


女の血は、一層美しく着物を染め上げ、この着物に更なる妖しさを加えた。



千代と呼ばれた娘は、ひとり、またひとりと人が減っていく屋敷で日々怯えて過ごした。


死にたくない、かと言って逃げる術も抵抗する術もなく、段々色が濃く、深くなってゆく血染めの着物を眺めるしかなかった。



ある日、また新たな犠牲者が屋敷へとやってきた。

虎鉄という名の、美しい若武者であった。


熊太郎はこの者を、着物を染め上げる最後の一人と定め、大層歓迎した。


虎徹は思いがけない歓迎に気を良くし、振舞われた酒を飲み、清潔で心地が良い布団で寝入ってしまった。

この先、死が待ち受けているとは露知らず。



丑の刻になった頃、虎鉄は何者かに揺り起こされた。

枕元にいたのは、千代と呼ばれていた娘であった。


「ここにいては殺されます。さあ、今なら誰も来ません。今のうちに逃げてください」


虎鉄は娘の美しさに驚きつつも尋ねた。


「君は一体…」


娘はしばらく答えなかったが、やがて口を開いた。


「私はこの屋敷では千代と呼ばれています。ですが、本当の名前は咲と言います。あなたがこのまま眠っていると、殺されて着物を染める染料にされてしまいます。その着物が染め上げられてしまったら、私はあの残虐な主の妻にならなければいけません。だから早く逃げてください」


娘、咲は涙ながらに語った。

虎鉄は咲の話に驚愕しながらも、その美しい手を取って言った。


「だったら、貴女も逃げましょう」



2人は屋敷を抜け出し、闇夜を走った。

やがて増位山ますいやまに入り、そこで夜が明けるまで身を隠した。


夜が明けるときっと熊太郎が追ってくる。

そんな恐怖に怯えながら。


やがて夜が明けても、熊太郎が追いかけてくる気配はない。

このまま逃げきれるか。

しかし、虎鉄はある決心をした。


自分たちが助かっても、きっと熊太郎は新たなる犠牲者を見つけることであろう。

真実を知った今、自分がこの連鎖を断ち切らなければいけない。

そんな決心を。


虎鉄は咲に、きっと戻ってくる、と約束し再び忌まわしき屋敷に乗り込んだ。



屋敷では上へ下への大騒ぎであった。


「千代は!千代はどこだ!探せ!探せ!!」


熊太郎の怒号が響いていた。

虎鉄が逃げたことよりも、千代もとい咲がいなくなった事に慌てているようであった。


虎鉄は屋敷にいた女を一人捕まえ、耳打ちした。

熊太郎を誰もいない部屋に導くように、そしたら自分が熊太郎を必ず成敗する、と。


女は熊太郎を千代の部屋へと呼び出した。

千代がそこで倒れている、と言って。



熊太郎が部屋に入ると、着物を被った人が倒れていた。

熊太郎はそれに近づくと、優しく語りかけた。


「千代、お前の獲物の若武者は逃げてしまった。俺たちの祝言まで、もう少し待ってくれ」


熊太郎が着物に手をかけた瞬間、隠れていた虎鉄が熊太郎に斬りかかった。


「お前は…!」


不意を突かれた熊太郎は、そのまま後ろに反り返って倒れた。

掛けてあった血染めの着物をなぎ倒して。


血染めの着物は、熊太郎の視界を奪うように覆いかぶさった。

熊太郎はもがいたが、幾多の人間の血を吸った着物は熊太郎の想像以上に重く、簡単には離れなかった。


「お前が奪った命の重さを知るがいい」


そう言って虎鉄は着物ごと熊太郎を斬り捨てた。




その後、屋敷に囚われていた女たちは解放され、虎鉄は咲の元へ戻った。


そして、二人は虎鉄の故郷に戻り、幸せに暮らしたという。





めでたしめでたし。





なんて、ここまではよくある話だ。



実はこの話には続きがある。

この血染めの着物は実在するという話だ。



悪しき熊太郎の血を吸った着物は、それはそれは美しい着物に仕上がった。

花嫁を奪われた熊太郎の怨念を蓄えて。


この着物には、愛するものを二度と奪わせないという執念が、熊太郎の血とともに染みついたのだ。


この着物を身に着けた者は、二度とその愛から逃げることができない。

それが自身の意思に反していても。



そう、貴女の目の前にある褐色かちいろの着物。

これこそが、愛という名の呪いの着物。



だから私は苦労してこの着物を手に入れたのだ。


愛する貴女を永遠に手に入れる為に。




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