第11話 ボレリ家の大浴場

 大きな、岩で組まれた浴槽には程よい温度のお湯で満たされていた。その手前にある広場……洗い場というらしい……でマユミに体中をごしごしと洗われた。頭のてっぺんから足の先まで。


「あの、マユミさんの体は私が洗いましょうか?」

「洗って下さるの? じゃあ、お願いしようかしら」


 私は私がされたように、マユミの体を洗ってみた。黒いおかっぱ頭にお湯をたっぷりとかけてから髪用の洗剤を使って優しく洗う。泡を十分に流した後は、固形の洗剤を布に付け泡立てて背中を擦ってあげる。私とは違う真っ黒な肌だけど、すべすべしてて気持ちがいい。


「ああ、背中を流してもらうの、物凄く気持ちがいい」

「はい。私も気持ち良かったので。みんなそうなのかな」

「嫌いな人はいないと思うよ。ああ、シルヴェーヌ様に洗ってもらえるなんて、私は果報者だあああ」


 本当に気持ちよさそうなマユミだった。その後は二人並んで浴槽に浸かった。岩でできているんだけど、滑らかな物ばかり使ってあるのでこれも気持ちがいい。


「さっきはみっともない所を見せちゃってごめんなさい」

「いいえ。私は大丈夫なんですが、やはり使用人同士でも不和や仲違いはあるのでしょうか?」

「残念な事に、あるんですよ」


 元々、この屋敷には十数名の使用人がいたのだが、ボレリ家の面々が外で生活を始めたのでその数は四名となった。執事兼調理人とメイドが三名だ。その後、私がここに厄介になる事が決まってから執事のBBと調理人一名。セシルを含むメイドが十二名増やされた。マユミはその中の一人なのだが、何とメイド長なのだという。そして、軍の特殊部隊より選りすぐりの女性兵士が六名ほどメイドとして派遣されていた。


「それがあのディアーヌ・ミュレ少尉。他にも逞しい人が何人かいたでしょ。あれが我が国の誇る特殊部隊アズダハーグ。他にも男性の兵士が数名常駐しているのよ」


 つまり、十名以上の兵士が私とボレリ家を護衛しているって事か。自分がとんでもない場所にいる事を再認識した。しかし、マユミとゆったりお湯に浸かっていると、そんな事はどうでもよくなってくる。お風呂は全ての悩みを解決するのだろうか。この感覚は不思議だった。


「ところでマユミさん。精霊の歌姫の事はご存知ですか?」


 思わず口にしてしまった。

 共和国では語られる事のない精霊の歌姫について。


 マユミは金色の瞳を輝かせながら頷いてくれた。しかし、彼女の返事は芳しいものではなかった。


「精霊の歌姫ですね。私から詳しく話す事はできません。大まかな話、概要のみとなります」

「それでもいい。お話してください」

「本当に概要だけですよ」


 マユミは黄金の瞳を煌めかせながら話し始めた。


「まず精霊の歌姫とは、大地の神霊たる大精霊スフィーナを信奉する精霊教会の主を務める者です。この大精霊が他の宗教における最高位の神に該当します。天地創造の神であったり、一神教であれば神そのものであったり、多神教であれば中心的な主催神に相当するものです」

「はい」


 いきなり詳しい。これが概要なのか。


「旧パルティア王国においては、この精霊の歌姫が精神的な権威の象徴として敬愛され、また信仰の対象にもなっていました。精霊の歌姫となれるのは女性のみ、そして同時期に複数存在していたと言われています。彼女達は大精霊と人間の間を取り持つ存在、他の宗教で言うなら、神の声を伝える存在であったとされています。ただし、政治的な権力は王家にあり、精霊の歌姫は政治には口を出さないとされていました」


 私は静かに頷いた。マユミの話は続く。


「しかし、旧パルティアにおける精霊の歌姫は魔術師でもあったの。帝国なら法術士と呼ばれている存在」

「魔術師? 法術士?」

「そう。精霊の歌を奏でる事で超常の力を行使する事が出来たの。しかも、かなり大規模な力を行使できる。極大呪文を詠唱できる伝説の大魔導士に匹敵するわ」

「伝説の? 大魔導士?」

「パルティアにおいては、始祖のミュートラム・アラセスタが大魔導士だったと言われているわね。山を動かし海を切り裂いた奇跡の精霊術を操る者。精霊の大魔導士だと」

「精霊の大魔導士……」


 精霊の歌姫………精霊術……始祖……ミュートラム……アラセスタ……それらの言葉が私の心に突き刺さる。しかし、私の記憶の中には無い。どういう事なのだろうか。さっぱりわからない。


「どんな国や地域においても、創世の神話はあります。その中で奇跡を起こす存在、救世主の事は多く語られていますし、それが後の世に神として崇められる事も多いのです。パルティアの場合は精霊の大魔導士であるミュートラム・アラセスタとその後継である精霊の歌姫なの」

「そうなのですね。私はそれらの話を聞くと胸が高鳴ってしょうがないのですが」

「それは魂の記憶に関連しているのかもしれない」

「魂の記憶ですか」

「そうだ。輪廻、転生輪廻の記憶と言ってもいい」

「それって生まれ変わりの事ですか?」

「そう。共和国では全否定されていますが、帝国では普通に信じられている概念です」

「それはつまり……」

「人の魂はこの世とあの世を行き来している。現世と霊界を生と死を通じて輪廻しているという考え方です。共和国の人々は過去世において旧パルティア王国と何らかの繋がりがあった。精霊の歌姫とも交流があったのかもしれない」

「私が、精霊の歌姫と交流があったの?」

「そうかもしれないという可能性の話。普通の人はそんな事を覚えてはいないから」

「そうなんだ」

「そう。前世の事は全て忘れて新しく生を受ける。だから人生に意味があるのよ」


 何となくわかった。何度も人生を繰り返して魂が成長していくんだろう。でも、この生まれ変わりの概念ってのも馴染みがある気がする。でも、共和国で否定されているのは皆が前世の事を忘れているからだ。だから国の指導者によって肯定されたり否定されたりする。だったら帝国はどうなんだろうか。もう何千年、何万年も信じ続けていられるものなのだろうか。


「帝国ではどうなんですか? 私たちの国では否定されている生まれ変わりの思想が、何万年も信じ続けられているんでしょ?」

「何億年もよ。まあ、帝国の人は前世を覚えている人が少なからずいるの」

「本当ですか?」

「ええ。その人たちは前世の事、輪廻の事を記憶している。どのくらい昔のことまで覚えているかは人それぞれです。そして、その人たちんほとんどが法術使いなのです」


 法術使い。その言葉に胸が熱くなる。何億年も続く銀河の中の大帝国は、生まれ変わりを信じる人達が繋がる事で連綿と続いていたのだ。父からは否定的な話しか聞いていなかったが、やはり長期にわたって存在する意味は十分にある。それを捨てた我が国は非常に危ういのではないか。その事が私の中の不安を煽っていったのだ。

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精霊の歌姫と自動人形【リメイク版】 暗黒星雲 @darknebula

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