第5話 博多屋台物語ー5

 それから、2年したころ、いいスーツを着た紳士が入って来た。周辺はビジネス街だから、それなりのスーツ姿の客も珍しくなかったが、際立っていた。でも、どこかで会ったような、見たような不思議な感覚を覚えた。

「大根とコロね。それと熱燗」とその紳士は注文した。食べ終えて、

「味は変わっていないね。親父が見込んだだけはある」

「大根さんの、息子さん?ですかぁ~」と尚子は素っ頓狂な声を上げた。

「向かいの・・・」

「いや、今は東京の本店にいる。九州の支店長会議があってこちらに来たんだ。親父からあなたのことは聞いていたよ。」

「大根さんはお元気ですか、暫くお逢いしてないのですが…」

「親父は1年前に亡くなったよ。癌でね。うすうす知っていたようだ。あなたに連絡をと云ったのだが、屋台を譲る以外は一切の関係はないのだから、するなと云われていたのだ」

「そうでしたか、それなら・・」と云ったまま、尚子は涙で物が言えなかった。

「ごめんよ、もっと早く知らせるべきだったし、親父がそう言っても葬儀にも来てもらうべきだった」と大根氏は頭を下げた。

「いいえ、連絡取れる方法があったのに、それを怠っていたのです。悔やまれます…」と、尚子はまたまた涙を流した。


「親父はね、ああ見えても、昔はね大手の商社マンでした。今は合併して東京が本社ですが、片一方の大阪の方の商社に入ったのです。恰好良かったのですよ。憧れではないですが、私も勉強もしていい大学に入って、商社ではないですが銀行に入ったのです。私が入社して5年、仕事に慣れだした頃、バブルの時代がやってきましてね。親父はそのとき、繊維部長でした。次の重役は約束されていたも同然でした。それが、突然辞めましてね。母親が博多で、実家が料理店をやっていて、そこで2年働いて、後を継ぐのかと思っていたら、あの屋台を始めたのです」

「そうでしたか、大根さんは過去の事は何も仰いませんでした」

「あるとき、なぜ辞めたのかを訊いたのです。そのとき、『俺やお前や、商社や銀行がいい加減なことをして日本をぶっ壊したのだ。いや、日本は国だから潰れっこないからそれはいいさ。でもね、真面目にやっていたところをけしかけて潰したのさ。けしかけた方は合併だ、国からの支援だと生き残りをかけた。真面目な方には手を差し伸べず、切って捨てたのさ』と云ったのです。ある案件で、と云っても商社の規模からして些細な案件でしたが、父は真剣にかかわったようです。仔細は、経過は細かくは知りません。でもそれが最後の担当した案件でしたから・・それが関係あったのでしょう。『けしかけに乗った方もそれなりの欲や思惑があったのだから、自己責任で仕方がないでしょう』と云ったのです。親父は、『じゃー、銀行のトップ、商社のトップ、大蔵のトップは責任を取ったかね』とね。私は『それで、親父が責任取るわけ、親父が責任取ったって、大したことないし、何も変わらないさ、企業は社会福祉ではないよ』と、言い返したのです。親父は私を睨んで、『お前にはまだ何も分からないさ』と云ったきり、話は終わったのです。私は銀行にいたのですが、当時地上げに関わったり、相当にあくどいことやっていました。自分もその一兵卒として手を染めていましたよ」と大根氏は語った。


 バブルのことは聞いたりして知っていたが、経済の難しいことは尚子には分からなかった。でも、大根さんの辞めたことはなんとなくわかった。屋台を始めたことも、コロを安くしていたことも、「味を変えるな」と云った意味も。「変わらない良さもあるのさ」と、「欲をかかなきゃ、それで十分食べていけるよ」と、尚子に権利を譲ってくれた意味の全てが分かったような気がした。

 大根氏にはお墓の場所だけは聞いた。明日は店を休んで花を持って参ろうと思った。


 その後、大根尚子は矢野尚子に名前を変え、結婚して一男、一女を設けた。結婚相手の矢野三郎は美術の教師で、お店に来て「大根とコロと竹輪」を注文した。絵を描く人かと思ったが、昔それなりの賞を取ったようであるが、絵を描いているとこを見たことがない。画家と結婚したと思っていないから、学校に真面目に行ってくれているから文句はない。

「君は絵にすればいい顔だよ」と口説き文句らしいことを言ったが、別段描いて欲しいとも思っていない。息子は料理学校に行き、料理人を目指している。娘の方は芸術学校を目指して受験勉強をしている。


「変わらない味」やってみると意外と難しい。具材メニューは変えなくても、季節によって具の売れ行きは変わる。例えば、冬は大根がよく売れる。大根を多くすればそれで味が変わる。微妙な変化があるのである。それを整えて、最後は自分の舌を信じるしかない。

「変わらない」「変わる」、あまり深く物事を考えない尚子だが、父と母がどの様に結びついたのか、二人は話さなかったし、尚子も訊かなかった。母は着るものも派手だったし、性格もはっきりしていた。父は全てが地味な人だった。母がこれ素敵でしょうと買ってきた洋服を見せても、父は「ああ~、いいね」と無関心に返事するだけだった。母が長い髪を短髪にした時も何も言わなかった。


 那珂川を渡った母のその後は知らない。尚子に、捨てられた思いがないと云えば噓になる。でも、子供を持ってみてよく分かる。子供を捨てるなんてそう簡単に決断出来ることではない。母は変化を求めたのだと、母はそれを決断できる人だった。今尚子はそう思う。

 母がいなくなったことは、父には大きな変化だった。父が生きた中で一番大きな出来事だったろう。でも父は出来るだけ変わらない生活をしたと思う。そうすることで堪えたのだと思う。

 尚子が屋台の店を始めても、2,3回来たきりで、以前の商店街の屋台に行っている。「お前の店に来て、客が少なかったら、心配するだろう。混んでりゃ、手伝いたくもなるだろう。客気分で飲めないね」と云った。

 結婚して小さな家も建てた。借家住まいでなく一緒に住むことも云った。気が向いたときに行けるがいいさと云って、たまに孫の顔を見に来た。

 

 父は一つの会社で仕事を終えた。葬儀の折に来た会社の人は2人だけだった。その一人の人が屋台店に一度来た。参列の礼を言った。「ある時ね、行きつけの店の屋台でコロが無くなったと云ったのだ。俺の娘がやってる屋台があると云ってくれたのさ。娘さんがあるのも知らなかったよ」と、「美味しかったよ」と云って帰った。


 九州博多、天神に行ったら、是非屋台に行って欲しい。尚子のお店?おでんでコロがあるお店はそうはない。

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博多屋台物語 北風 嵐 @masaru2355

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