カナとエリカ
出井啓
一話目
「カナちゃんは数字で何が好き?」
私が運転中に助手席のエリカが聞いてきたのは、そんなどうでもいいことだ。
食べ物の好みならまだしも、数字の好みなんて今まで聞かれたことがない。
それでも私は、そんなどうでもいいことを真剣に考えて「8」と答える。
「へぇー、どうして8なの?」
「大した理由はないけど、2で割れるからかな」
高校でしていたバレーボール部でも背番号は8だった。
弱小チームだったので背番号は好きなものを選べる。
背番号なんてものには興味がなくて、誰も選ばずに残っていた4と8の二択で8を選んだだけだったけれど。
バレーボール部には適度に運動ができればいいとしか思わずに入っていたので、4がエースナンバーだったということも知らなかった。
顧問から「エイトマンか」と言われたが、今でも意味がわからない。
そんな覚えたくもないようなことばかり忘れられない私の脳はどこかに不具合がある気がする。
「2で割れるって偶数ならなんでもいいじゃん。4でも6でも10でも」
「4は死を連想するから不吉だし、6は3で割れるでしょ。10以上は二桁になるから8しかないよ」
「二桁だからなんなのかはわからないけど。じゃあ2でもいいの?」
「2は別。0、1、2は特別な数字だし」
「特別、かなぁ?」
私は奇数と偶数なら偶数が好きだ。
2で割れることが偶数であって、2は偶数の象徴であり道具でもある。
だから特別。
けれど、この感覚が伝わることはないのかもしれない。
「それで、エリカはどの数字が好きなの?」
「私は7。ラッキーセブン!」
ラッキーセブンの由来は野球からだったか。
そんなことを思い出しながら、嬉しそうなエリカをチラリと横目で見る。
酔った女性が扇情的に感じるのは私だけじゃないはずだ。
きっと2の特別性より共感が得られるだろう。
「7がラッキーとは限らないでしょ」
「ラッキーだよ。7が使われているところなんていっぱいあるし。七福神でしょ、あとは……七変化とか」
「七変化? それはラッキーなの?」
「七変化とか楽しそうだから、きっとラッキーだよ。他にも……あれぇ? いっぱいあったと思うんだけどなぁ」
エリカは、なんだっけ、と首をかしげる。
確かに七を含む言葉は多い。
七不思議、七つの大罪、七つ道具、何故か七でまとめようとする。
まとめるには少し多い気がするけれど。三大何とか、ベスト5の方が使われているし。
熟語でも七転八起などがあり、七は多数の意味としても認識されているようだ。
それにしても、何故奇数でまとめることにしたのかと不思議に思う。
私はそんなことを思いつつ、口には出さなかった。
「そうだ! 七夕!」
緩んだ笑顔を向けられたのが視界の端に映るが、私は前を向いたまま。
前の車のテールランプを見つめる。
「七夕はラッキー、かな?」
「ラッキーだよ! 私たちが出会った日だよ?」
その言葉に私は少し息が止まった。
「もしかして覚えてないの?」
「あぁ、いや、覚えてるよ」
「あっその感じ。本当は覚えてないんでしょ。まったくもう。私たちは7月7日に初めて会ったの。だから、7はラッキーなんだよ。わかった?」
エリカが覚えていたこと、ラッキーだと言ってくれたことに動揺しただけで、私が7月7日の出会いを忘れることはない。
ただ、私にとって、エリカとの出会いはラッキーでありアンラッキーとも言える。
「わかったよ」
わかればよろしい、と頷くエリカに、私はそっと微笑んだ。
*******************
いつもの車の中で私は運転席をチラリと目を向ける。
カナはそっと微笑んでいて、それを見た私の頬は勝手に緩んでしまう。
「あっそうだ。明日の朝ごはん買っておきたいんだけど、いい?」
「いいよ。成城だよね?」
「うん、ありがと」
車は車線を変えて右折する。
「エリカは最近あの店が好きだな」
夜も更けていて近所のスーパーは閉まっている時間だから。
けど、それはいいわけ。
もう少しカナと一緒にいたいだけ。
本当は一緒に家でおしゃべりしたいくらい。誘えばきっと『いいよ』と言ってくれる。
だから言えない。
迷惑に思われたくないから。
「だって美味しいじゃん! 麻婆豆腐にチーズケーキ、焼売、タルト、キャロットラペも美味しかったなぁ」
「キャロットラペってなに?」
「えっとね、ニンジンサラダみたいな感じ?」
「へぇ、食べてみたいな」
「じゃあ買うね! すっごく美味しいから食べてみて!」
私はカナに会うまで、人参が嫌いだった。
でも、カナは人参が好きだから、私も食べるようになって、そのうちおいしく食べられるようになって、本当に私は都合がいい体をしている。
キャロットラペも絶対カナが好きだろうと思って食べたのだ。
一瞬だけカナが私を見た。
その瞬間だけでいいから、最高に可愛い私であろうと練習した笑顔を作る。
「今日はいいよ。ついでに私も朝ごはん買いたいし」
「いいのいいの、遠慮しないで。全部私が買うから。いつもこうやって送ってもらってるんだし」
「これくらいなんてことないよ」
「いやいや、すっごく助かってるんだよ! それにほら、ガソリン代とかこの前は高速に乗ったし……私、あの時、全然払ってないじゃん。ごめんね、今払うよ」
「それくらいはいいって」
「そんなわけにはいかないよ! ガソリン代も運転代も、あとはえーっと……」
「ほら、あの時は昼ご飯奢ってもらったじゃん」
「そんなんじゃ足りないよ! 今日成城で奢るから! 明日の朝の分! 明後日の分も!」
そんな私の言葉にカナは「どれだけ買うつもり?」と言ってふふっと微笑む。
「本気で言ってるからね!」
「わかったよ。じゃあ、明日の朝ごはんは全部エリカに出してもらおうかな」
その言葉で私は想像が広がった。
私がカナの朝ごはんを用意したり、それからカナを起こしたり、朝ごはんできたよーなんて、いいなって思った。
けど、それは口には出さない。
「うん、任せて! 一万円分くらい買って!」
「私、そんなに食べないから」
苦笑するカナを見て、私はふとすれば零れ出そうな言葉を飲み込む。そして、今とっても幸せだから、これでいいんだって、自分にいいわけした。
*******************
「やっぱ上手だよね」
スーパー提携のパーキングで車を停めようとする私を見つめながらエリカが言った。
「そう?」
「そうだよ。私なら絶対窓から顔出したり反対側見たりしてるよ。それでも一回切り返さないと、ちゃんと入らないんだから」
私はその光景を覚えている。
エリカが運転する車に乗ったことがあるからだ。
エリカの運転は下手ではない。なんでも器用にこなすタイプだと思っていたけど、運転もそうだったらしい。
でも、駐車は慣れていなかったようで、真剣な表情で左右を何度も確認する姿は可愛いかった。
そして、顔にかかる髪を直す仕草は色っぽいとも感じた。
「エリカは普段運転しないでしょ。私は毎日だから」
「そうだけど、車の運転は才能も関係してると思うんだよね。ほら空間把握なんとかみたいな」
「空間認識能力?」
「そうそれ! 私はそれが足りないと思うんだよね」
「練習すればどうとでもなるよ」
「そうかなぁ」
かくいう私は運転がそれほど上手というわけではなかった。
エリカを乗せて走るために練習したから。
エリカがよく使うような場所を無駄に走り回って一方通行を逆走してしまったことも、ミラーを見ながらの駐車に挑戦して擦ったこともある。
エリカにはそんなことを言ったことがないけれど。
他愛もない話は尽きることがない。いつの間にか塾の前、銀行の前を通りすぎ、スーパーマーケットまでたどり着く。
そこは駅のそばにあって電車の音が響いてくる。
エリカの家はここから数駅。駅から徒歩五分のマンションに住んでいる。
ここから電車で帰ることもできる。でもお互いにそれを言わない。
「あっこれこれ! キャロットラペ!」
「へぇ、美味しそう」
「じゃあこれは買うね。他は何がいい?」
「うーん、エリカは何にするの?」
私はいろいろな商品を見ながらエリカに聞く。
私の見た目は少し男っぽい。ショートヘアで身長が高く、いつもシンプルなパンツスタイル。
だから、サバサバしていて、料理を選ぶときもすぐに決める、そんな風に思われがちだ。
でも、実際は優柔不断。
そう期待されているのがわかっていて即答するときもあるけど、言ってからもやっぱりあれにしたらよかったかな、なんて思ったりして。
そして、あれこれ悩んでなかなか決められない、それをエリカは知っている。
「私はプンパニッケルとサーモンマリネにしようかな。あっ、この焼売美味しかった!」
「へぇー、意外な組み合わせ」
「焼売なのにトマトとモッツァレラってなにそれ、って最初は思ったけど意外と美味しいんだよ。あっでも朝ごはんにはちょっと合わないか」
「そんなことないよ。何でも食べるし」
「でも朝はパン派だったでしょ?」
「簡単だからパンにしてるだけ。よく覚えてたね」
「まぁね。おすすめのスコーンあるよ。パンのとこも見てみよ。ジャム買ってもいいし。そうだ、ベーグルとチーズとハム買うっていうのもいいんじゃない?」
「いいね。両方美味しそう」
「じゃあ両方買っちゃおう」
「そんなに食べないって」
「大丈夫大丈夫、四日くらいはもつから。明後日も食べたらいいよ。せっかくだから焼売も買っとく?」
「どれだけ食べさせたいの」
「お腹パンパンにしてあげたいの」
うふふと微笑むエリカはまだ酔っている様子だ。
私は「なにそれ」と言いつつ苦笑いをするが、この何もない日常に幸せを感じていた。
*******************
また車に乗って、カナが運転してくれる。
ここからは電車で帰れるし、車でも十分かからない。
でも、その十分が私にとって大事。
もうすぐ別れとなると少し寂しく感じる。でもたくさん買い物できて、カナと一緒に買ったものがあるだけで家に帰ってからが違う。
お会計は五千円を軽く超えて、朝ごはんにしては買いすぎたかな、なんて思ったけど、カナと一緒に買い物して、カナの物を買ってあげるなんてそうそうないことだから、やっぱりこれでよかったんだと思い直す。
カナは友達だから。
私だけお金を出していたらバランスが悪い。カナに気を使わせてしまう。
車のお金と言って多目には出しているけど、常識の範囲内で計算しているだけ。カナが気を使って遊びに誘ってくれなくなったりしたら本末転倒だから。
さっき、この前の時のお金を渡すと言ったときも、少し大袈裟に言ったくらい。それくらいならカナも受け取ってくれる。
きっとこれは課金と一緒なんだろうなと思う。
アイドルに貢いだり、ゲームに課金したりする人がいるけど、昔はその気持ちがわからなかった。
なんでそんなことするの? 自分のためになることに使いなよ、なんて。
正直その考えはまだ持ってる。
でも、推しがいたらとりあえず課金して幸せになって欲しいって気持ちが今ならわかるようになった。とりあえずお金で解決しようとする発想がどうかと思うときもあるけど。
自分より相手が幸せになって欲しいって気持ちが湧いてくるものなんだなって。
信号待ちでカナが私の方を向いた。
あぁ、やっぱり好きだなって思った。
「どうしたの?」
「えっ、なっなにが?」
ちょっと油断していた。あわてて笑顔を取り繕う。
「なにがって、私の方をずっと見てるから」
「それは、かわっ、可愛いなって思って」
「ありがと。でも、エリカの方が可愛いよ」
さらっと言うつもりだったのに盛大に噛んで、カナはかっこよく言う。
小さな悔しさと大きな嬉しさ。
でも私は小さな悔しさを表に出す。
「あーあ、やっぱりカナには負けるなぁ」
「別に勝ち負けじゃないでしょ」
「そうだけど、私もかっこよくキメたい時があるの」
「カッコつけてるつもりはないんだけど」
そんな他愛もない話をしているだけですぐに家に着く。
いつも話足りない気持ち。
それでも仕方がないから、笑顔で別れられるように気持ちを整える。
私の住んでいるマンションが見えてきて、ハッと気づいた。
「ごめん、カナ。そのまま通り過ぎて。次の角を曲がって」
カナは一瞬私の顔を見て「わかった」って言ってくれた。
きっと私の顔が少し強ばっていたんだろうな。そんな顔は見られたくないけれど、あんなに練習した笑顔も作れそうにない。
「あれ、知り合い?」
私は答えたくなかったけど、言わなきゃいけない気がして「元カレなの」と一言答えた。
カナとエリカ 出井啓 @riverbookG
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。カナとエリカの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます