人助け

かいばつれい

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 買い物もしていない店の駐車場に無関係のゴミを置いていく輩は一定数存在する。それはコンビニでもドラッグストアでも同じであった。

 阿戸岐楚乃はそのような不埒者が置いていったゴミの後始末をするために、寒風が吹く夕刻、ドラッグストアの駐車場にいた。

 ゴミの内容は大抵はコンビニ弁当の空き容器や吸い殻などが詰まったレジ袋であるが、中には、お茶かレモンティーと見間違うほど大量に尿が入ったペットボトルが転がっていることもあり、それは冬でも悪臭を放つ厄介なゴミで、楚乃以外のスタッフはそういったゴミに出くわしたくないがために、駐車場清掃を進んでやりたがろうとはしなかった。

 楚乃自身はどんなゴミでも顔色ひとつ変えることなく迅速かつ的確に処理することから店長や先輩からの信頼は厚く、駐車場清掃の他にトイレ清掃も任されていた。

 このドラッグストアには優秀な後輩を妬む陰湿な先輩はいなかった。そのおかげで楚乃はこの店で長く勤めることができた。

 今日のゴミは尿入りペットボトル三本とパンパンのレジ袋が五つ。

 いつもより少ないゴミを大袋にまとめて撤収しようとしたその時、後ろから声を掛けられた。

 「すみません」

 振り返るとそこには、一人の腰の曲がった老婆が立っていた。防寒になりそうなものは上着一枚しか着ておらず、とても寒そうにしていた。

 「いらっしゃいませ。今日は寒いですね。どうぞ中へお入りください」

 楚乃はいつも客に言っている定型文で老婆に対応した。

 「いえ、買い物に来たわけではありません。ちょっとお願いが・・・」

 楚乃と目線が合わないようにしているのか、老婆は目を泳がせながら言った。

 「はい?」

 「その、そのゴミには売れ残りのおにぎりとかパンは入っていませんか」

 老婆は楚乃が持つゴミ袋を弱々しく指差した。

 「これには駐車場に落ちていたゴミしか入ってません。惣菜コーナーのおにぎりはまだ廃棄の時間ではないので、たくさん並んでいますよ」

 「そうではありません。実を言うと、あの、わ、私、お腹が空いておりまして・・・。でも食べ物を買うお金が無くて。ですから、もし売れ残りの廃棄があったら、その、廃棄の食べ物を分けていただけないかなと・・・」

 老婆は怯える猫のような様子だった。

 「申し訳ありません。規則で廃棄の食品はお譲りできないんです」

 楚乃はきっぱりと断った。

 「そこをなんとかお願いします。私、持病で働くことができず、年金も若い時の過ちでまともに貰えなくてお金が全く無いんです。もう二日も何も食べてないんです。このままでは飢え死にしてしまいます。ですから何でもいいので食べ物を分けてもらえませんか。この通りです」

 老婆は冷たいアスファルトの上に土下座をして楚乃に訴えた。

 「そんなことしちゃ駄目ですよ。顔を上げてください。二日も食べてないんですか?」

 「そうです。だからもうヘトヘトで死にそうなんです!」

 涙ながらに訴える老婆に胸を痛めた楚乃は老婆を立たせ、暖房で暖められた店内に彼女を連れていった。

 「ちょっと待っててください。具はなんでもいいですか?」

 「え?は、はい。でも」

 「廃棄の商品をお譲りすることはできませんが、代わりに自分がおにぎりを買ってあなたに差し上げます。ですから、どうか元気を出してください」

 楚乃はおにぎりの棚から適当な品を二、三個取り、自分でレジに通してから老婆に渡した。

 「ありがとうございます。ありがとうございます」

 老婆は渡されたおにぎりを大事そうに抱えて何度も頭を下げた。

 「困ったときはお互い様と母から教わりました。とにかくこのおにぎりで栄養をつけてください。外は寒いからお気をつけて」

 楚乃はさらに甘酒を自販機で買って老婆に渡し、彼女の背中が見えなくなるまで見送った。

 

 その日の晩、楚乃はベッドで老婆の先行きを案じていた。

 今日は取り敢えず、自分が買ってあげたおにぎりで凌ぐことができるが、明日以降はどうだろう。

 あの人は明日は何か食べるものを手に入れられるだろうか。明後日も、そしてその次の日も。そう考えると楚乃は老婆に対し、罪悪感を覚えた。もしかしたら自分がやったことは、単に困っている人を一時的にでも救いの手を差し伸べることで、自身が達成感や幸福感を得て満足するという、偽善的かつ傲慢な行為に過ぎなかったのかもしれない。

 あのまま、しっかり断るべきだったのか。

 いや、もしあの場で老婆を帰していたとしても、結局はこうしてベッドで頭を悩ませていたに違いない。だとしたら、自分の行いはやはり正しかったのだ。

 半ば強引に結論づけて楚乃は眠りに入った。

 

 翌日、楚乃が出勤すると、昨日の老婆が店長を相手に辛辣な言葉でまくし立てていた。

 「何度も言わせないでよ。あんた耳遠いの?昨日、確かにお宅の従業員が私におにぎりと甘酒を渡したんだから。お宅はそういうサービスもやってるんでしょ!だから今日も食べ物をもらいに来たってのに、なんで断られなきゃいけないのよ!」

 とても同一人物とは思えない剣幕だった。

 「ですからお客様、当店ではそのようなサービスは一切行なっておりません。食べ物をくれと申されましても・・・」

 「何よ!じゃあ、あれは店の評判を良くするための小芝居だったっての?私、ご近所にあの店はタダで食べ物をくれるって言って回ちゃったわよ!これじゃ私が嘘つきになるじゃない。どうしてくれるのよ!責任取りなさいよ!」

 「そ、それは・・・」

 「責任取れないなら、さっさとおにぎり寄こしなさいよ。この詐欺師!ペテン師!さもないと、ご近所にあの店は新手の詐欺の店だって言いふらすわよ」

 「それは困ります。一体誰がそんなことを」

 「店長すみません。自分です」

 楚乃は店長を救うべく、昨日の一件を説明した。

 「阿戸岐くん、それは本当か?」

 「はい。すべて事実です」

 「そうよ。この人が勝手にやったんだから。私はおにぎりを買って渡せなんて一言も言ってないのに、自分から進んでおにぎりを持ってきたりするもんだから、私はてっきりそういうサービスがあると思っちゃったじゃない」

 「阿戸岐くん、君はなんてことを」

 「でも、自分はこちらの方がお腹を空かして辛そうにしているのを放っておけなくて」

 「ずいぶん話を盛られたもんだわ。客であるこの私を侮辱する気?そんな惨めったらしい様子で言っちゃいないわよ。ああもう!なんてひどい人たちだろう!」

 それから約二時間、老婆は腰を曲げることなく二人に向かって怒鳴り続け、ほかの客が警察に電話しようとしているのを見ると、老婆は慌てて店から逃げるように去っていった。

 その後、店長は楚乃を事務所に連れていき、当たり障りのない言葉を選んで彼に自主退職を促した。

 「待ってください。自分はあの人を助けたかっただけなんです。確かに勝手な行動だったのは認めますが、おにぎりも自費で購入したものですし、とても問題のあることだとは思えません」

 「そのおにぎりを買い与えたことが問題なんだよ。ああいうお客は一度でもそんなことをすると、前はやってくれたと言ってしつこく迫り、何度も店に来るんだ。無茶振りも段々エスカレートして対応しきれなくなる。そうなったら、ご近所に言いふらす上に、本社に電話して尾ひれをつけて苦情を言うだろう。それに、あのお客がこのまま引き下がるとは思えない。被害者面をして一方的なことを主張するためにまた来るに決まってる。さっき、ほかのお客が警察を呼ぼうとしていたが、警察が来たりしたら、それこそ店の評判が下がってしまう。だから問題を起こした張本人をクビにしたとあのお客に言って黙らせるしかないんだ」

 「そんな・・・」

 「君は今まで本当によくやってくれた。君くらい優秀な人間はそういない。他所でもうまくやっていけるはずだ。頼む。どうか分かってくれ」

 店長は申し訳なさそうに頭を下げて楚乃に言った。

 店長に責任はないと思った楚乃は自主退職の道を選んだ。

 店長や先輩に、短い間でしたがお世話になりましたと別れを告げて楚乃はドラッグストアを去った。

 善意による行動が破滅を招いたと楚乃は一度は考えたが、それでもあの時の行動は間違っていなかったと無理やり自分に言い聞かせ、腹の奥の煮えたぎる怒りを抑え込んだ。

 そうしなければ、自分はあの老婆を見つけて取り返しのつかないことをしてしまうかもしれないからだ。そうしないためには、自分で納得して怒りを、無念さを消すよりほかない。

 楚乃はリュックに入っているマフラーを巻くのを忘れて歩いていた。

 それほどまでに寒さを感じさせない熱いものが楚乃の全身を暖めているのであった。

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