夜明け前の弾圧

 難しそうだなと想いましたが、一話二話を何度か読むと、後はするすると読むことが出来ました。
 森鴎外の名があったので、興味が途切れなかったのかもしれません。

 本来であれば不問のはずの彼の役目が、明治の御代になると、「死ね」と云われるまでの悪行となってしまう。
 総括兼説得方として、藩命によって切支丹に拷問をしなければならなかった藩士が、その後、その感情とどう向き合って半生を過ごしたか。

 そこに信仰はなくとも、彼の内面には浄化があったことでしょう。
 綺羅星のごとく英明な人材を輩出した同時代の津和野において、目立たぬ石蕗のような生涯であった金森の武士道。
「仕方がなかったんだ」と虐めた子に謝って終わりにするような誤魔化し方をした他の藩士とは違い、金森は石の路を素足で歩くことを選びます。

 明治になって取り壊された寺も、邪教のものを投げ込んだ氷の池も、今は田畑となって太陽の下にあるように、金森の命は光を映す鏡のように平らになってから静かに消えていきました。
 それが贖罪と云う名のものであってもなくても、信仰というものがおのれに向き合う手立てであるならば、津和野の最期の武士はそれをやり遂げたのではないでしょうか。