かくれんぼ

紫栞

かくれんぼ

「サチヨ…どこに行ってたの?」

「え?どこにも行ってないよ?」


7月、夏休みまであと一週間。

気温は夏らしく、35℃を越える猛暑日が続ていた。

どこの教室からも夏休みの気配を感じる。

大量の漢字と計算のプリントを配られながら、早くも夏休みの遊ぶ約束を立てている。

先生から怒られてもそんなのお構いなし。

下敷きで全身を仰ぎながら、もらったプリントに目を落とす。

すぐにでも解けそうな問題ばかりだけど、いざ解こうと思うと気が進まない。

そんなことを考えていると先生の説明は終わっていた。


「チイちゃん話聞いてた?」

顔を覗き込むサチヨに千景ちかげは「全然」と笑った。

もうすぐ夏休みが始まる。

小学生にとっての夏休みは一大イベントの一つだ。

夏祭りも楽しいけど、毎日朝から夕方まで友達と遊べるのがいい。


帰り道に、同じ方向の子が集まって集団下校をする。

先頭を務めるのは5年生のダイくんだ。

ダイくんは背もそれなりに高いし、なにより体格もいい。

しっかり者で頼りになるお兄さんだ。

それ以降は、4年生の千景とサチヨ、2年生のユメちゃんと1年生のアオトくんが続く。

アオトくんは一番学校寄りに住んでいるからいつも一番に家に着く。

「ばいばーい」

口々にそう言って各家の近くでそれぞれが別れていく。

最後に残るのはダイくんと千景だった。


みんなの帰りを見届け、2人は分かれ道をそれぞれ分かれて歩いていく。

そして、みんな家に着いて30分後くらいに中央にある神社に集まるのは暗黙の了解になっていた。

神社にはブランコやシーソーが置いてあるけれど、そこで遊ぶような子供はいつもの5人だけだった。

周りは田んぼばかりで、階段を30段近くも上がった先にある神社は見晴らしがいいけれど、社務所もないし、訪れる人は少ない。


今日も神社には5人以外誰もいなかった。

「夏休みはどうする?」

頼れるダイくんはさっそく夏休みの予定を立て始める。

神社の砂にそれぞれの遊べない日を書いていく。

1年生のアオトくんにも分かるようにひらがなで書いてくれている。

そしてみんなで遊べる日は一週間くらいという事が分かった。

まずは初日からの3日間。学校のプールがあるからそのあと遊ぶことにした。

そして、8月の下旬の2日間。この日は朝から遊べるので、地域のラジオ体操のあとそのまま神社に集合することにした。


次の日からは夏休みまでを指折り数えながら過ごした。

沢山遊ぶために頑張ってフライングで宿題も始めた。

外は暑いし、すでに先生の話なんて全然頭に入ってこない。

授業中だってにやにやが止まらない。

ずっと何をしようかなと考えていた。


そして、ついに夏休みはやってきた。

夏休みの宿題は半分と少し終わらせた。

今日は学校のプールのあとに神社に行く予定になっていた。

プールでは頑張ってクロールを習得しようともがいているけどなかなか上手く行かない。

一方のサチヨは幼稚園からプールに通っていたから平泳ぎだって上手だ。

同じレーンでは練習できないけれど、列で隣になると「暑いね」「日焼け止め塗ってる?」とたわいもない話をずっと話していた。

最後の自由時間は一緒になって沢山はしゃいだ。


着替えを済ませ、塩素と汗でべたつく身体を気にも留めず、昼ご飯を食べに急いで家に帰る。

家に帰るとシャワーを浴びろとお母さんがうるさいから大急ぎでシャワーを浴びて、昼ごはんのサンドウィッチを口に詰め込んで神社に向かった。

そこにはサチヨとダイくんが待っていた。

「あれ?チイちゃん着替えてきたの?」

「もうお母さんがうるさいからしょうがなくね」

すると階段を一生懸命昇る音が聞こえ、アオトくんがやってきた。そしてすぐあとにユメちんも続いた。


「全員揃ったな。じゃあなにするか?」

ダイくんはみんなを見渡しながら言った。

「私、鬼ごっこ!」

ユメちゃんが元気よく手を挙げた。

「じゃあまずは鬼ごっこにしよう!」

ダイくんが仕切り、初めは鬼ごっこに決まった。


ダイくんが鬼を買って出てくれたので、他の4人は走り回る。

「キャーーーーーーーーーー!」

子どもらしい声が辺りに響き渡る。

「つかまえた!」

一番に捕まったのはサチヨだった。

「えーじゃあ鬼交代ね!」


しばらく鬼ごっこで遊ぶと、ずいぶん汗をかいていた。

各々持参した水筒で水分補給をしながら一休みする。

木陰はまだ幾分風が吹いていて涼しい。

セミの鳴き声は大きく、眼下には田んぼが広がり、遠くを見れば山が見える。

小学生からすればどんな場所だって遊び場だった。


一休みが終わると次の遊びを決めることになった。

「かくれんぼはどう?」

サチヨの提案に異論を唱える人も、賛成を言う人もいなかった。

この神社は昔から『かくれんぼをすると神隠しに遭う』という言い伝えがある。

実際に神隠しに遭ったという話しは聞いたことがないけれど、それでももし遭ってしまったらと思うと怖い。

しばらくするとダイくんは「いいんじゃない?言い伝えなんて大抵大人が危ないからって言ってるだけみたいだし」と明るい声で言った。

ちゃんとチャイムが鳴る5時にはみんなでまた集合しようと取り決め、5人はかくれんぼを始めた。


初めはアオトくんとサチヨが鬼になった。

ユメちゃんはすぐに見つかってしまったけれど、体格のいいダイくんが意外と見つからず時間がかかった。でも結局、アオトくんがダイくんのそばを通った時にダイくんは笑いを堪えられずに見つかってしまった。

今度は千景が鬼をした。

ダイくんは笑い上戸になってしまったのか、ずっと「ククっ」と殺した笑い声が漏れていてすぐに見つかってしまった。

その後も順番にアオトくん、ユメちゃん、サチヨと見つかる。

少しずつ暑さが和らぎ、山に日が傾いていく。

「次で最後かな」

ダイくんの声に「えー」と各々残念そうな声を上げる。

最後の鬼はじゃんけんで再び千景になった。

「もういいかーい?」

「まーだだよー」

何回か声を張り上げる。

「もういいかーい?」

「もういいよー!」

まだだという声がなくなったので探し始める。

暗いのが怖かったのか、アオトくんはすぐそばに隠れていて、すぐに見つけられた。

ダイくんはようやく笑わずにかくれんぼを楽しんでいたが、体格の良さが裏目に出てしまい、頑張っていても背中が見えてすぐに見つかってしまった。

ユメちゃんは身長の小ささも相まってなかなか見つからなかったが、みんなが近づくとドキドキして身じろいでしまい、草のかすれる音でばれてしまった。

残るはサチヨただひとり。

4人はそれぞれ「どこー?」「うまいね」と笑いながら探していた。

しかし、そんな笑い声をかき消すように5時のチャイムが鳴り始めた。


ダイくんが「サチヨー!もう時間だよー!」と声を張り上げた。

だが、しばらく経ってもサチヨは出てこなかった。

焦った4人は精一杯に大声を張り上げ「もう帰っちゃうよー!」「サチヨー!!」呼びかけた。

日は山に沈み始め、辺りはだんだん暗くなっていく。

木々も広場に長い影を落とす。

ユメちゃんとアオトくんは段々涙目になってきてしまった。

千景があやすのにも、ダイくんが声を張り上げるのにも限界がある。

「もしかしたら先に帰っちゃったのかもしれないね」

ダイくんはアオトくんとユメちゃん、そして自分にも言い聞かせるようにそう言うと家に帰ることに決めた。


帰り道、怖がっているアオトくんとユメちゃんを家に送り、無言のままダイくんと千景も歩いた。

辺りの家からは温かい光が漏れ始めている。

ただ、遠目に見えるサチヨの家の明かりは付いていないように見えた。

等間隔に並べられた電線は、頼りない光を灯している。

「じゃあまた」

お互い短い挨拶を交わすと、道を分かれた。


次の日のプールも相変わらずサチヨはいなかった。

ほかにもクラスに友達がいるが、どこか楽しくなかった。

一生懸命泳いでもなかなかうまく進めず、危うく溺れかけた。

家に帰り、シャワーを静かに浴びて、昼ごはんはゆっくりよく噛んで食べた。

お母さんは友達と喧嘩でもしたと思ったのか、あまり深くは質問してこなかった。


家を出て、なんとなく神社に向かう。

そこにはサチヨを除いた3人が集まっていた。

お互いに何を話したらいいのかといった表情をしていた。

「とりあえず他の4人は集まれて良かった」

ダイくんは少し安心した表情で言った。

さらに続けて、「もし、家にも帰っていなかったらきっとサチヨの親が探すはず。だけど昨日はよく耳を澄ませていたけどパトカーのサイレンは聞こえなかった。つまりなんらかの事情があって家にいるのかもしれない。」

アオトくんとユメちゃんは心配そうな表情でダイくんを見つめた。

そこにいつもの頼れるダイくんはいなかった。

チャイムが鳴るより早く解散して、アオトくんとユメちゃんを家に送る。

ダイくんと千景も何となく下を向きながら歩いた。

「明日、どうする?」

ダイくんに尋ねると

「もし明日サチヨが来てたらかわいそうだから俺は行くよ」

と返答があった。

「そうだよね。実は今日プールにも来てなったの。」

「そうか。チイちゃんは神隠し信じるか?」

「うーん、信じてはいなかったけど、今は少し…」

そこで会話は自然と途切れた。


次の日も、サチヨはプールに来なかった。

何となく、来ない気がしていた。

他の友達と適当に話を合わせながらその場をやり過ごす。

家に帰ると、シャワーを浴びる時間も惜しんで、大急ぎでサンドウィッチを頬張る。

「そんなに口に入れたらむせるよ」というお母さんの忠告も聞かずに家を飛び出した。

大した距離もないのに自転車に跨る。

何となく一刻も早くみんなに会いたかった。


当然一番に神社に着いた千景は、何となくブランコを揺らす。

するとすぐに足音がしてダイくんが現れる。

アオトくんとユメちゃんも遅れてやってきた。

2人は不安と恐怖の入り混じった表情をしていた。

「おーーーい!お前隠れるの上手すぎるだろ!いつまでかくれんぼしてるんだよ!上手いからってお前ずるいから禁止な!絶対やらせないからな!」

よく響く声でダイくんが叫ぶ。

「プールまで来ないから私溺れかけたんだからね!しっかりしてよ!!」少し震える声で千景も叫んだ。

アオトくんとユメちゃんも二人に倣って「おーい!」「早く一緒に遊ぼーよー!」と今にも泣きそうな声で叫んだ。

返事もなければ、ひょっこりサチヨが出てくることもなかった。

8月下旬の会う予定はキャンセルにして、今度は9月1日の2学期の始業式の集団下校で合うことを約束し、解散した。


それからの夏休みは、家族でお父さんの実家に行っておばあちゃんとおじいちゃんと遊んだり、残していた夏休みの宿題をやったり、庭でBBQをしたり、比較的充実した毎日を送った。

夏休みの終わりまでは、夏休みが始まる一週間前より遥かに短く、あっという間に終わってしまった。


夏休み明け、9月1日。

少し緊張しながら学校に向かう。

このままサチヨがいなかったらどうしよう。

不安に思いながら教室に入ると、いつもの千景の席の隣にはサチヨがいた。

窓からは白いカーテンが風に煽られて大きく揺れている。

一瞬教室の雑音が耳から遮断される。

そしてそのすぐ後に、雑音が耳に飛び込んでくる。

驚きと不安だった気持ちと嬉しさがこみあげて、複雑な表情をしてサチヨを見つめる。

「泣きそうな顔してどうしたの、チイちゃん?」

その顔を不思議そうにサチヨは覗き込んだ。

「サチヨ…どこに行ってたの?」

「え?どこにも行ってないよ?」


先生が教室に入ってくる。

まだ、教室には夏休みが充満している。

その空気を追い出すように先生が大きな声で宿題の回収を指示した。

サチヨは宿題をちゃんと終わらせていた。

サチヨを見つめていると「チイちゃん今日変なの」と笑われた。

それでいい、いつも通りの日々でいい。


その日の帰りはいつも通り集団下校で顔を合わせた。

みんなさぞ驚くだろうと思っていたのに、誰もサチヨがいることに違和感を感じていないようだったことに拍子抜けをした。

再び集まった神社でも特に変わった様子はない。

「今日何するかー」

ダイくんはみんなが集まったのを確認すると声をかける。

「氷鬼したい!」

元気いっぱいアオトくんが答える。

「アオトくんの願いじゃ聞かないわけにいかないなぁー」

意地悪っぽい笑みを浮かべながらダイくんはアオトくんの頭をぐしゃぐしゃと雑に撫でた。

その日は氷鬼の後、色鬼をして、遊具で遊んだ。

帰り道、ダイくんと2人になる道まで来るとそれとなくサチヨの話をしてみたけれど、ダイくんはまるで何の話をしているか分からないと言った表情をしていた。


それからは、しばらくは神社に集まっていたが、ダイくんが中学生になると自然と誰も神社に行かなくなっていった。

中学校は小学校や神社とは反対側に20分歩いた先にある。

ダイくんは中学でサッカー部に入ったらしい。

部活も忙しくなり、塾にも行っているとお母さん同士の会話で聞いた。

中学生や高校生はどこかかっこいいと思っていたが、実際は忙しくて大変そうだ。


その1年後千景とサチヨも中学生になった。

千景はバスケ部、サチヨは水泳を続けるために部活に所属していなかった。

お互い2年生になると同じ塾に通い、同じ高校を目指した。


中学3年生、千景とサチヨは無事に桜咲き、2人は来年からも同じ学校に通う。

卒業式の予行練習の日、なんとなく2人で神社に向かった。

そこには名も知らない子供たちが5人で鬼ごっこをしていた。

「懐かしいね」

「ねー。ダイくんとかアオトくんとかユメちゃんとかと5人で遊んだよね。みんなどうしてるんだろうね?」

すっかり疎遠になってしまった3人に思いを馳せる。

アオトくんとユメちゃんはまだ小学生と中学生だからこの地域にはいるだろうが、ダイくんについては噂話も聞かなくなった。

「そういえばサチヨって小学校4年生の夏休みに神隠しに遭ったよね?かくれんぼして、探したのにその夏休みは一回も会えなくて、、、あのときってどこにいたの?」

「え?なにそれ?そんなことあった?忘れた!でも普通にプールしたりラジオ体操したりとにかく日々に必死で今とは違う感じの忙しさがあったけど楽しかったなーってことしか覚えてないや!」

あんな大きな出来事を覚えていないなんてと思いつつ、人生においては案外小さいことなのかもしれないと思いながら、辺りを見回す。

どこから運ばれてきたのか、桜の花びらがひらひらと数枚舞っている。

山の木々は新緑が芽吹き、田んぼには水が張られている。

いつまでも自分は変わらないと思っていたけれど変わってしまったのかもしれない。

でもそれでいいと思えた。

もう誰も思い出すことのない小学生の夏休みの話。


𝑭𝒊𝒏.

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