冬虫夏草

藤宮史(ふじみや ふひと)

*

  る晩、中華繁華街の場末の屋台でさけを呑んでいると、隣席した辮髪べんぱつ支那人しなじんと、酔って肝胆相照かんたんあいてらすごとくに意気投合した。支那人は拙僧せっそうに、自分のさけみなおそうと言っている。お目にかけたき物がある、と言う。暫時ざんじ躊躇ちゅうちょしたが、これ御仏みほとけのおみちびきと思召おぼしめして行くことにした。

 支那人の茅屋ぼうおくは、沼のほとりの支那人部落にった。の男は、沼にうかべた小さな木舟に丸屋根を掛けて暮らしている。しかし、ほとんどの支那人は川舟にんでいるので珍しくはない。舟のなかは暗い。舟の家とっても竹編造りのU字型の屋根をせた粗末そまつなもので、中にすと、外のあかりが見えた。はぜ蝋燭ろうそくをつけて酒宴さかもりとなる。やおら支那人は言う。今から、おしえることは、けっして他のひとにはしゃべってはいけない。れは、親兄弟、女房にも言ってはいけない、と言っている。わかった、と拙僧が言うと、暗がりにある小匣こばこの中から紙包を出してきた。拙僧が酒盃しゅはいめるようにながら見守ると、紙包をひろげだした。見ると、あおぐろよごれたもやしのような、ひょろひょろと長い物が五つばかりある。は、支那人が子供の頃に故郷の××山に隠棲いんせいする仙人から分けて貰った物で、神通力じんつうりきさずかる妙薬であると言う。ひとつを粉にしてむと、物がく見え、またひとつむと、物が佳くこえ、またひとつむと、物が佳く触れられ、またひとつむと、物がく味わわられ、またひとつむと、物がく嗅ぎわけられ、とう具合らしい。五つを一度にむと、不老ふろう長生ちょうせいの妙薬になると言う。支那人は、まだ試してはないが、きっと、そうなると言っている。拙僧にれると言っている。しかし、ひとつ頼みがあると言う。なんだ、とくと、妹の命をたすけてれと、言っている。とても非力な拙僧には無理な話だと言うと、金貨一枚でたすかると言う。うことなら大丈夫だと金貨を渡して、妙薬五つの紙包を貰って帰った。


 る晩、支那人から貰った妙薬を取り出して、石臼いしうすいてみた。寺の庫裏くりのなかに麝香じゃこうのような白檀びゃくだんのような良い香りが漂って気鬱きうつが散じていった。どうせなら、五つ一遍いっぺんいて不老ふろう長生ちょうせいの夢を見たいと思って、一度にんだ。しかし、舌に苦いばかりで、って変わりはない。効き目が切れているのかとも思った。


 る晩、また中華繁華街の路上の屋台でさけんでいると、件の支那人が黄麻おうまころも革帯かわおび辮髪べんぱつあげまきの少女の頭のようにしてやって来た。先日貰った妙薬を一遍にんで効き目がなかったと言うと、支那人は笑っている。一遍にむと効き目はわからないと言う。えば、不老ふろう長生ちょうせいの妙薬となるので、成程なるほどき目は、すぐにはわかはずもなかった。しかし、もう五つ妙薬を一遍にめば不老ふろう長生ちょうせいの神通力の仙人になれると言う。もう金貨一枚をと言っている。金貨をわたすと、小さな紙片をわたされた。妙薬は此処ここには無い、と言っている。紙片には地図のような印がしてある。其処そこへ行け、と言う。承知した、と言って支那人は帰っていった。


 る晩、拙僧は茣蓙ござの上にし、夢を見ていた。拙僧の右掌みぎてには、支那人から貰った紙片が握られている。どうやら××山に隠棲する仙人のところへ行くらしい。山径やまみちは思う以上に峻嶮けわしい。みちは先に行く程どんどん細くなって、仕舞には糸のようになった。拙僧の眼には、足許あしもとくさむら鬱蒼うっそうと茂る木立はわからなくなり、糸のように細いみちしか見えなくなっている。山峰を幾つも越えたようだ。また谿澗けいかんも幾つも越えてきた。気がつくと、視界がひらけ、仙人のむ小屋のまえに立っていた。仙人を呼ぶ。すると忽然こつぜんと風のく仙人はあらわれ、なんだ、といてくる。仙人は福禄寿ふくろくじゅのような風貌ふうぼうで、拙僧のこれまでの委細を聞くと、ついて来い、と言って歩き出した。ついて行く。しばらく行くと、眼前に岩山がそびえている。そのふもとに岩窟が口をあけている。仙人は岩窟のなかへ這入はいいって行き、拙僧もついて行く。何時いつの間にか、仙人のにはランタン燈があり、手許てもと足許あしもとばかりでなく、洞内全てが明るい。仙人は、おもむら荊棘ばらの古杖を空中に投げて、の上に乗ってみろ、と言う。成程なるほど杖は中空にうかんでいるに相違そういない。が、細い杖ゆえ乗れるはずもない。駄目だめだ、と言うと、試すように拙僧をうかがって、呵呵かかわらい、ひとり杖に乗って先へ行って仕舞った。拙僧は貰い受けたランタン燈を片掌かたてに不安な気持ちで歩いて行った。しばらく行くと、洞内は丸く広く、天井も高くなっている。天井からは無数の鍾乳石らしきものが下がっている。広場の中央には、大きな円卓えんたくと十脚に余る椅子いすがある。卓上の真ん中にランタンとうを置くと、広場がほんのり明るくなっていった。仙人が坐る椅子の近くに拙僧も腰掛け、仙人の手許てもとを見守ると、小さな石のうすに妙薬をれて粉にしている。時折仙人は椅子いすを立ち、洞内の暗い壁際へ行き、なにやらんでいるようだ。見ると、壁の突起の岩肌からんでいる。仙人が卓子テーブルに戻って、うすをつかっている隙に行って、見ると岩壁の突起に、縦に二列に、百も妙薬が並んで白銀色に生えている。またよく見渡すと、岸壁の突起は他にも、右にも、左にも、其の奥にも、等間隔に丸い洞窟内の壁際を一周している。

 気がつくと、拙僧のかたわらに仙人が立っていた。莞爾かんじと薄らわらいをしている。卒然そつぜん荊棘ばらの杖を振り上げ、拙僧の額に振り下ろした。と思ったら、刹那せつな、仙人の姿は消えていた。眼前の岸壁の妙薬の生えきそっている突起が、女の背中に変っていた。〈完〉


 


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

冬虫夏草 藤宮史(ふじみや ふひと) @g-kuroneko

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ