蝉わめく教室より

Aoi人

青春スターティング

 青春。言い換えればアオハル。

 言い換える必要があったのかと言われると、たぶんない。なんとなくやってみただけだ。

 後ろから二番目、眩しすぎるくらい太陽の光が入ってくる窓際の席で、私だけが一人、小綺麗になった教室に残っていた。教卓の上にポツンと備え付けられている時計を見ると、もうお昼一時を過ぎている。そういえば今日は終業式だったことを今さら思い出した。

 お腹が空いたなぁと思いながらも、体は動きたくないと駄々をこねている。人間の三大欲求の一つがこの程度の駄々に負けるのかと自分の欲求を煽ってみたが、それでも体の駄々には勝てなかった。雑魚がよぉ。

 だらだらと時間だけが過ぎていく。こんなときは毎回、時間が止まらないかなと叶いもしない願いが頭に浮かぶ。それでも無情に、時計の針はチクタクチクタクとお節介を焼いてくる。正直言って、迷惑極まりない。

 ため息を一つ大きく吐いてから、無駄に晴れている青空に目を向ける。蝉の声がうるさい。蝉の声というと、なんだかミーンミーンという感じのものを思い浮かべそうになるが、実際はじぃ〜ともヴィ〜とも言い表せないなんとも珍妙な声のような気がする。私だけだろうか。

 くだらないことを考えながら、夏だなあなんて風情のかけらもない感想だけが口から漏れ出る。ただ教室はそれと相反するように、少し肌寒かった。エアコンの温度を変えるためだけに動く気は毛頭ないが、形だけでも誠意を示すために教室を見回す。

 無意識に目が向ってしまう先は、前から二番目で、廊下側から三列目にある、言ってしまえば初恋の人の席だ。まあ、その人にはもう素敵なお相手さんがいるらしいんだけど。

 風の噂、もといクラスの陽キャたちのくだらないおしゃべりの盗み聞きの中で、あの人にはもう素敵なお相手さんがいることを知った。告る前にフラれるなんてインターネットオタクの被害妄想程度に思っていたが、なるほど、こういうことだったのか。ちょっと腑に落ちた気分。

 ちなみに、相手がどんな人なのかは知らない。名前以前に、男なのか女なのかさえも、私は何も知りはしない。情報と言えるものは、ただの一つも持っていない。ただ一つ確かなのは、少なくとも私よりかは素敵な人ということだけだ。ちくしょう、私がもっと素敵な女だったら…

 とは言っても、やはり努力は面倒くさい。努力は報われるなんていうが、そのためには、面倒なことに努力しなきゃならない。いくらあの人が好きでも、怠惰と結婚している私を動かせるほどの力はなかった。なら私は本当に恋なんてしていたのだろうか。

 少し悩もうとしたけど、やっぱり面倒だったからやめた。どうせ終わったことだし、考えたところで何かが改善するわけではない。ならもう無視でもしたほうが有益に決まってる。

 ただそれでも、頭の中はごちゃごちゃしたままだった。未練というのはなんとおこがましいことか、まったく頭から出ていかない。今の私みたいにだらんと居座って、無益なことばかりする。なんか少し親近感湧いてきたかも。

 ただ、やはり気分がいいものとはいえなかった。

 「うおおおおおおおおおおおおお!!!!!」

 唐突に大声を出して、私から一番近い窓を勢いよく開けて、グラウンドに向けて思いっきり叫んでやる。

 「青春のくそったれえええ!アオハルなんてイキんじゃねえええ!!」

 もしかしたら、まだグラウンドには誰かいたかもしれない。少なくとも、校舎には私の見知った先生がいることは分かっていた。ただ、正直そんなの気にするほど私の心は暇してない。

 だから、今を思いっきり青春してやった。それでもやっぱりなんかモヤモヤしてる。

 だったら晴れるまで青春してやればいいのだ。世間も成績も恋も友情もなにもかもぜーんぶ関係ない。私の青春は今、始まったんだ。

 ならばこんなことはしてられない。青春とは、短く忙しいものだから。せっせと青春をしなくては、あっという間もなく青春が過ぎ去ってしまう。それは得策ではないだろう。

 「おい、さっきの叫び声、お前のじゃないだろうな?」

 教室の後ろの方のドアに先生の姿を発見する。走ってきたのか、少し息が荒かった。おやおや、まさかここで先生さんのご登場ですか。ただ残念なことに、今は先生にかまってる余裕なんてないのですよ。

 「さぁ?蝉でもわめいたんじゃないですか?もうすっかり夏ですし」

 「…まぁ、蝉なら仕方ないか」

 きっと、今適当に考えた嘘だってことはバレてる。それでも、先生は苦笑いを浮かべるだけだった。先生のそういうところ、嫌いじゃないですよ。まぁ、気恥ずかしいから、思っても口には出さないけど。

 「そういうわけなので、先生、さようなら」

 「ああ、さようなら」

 いつもより少し重みのある鞄を持って、早足で教室から出ようとする。

 「…ちょっと待て」

 教室を出ようとした瞬間、先生から呼び止められる。流石に怒られるかなと覚悟を決めていると、先生から市民プールの使用権を一枚押し付けられた。

 「大人は忙しいからな。青春、してこいよ」

 「…!はい!」

 めいいっぱいの返事で答える。先生が少し笑ったように見えたけど、私が振り返るほうが早かった。

 夏が始まり、青春が合図を送ってくる。それに答えるために、足に思いっきり力を込めてやる。

 それでも蝉の声は、相変わらずうるさかった。

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