第3話

   

 たとえ固い土だとしても舗装された道路よりは柔らかくて、足音は響きにくいはず。よほど近いところから聞こえてきたに違いありません。

 慌てて振り返ると、少し後ろに人影が一つありました。がっしりした体格の男の人です。

「ああ、やっと止まってくれた……」

 そのつぶやきは小さくて、良子ちゃんにはよく聞き取れませんでした。

 ただ、ちょうど月明かりに照らされて、男の人がニヤリと笑ったのは見て取れました。

「きゃあああっ!」

 良子ちゃんは悲鳴を上げて、急いで走り出すのでした。


「はあ、はあ……」

 荒い息を吐きながら、良子ちゃんは必死に逃走します。

 昼間でも人通りなんて皆無の林道なのに、暗い夜にわざわざ普通の大人が入ってくるとは考えられません。ならば、あの男の人は普通ではない。きっと変質者です!

 山奥ではないのだから、熊や狼よりも、危ない人にこそ注意するべきでした。「気をつけて」とお父さんやお母さんが想定していたのは、今みたいな状況だったのでしょう。

「ちょっとしたショートカットのために、言いつけを破ってしまって……。ごめんなさい、ごめんなさい」

 心の中で何度も謝りながら走り続けるうちに……。

 ようやく街灯の光が視界に入りました。


 あの通りまで出れば通行人の姿もあり、助けを求めることも可能となります。たとえ誰も歩いていない場合でも、夜遅くに住宅街の近くで叫べば、どこかの家から誰か出てくるはず。

 そう考えた良子ちゃんが、ホッと一安心した瞬間。

「追いついた……!」

 野太い声が聞こえてきて、後ろからガシッと肩を掴まれました。


 恐怖で体が硬直して、相手の腕を振りほどくこともできません。

 その場で立ちすくみながら、ゆっくりと首だけを後ろへ回すと……。

 肩に乗せた右手とは反対側の手で、良子ちゃんに何かを差し出す男の人。

 顔には温和な笑みが浮かんでいました。

「これ、君の落とし物だよね?」

 それは見慣れた定期券でした。


「びっくりしたよ。獣道みたいな細道の入り口にこれが落ちていて、しかも小さな女の子が駆け込んでいくのが見えてね。真っ暗で危ない中を……」

 良子ちゃんの足が速くて、追いかけるのが大変だった……。

 彼の説明をボーッと聞きながら、良子ちゃんは何度も頭を下げます。

 口では「ありがとうございます」を繰り返すと同時に、心の中で固く決意するのでした。

「今夜のことを教訓にしよう。夜道はしっかりと注意して、きちんと明るいところだけ通って帰ろう!」と。




(「夜の近道」完)

   

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夜の近道 烏川 ハル @haru_karasugawa

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