3 祓い士は帰りたい

 祟り魔を祓い終え、意外にも主がぴんぴんしているということで、可瀬はいきなり手を握ってきた男──ではなく、夫になる男と改めて対面することになった。

 今は奈宅が引き剥がしてくれたおかげで、身の安全を感じる距離を保てている。


「遠い村からよく来てくれた。くずの真人まひとだ」

「日野村の可瀬と申します」


 可瀬はぎこちなく目の前に座る男に頭を下げた。真人の傍らに座る奈宅が、のんびり顔を「いやあ」と崩した。


「それにしても可瀬さま、人違いだなんて──。そんなに恥ずかしがらずとも!」

「いえ、この婚姻の話をなんとか回避できないかと思っただけです」


 ほぼ奈宅の声にかぶせる形で可瀬はすぐさま言い返した。さっきの大立ち回りで、結い上げた髪は乱れ、衣裳きぬもも着崩れておかしなことになっている。腰に巻いた母親特製の赤い飾り帯だけが、辛うじて「今日の娘は特別です!」と主張していた。


 向かい合って座る真人は、先ほどまで祟り魔に憑かれていたのが嘘のように涼しげな顔をして、都人みやこびとらしい上品なたたずまいでこちらに柔らかな笑みを向けている。

 光沢のある色鮮やかな上衣に身を包み、髪は耳の両側で幅広の紐を使って綺麗にまとめられ、そこから肩に落ちていた。この髪型は、都人でも身分の高い者がよくする髪型である。


「挨拶が遅くなったね。よく来てくれた、可瀬」


 端整な顔立ちで見つめられ、可瀬は(こんな田舎者が同じ空間にいてもいいのか)と、ひどく恐縮してしまう。そもそも、田舎の村長むらおさの娘と都の中央豪族、誰がどう考えても夫婦になりえない組み合わせだ。

 すると、そんな可瀬の気持ちを知ってか知らずか、奈宅が「ほほほ」と満足そうに笑った。


「さすが祓い士、あの祟り魔を怯むことなく祓うとは。ねえ、真人さま」

「ああ。今日のは、わりと強情な子だったからね」

「はあ」


 可瀬は気のない返事を彼に返した。この家人にしてこの主といったところだろうか。

 さっきのあれは、そこそこ強力な祟り魔だった。それを「強情な子」なんて呼ぶ人はいない。何より、祟り魔が憑いていた割には本当にぴんぴんしている。つまりは、相当の胆力の持ち主だということになる。その整った繊細な顔つきからは想像もできないが。


「何があったんですか? 祟り魔が憑くなんて」

「仕事柄、祟り魔に憑かれやすくてね。お父上から何も聞いていないか? 俺は癒師ゆしなんだ」

「癒師、」


 可瀬は、彼の言葉を繰り返す。

 癒師ゆしとは、「心気しんき」と呼ばれる自身の心に宿る気を操って、人々の病や怪我を癒す希少な術師のことだ。病気や怪我を祈りによって治療する者は数多く存在するが、癒師は現在二人しかいないと聞いたことがある。

 その一人が目の前にいることに可瀬は驚きつつ、同時に「なるほどな」と納得した。

 なぜなら、病には祟り魔が関わっていることが少なからずあり、癒師は治療の過程で身代わりに憑かれてしまうことがあると聞いたことがあるからだ。



「では、真人さまはどなたかの身代わりに?」


 もともと強い心気の持ち主である癒師は祟り魔を跳ね返す力も強いが、癒しを施している最中は無防備となる。誰かの身代わりに祟り魔に憑かれ、命を落とすこともあるという。

 真人がふわりと口角を上げ、嬉しそうに目を細めた。


「可瀬、おっとのことをさっそく心配してくれるのかい?」

「本当ですな、真人さま。出会ったすぐから相思相愛とは。真人さまは幸せ者ですぞ」

「違います。祓い士として気になっただけで、恋愛的な感情ものは全くありません。お二人とも質問に答える気、あります?」


 人の話を聞かないのは、都人の特徴か? 可瀬はぴしゃりと言葉を返す。と、真人がおかしそうにくすくす笑った。


「その忖度そんたくのない物言い──。いいね可瀬、もう理想的過ぎてゾクゾクするよ」

「……!」


 思わず可瀬は、ぶるりと体を震わせた。これは、あれか。まさかの打たれ好き──。

 ある意味、さっきの祟り魔より厄介な相手かもしれない。ちなみに、可瀬の当たりがきついのは生来の性格であって、そういう趣味があるからではない。

 可瀬の直感が告げる。都人は面倒であると。


「日野村に帰ります!」


 ここに来て、さしたる時間も経っていないが、可瀬はいとまを申し出た。そもそも、どうして自分が妻として召されたのかやっぱり理解できない。

 しかし返ってきたのは、穏やかではあるが有無を言わせない強い声だった。


「駄目だよ、可瀬」


 真人が夜の湖水の思わせる黒い瞳をふわりと和ませる。


「可瀬は、俺と共にあらねばならない。日野村には帰れない」


 他を圧する静かな声が広間に響く。彼女はごくりと生唾を飲み、真人はにっこりと笑った。

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