金青の癒し、銀朱の祓い

すなさと

第1話 祓いの炎は、癒しの風と旅立つ

1)女祓い士、妻見習いとなる

1 主が腐っている件

 可瀬は目の前に横たわるを見て、ひくりと顔をひきつらせた。


 ここは誰もが憧れる安万慈あまじ国の都、清御原きよみはら。そして、彼女がいるのは、とある大きな邸宅の板の間である。簡素でありながら高そうな調度品がそこかしこに置かれているそこは、可瀬の家族全員が寝てもまだ余裕があるほどの広さがある。

 本来であれば、へんぴな日野村からやってきた自分としては感嘆の声を上げるところだと思う。しかも、自分は妻として召されて今日からここに住む訳だから、嬉し涙の一つも流していいかもしれない。

 しかし、とてもじゃないが、今はそんな状況ではなかった。


「奈宅どの、あれはなんです?」

「は、あるじでございます」


 奈宅という名の初老の家人は、至極当然とばかりに可瀬に答える。しかし彼女は、禍々まがまがしい闇の気を放っている黒い塊を、わなわなと震えながら指差した。


「あなたの主はたたり魔か何かか?」

「いいえ、まさか。ただの人にございます」

「や、人って──! 人の形を成していませんが?!」


 まがいなりにも「妻」として屋敷に上がるということで、可瀬は普段ほとんど着ることのないひらひらとした衣裳きぬもを着ていた。

 顔に化粧を施すのも首飾りを身につけるのも、ましてや髪を結い上げてくしを挿すのも、本当に久しぶりだ。ちなみに、腰に巻いた色鮮やかな赤い飾り帯は、この日のために母が寝る間も惜しんで織ったものだ。

 彼女も十八の娘である。目鼻立ちもわりとはっきりしており、見た目もそこそこ可愛い。だから、着飾ればそれなりに美しい──、と言うのは両親の言葉だ。今日の彼女の出で立ちは、両親渾身の作と言っても過言ではない。


 ただ、手には似つかわしくない一振りの大刀たちが握り締められている。当然ながら「持っていくな」と両親に大反対されたが、大刀は神聖な物であるし装飾品の一つでもあると彼女は強引に押しきった。

 普段からひらひらした服を着ないのも大刀たちを持っているのも、彼女がとある特異な仕事に就いているからで、そもそも彼女は結婚などする気がない。

 いっそ、「大刀たちを片手に主に会おうとする無礼な娘」と追い返されれば願ったりかなったりだと彼女は思っていた。


 それなのに、いざ主が待つという部屋に案内されて来てみると、それらしい男の姿はどこにもなく、あるのは異様な気と臭いを放つ黒い塊である。


 ぐずぐずに腐った表面はどろりとただれ、手足もなければ顔もない。そもそも生き物かどうかも疑わしい。

 可瀬はやれやれと大きなため息をついた。


「とにかく祓います。これが祟り魔であるか人であるかは、後から考えることにします。家族の反対を押しきり大刀たちを持ってきて正解でした」

「人だと言うておりますのに」

「あなたにとっての人の定義はどうなってるんですか!」


 この家人、わりと意見を曲げない。と言うか、この状況に動じるどころか、めちゃくちゃのほほんとしている。

 可瀬は奈宅をじろりと睨みつつ、大刀たちをすらりと抜いた。


 彼女は、「祓い士」である。

 世にはびこる祟りや呪いを、大刀に宿る神気じんきを使って祓うのが彼女の仕事であり役目だ。幼少の頃から神気じんきの扱いに秀で、師匠でもある父に祓いの技を厳しく教えられた。

 今では女でありながら、日野村の名を背負う女祓い士だ。


炎倶神ホノトモノカミ御名おんなのもと祓い奉る──」


 直刀を体の正面に立てて持ち、可瀬は闇の気を放つ黒い塊に目礼する。

 祟り魔と言っても、相手を敬う気持ちを忘れてはならない。祓い士として基本中の基本であるが、最も忘れてしまいやすい心構えだ。

 祓い士は祟り魔を「退治」していると思われがちだが、そうではない。魔を祓い、あるべき姿にかえすのが祓い士の仕事である。


「いざ、」


 彼女が刀を構えた。裳の裾が足まわりでもたつくが、相手も動きが鈍そうなのでよしとする。可瀬の頭上で刃がきらりと鋭く光った。

 呼吸を整え、ゆっくりと真っ黒な祟り魔との間を詰める。握る柄から刀に宿る神気じんきを感じる。それを意識の中で凝縮させれば、刃は銀朱色の光を放った。

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