5 決定的に欠落している

 真人が申し訳なさそうな眼差しを可瀬に向けた。


「奈宅が無茶なことを頼んですまない。可瀬が驚くのも当然だ。でも、俺からもお願いしたいんだ」

「……私じゃないと駄目な理由は?」


 可瀬はあらためて真人に尋ねた。彼は、彼女に向かって指を一本立てた。


「一つは、俺が癒師ゆしであること。さっきのように祟り魔を家に持ち帰る場合もある。都で適当に何も考えず育った姫君に祟り魔の相手はできない。奴らは座って、オホホと笑うかオヨヨと泣くかのどちらかだ。足拭き用のムシロでも、奴らよりは役に立つ」


 さらりと出てきた都の姫君に対する暴言がすごいが、そこは本題ではないので聞き流すことにする。こくりと頷く可瀬に向かって、真人はさらにもう一本、指を立てた。


「そしてもう一つ。にもかかわらず、縁談の話がうるさいこと。都で適当に暮らしている豪族が、毎度のように話を持って来る。やんわり断っても同じ話を何度も何度も──、あれは阿呆か? うん、間違いなく阿呆だ」


 優しい顔をして、他の豪族に対する暴言もひどい。でも、そこも本題ではないので聞き流す──が、さすがに頷くことは出来ず、彼女は彼の次の言葉をじっと待った。

 真人が夜の湖水のような青みがかった黒い瞳を細め、涼しげな顔で笑う。


「だから、こちらで勝手に妻をめとってしまおうと考えたんだ。夫の仕事の補佐もできる相思相愛の妻がいると分かれば、誰も俺に姫君をあてがおうなどと考えない」

「……あのう、という部分が決定的に欠落していますが?」

「そこは、なんとか」

「や、そこ一番大事な部分ですよね?! なんとかって、なんともなりませんよ!」


 結局のところ、真人も「とにかく妻になってくれ」と言っているだけだ。さらに言うなら、「祓い士の仕事」だけでなく、「相思相愛」という課題までが加わって、やることが増えている。

 このあるじ、家人に増してごり押し感がすごい。

 可瀬は呆れて言葉に詰まる。しかし、そんな彼女に対し、真人は少し意地の悪い顔をした。


「それに、これは日野村のおさである国見どのにお願いした話だ。国見どのからは、使者を通じて了承を得ている。可瀬が断るとなれば、お父君が約束を違えたことになる。中央豪族であるくず氏相手に、それはまずいんじゃないか?」

「そんな──。確かにそうですけど」

「けど?」

「……卑怯、です。今さら中央豪族であることをチラつかせるなんて」


 遠慮がちに、しかしはっきりと可瀬は呟いた。

 日野村は、鍛冶の技術と祓い士の存在のおかげで、他の村より立場が強い。彼女の無礼な物言いも、その立場の強さによるものであるが、正面きって豪族たちに楯突ける訳ではない。

 だからこそ、両親の顔を立てるため、ひいては日野村に迷惑をかけないため、自分は嫌々ここに来たのだ。

 ちらりと上目づかいで真人を恨めしげに睨む。彼は困った様子で奈宅と目を交わしつつ苦笑した。


「卑怯か。確かに中央豪族の立場をチラつかせるやり方はそうかもしれないが、可瀬に断られるとこういう問題が現実に起こる。ただ──、可瀬にそんな風に言われたくはないな。となると、やはりここは奈宅の言う通り妻見習いが適当だと思うけれど?」

「意味が分かりません」


 むすっと可瀬は目をそらした。そんな彼女に、真人がついっと身を乗り出して含みのある眼差しを向ける。


「妻見習いは、正式な立場ではないけれど、妻になろうとしている訳だから国見どのの面目も立つ。でも、あくまでもだから、仮に日野村に帰ることになっても面倒なことにもならない」

「……それは、いつまで?」

「せめて三か月くらいは、その後のことはそれから考える」


 可瀬は、あちこち視線を泳がせ思案する。なんだか上手く丸め込まれた感じはするが、確かに正式な「妻」になるより、「妻見習い」の方が気楽である感じはする。実際、中央豪族の申し出を断れないとすればなおさらだ。


「いくつかお願いをしてもいいですか?」

「もちろん。可能な限り、希望は叶えるよ」


 真人が快諾してくれた。可瀬は、「それじゃあ」と遠慮がちに口を開いた。


「毎朝、剣の鍛練をしたいです。あと、こういうヒラヒラした格好は苦手なので、私も衣袴で過ごします。それと、祓い士としての仕事をここでも続けたいです」

「うん、分かった。そのように取り図ろう」


 可瀬の言葉を受けて、真人が奈宅に目配せする。全てを同意するかのように、家人は恭しく頭を下げた。


「じゃあ可瀬、あらためて妻としてよろしく」

「そこ、です」


 重要なことなので、可瀬はすぐに言い直した。

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