人生近道クーポン券
壱単位
人生近道クーポン券
「さあ、どうか。しっかりしがみついていてくださいな」
亀は嬉しそうにそういうと、前をむき、すこし真剣な表情になった。
もっとも、爬虫類のわずかな表情の変化を読み解く技術を、この浦島浜に暮らすまずしい漁師の若者が知っていようはずもない。
そもそも、亀がくちをきく時点で絶倒ものなのであるが、彼はそれほど感受性の鋭いほうではなかったから、そうか、亀もしゃべるのだな、とゆるい感想をいだいた程度である。
ただ、甲羅にまたがり、その突起にしっかりしがみつくや、亀がかなりの速度で海にむかって突進しはじめたから、そのときはさすがの若者も、引き攣った。
海面に接触する。が、亀の周囲、現代の基準でいえば直径二メートルほどが、空気の球のようなかたちになり、海水の侵入をゆるさない。どういうしかけか、息が苦しいということもない。
「いやあ助けていただいてありがとうございました。今回はちょっと、乱暴なこどもだったので難儀してました」
海中を進みながら亀が気軽に話しかける。
「今回?」
若者が聞き咎めると、甲羅が揺れた。動揺したらしい。
「い、いえ……実はこれ、何回めかで。わたし、おっちょこちょいで、よく捕まるんですよね、わるがきに……」
「そうなのか。それは、大変じゃなあ」
若者は素直で真面目で、ことばを変えれば、抜けていた。だから現在の状況にもすぐに馴染んだし、亀のことばに率直に同情した。
と、前方にきらびやかな、城。
海水は透き通っていて澱みがない。海面のひかりをわずかにうけて、薄い藍色に揺れている。その海水をとおし、若者がみたことがないような美しい城、あるいは宮殿がみえてきた。
亀が近づくと、壁の一部が音もなくひらく。左右で不思議な服装のおとこたちが誘導する。入り口をくぐると、左右から伸びてきた金属の腕のようなものに甲羅を固定される。
若者は、左右に近づいてきたおとこたちに手助けされ、甲羅から下された。あたりを見回す。彼には、なにやらきらびやかな銀の装飾、と見えている。各種の計器、機材、パイプといったものがぎっしりと詰め込まれた、ハッチなのである。
亀は、甲羅を脱ぎ捨て、ぽんっと地面に降り立った。
ひと型の、頭だけはもとのままの亀は、タオルで頭を拭きながら若者に笑いかけた。
「じゃあ、いきましょう。すでに司令……乙姫さまには連絡をいれています。歓迎の準備はできているはずです」
若者はすなおに頷き、亀のあとをついていった。
そうしてとおされた大広間。
若者には表現のすべがなかったが、この世界で得られた事象のほか、かれらのふるさとから持ち込んだ芸術までも反映された、豪奢な部屋である。
その中央に、美しい女がたっていた。
白銀のながい髪。おなじいろの瞳。見慣れぬ装束を身につけ、なにかの箱を持っている。
「ごめんなさいね、ちょっと時間、なくなっちゃって。ほんとうはお食事なりお酒なり、出そうと思ってたんだけど、予定変更。おみやげだけ用意したから、もってって」
「えっ。そうなんですか。宴会なし? わざわざ連れてきたのに?」
亀が抗議すると、女は眉をしかめた。
「なにいってんの。あんたこれ何回目よ。いいかげんリスケするこちらの身にもなってよね。標本採集だって四十パーセントの……」
「……うう」
やり込められた亀は、若者の方に振り返った。
「すみません、そういうわけで、せっかくお連れしたけど……おみやげだけになっちゃった。ほんと、ほんとすんません」
ふかぶか、辞儀をする。
「えっ、いや、うん、かまわぬ、なんだかわからんが……」
亀はぱっと顔を輝かせた。
「そうですか! じゃ、こちら、おみやげです。はい!」
女の手から箱をうけとり、若者にわたす。
「じゃあ、戻りましょうか。浦島浜までお送りします。ほんとすみませんね、ばたばたして。いやあ、宴会中止なら中止って、途中で連絡くれればいいんですけどね」
嫌味のようにいい、女のほうを振り返ったが、鋭い眼力に射すくめられ、へへ、と笑った。
若者は入ってきた時と同様に亀にみちびかれ、ふたたび甲羅を装着したその背に乗り、浜に戻って行った。
「……ところで司令、こんどのおみやげ、なんだったんですか」
なにかの盤面を操作しながら、男が、銀髪の女にはなしかける。
「それがさあ。あの亀、もうこれで十回目じゃん。浜のひと、連れてくるの。おみやげにするものもなくなっちゃって、しょうがないから、このあいだ当たったクーポン券、入れといた」
「クーポン券?」
「うん、人生近道クーポン券。ほら最近、あたしたち寿命が五百万年くらいで長すぎって、問題になってるじゃん。退屈だって。だからほら、ちょっと、百年くらいショートカットできちゃうらしいのよ、そのクーポンで」
人生近道クーポン券 壱単位 @ichitan
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