限りなく聖女で、限りなくそうでない少女

しぎ

彼女の最後


 ――彼女は、命を落としてなお、美しかった。


 白い軍服は血で染められ、その下の体ごと大穴が空いている。人間の持つ剣や、刃物の類では絶対にできない、魔族の武器特有の残虐性の高い傷。即死、だという。

 

 魔族は人間の兵士に扮して俺たちの中に紛れ込み、疑うことを知らない無垢な彼女を兵士詰所の空き部屋に誘い出し、不意を突いたらしい。

 きっと命が尽きるその瞬間まで、彼女は自分が騙されていることに気づかなかったのだろう。


 ……その証拠に彼女の顔は、傷だらけの体からは考えられないほど、優しい顔をしていた。

 いつも俺たちに見せるのと同じ顔で、静かに目を閉じていた。

 でも、その目が開くことは、もう無い。



「明日、葬儀を執り行う」

 上官がそう言って、部屋を出ていく。

 それでもなお、場を支配する重苦しい雰囲気。


 あちこちからすすり泣く声が聴こえる。

 俺はどうすればいいか分からず、建物を出た。


 重苦しい雰囲気は、それでも変わっていない。

 街にも、聖女の死が伝わっているのだろう。

 ……いや、それより前から、この街に横たわるものは重い。



 ***



 俺の生まれる前から、ここは魔族との戦争の最前線にある街だ。


 この街に来る人間は、国の各地から集められた俺のような兵士か、負傷して治療を受けるために……聖女に治癒されるために担ぎ込まれてきた兵士か。

 当初はそんな兵士相手の商売で活気にあふれていたという街だが、さすがに二十年以上続くと疲弊してくる。


「……聖女様がいなくなったら、この街は本当におしまいだ」

「やっぱり、魔族とは力の差があるんだ。今なら多少譲歩しても、なんとかなるんじゃないか」


 街のあちこちから、そんな感じの声が聞こえてくる。

 普段は『魔族は皆死んじまえ』と息巻いている屋台の主人も、元気ない声で『聖女様……』とだけ言っている。


 

「……聖女『様』か」

 改めて、彼女がこの街をつなぎとめていたんだ、と実感する。

 

「その首飾り、素敵」

 目を閉じると、そう言って微笑む彼女の顔が思い浮かんで。

 年齢相応の無邪気な笑顔を想像できる人間は、彼女と直接対面した人以外にはいないだろう。



 ――彼女は本来、とても聖女様なんて言われて祭り上げられるような、大人な人間じゃないはずだ。

 

 20才の俺の、肩の下ぐらいまでの背丈しか無い。多分12〜3才……いや、もしかしたらもっと年下かもしれない。少なくとも、今年15才になる俺の妹よりは下だろう。

 折れそうなくらい細くて、透き通るような手足。軍服はいつもブカブカ。


 ……正直、俺たちが当初思い浮かべていた聖女のイメージとは、まるで違った。

 

「彼女が来たからには、我々は百人力だ。みな、思う存分戦ってきてくれたまえ。戦場で何があっても、ここに戻りさえすれば彼女が癒やしてくれる」

 ちょうど一年前、彼女を紹介したときの上官の言葉だ。


 ……こんな小さな子が? 俺らの救世主?

 俺含め、全兵士がそう思ったことだろう。

 死んでいない限り、どんな重傷でも立ちどころに回復させる治癒魔法の使い手……と聞いていたのに。

 とても、こんな殺伐としたところにいていい子供ではない。


 

 ……しかし、その疑念はあっという間に晴れる。


 数日後、負傷した兵士たちが一室に集められた。

 俺はかすり傷程度だったが、足を骨折した者。あらぬ方向に腕を曲げられ、骨が見えてしまっている者。毒にやられ、呼吸もままならない者。大火傷で、皮膚がただれてしまっている者。

 負傷の程度も、種類も様々。


 そこにやってくる彼女。

 部屋の入口に立ち、両手を俺たち兵士に向かって出す。

 そして、無邪気な声で一言。


「ヒール!」


 次の瞬間、部屋全体が白い光で覆われて……



「……痛くないぞ!」

「治ってる……!」

「俺ら、生きてるんだな……!」


 目を、耳を疑った。

 もうこの部屋に、負傷兵はいない。

 全員が、これから戦地に赴くかのように、元気に満ち溢れている。


「皆さん、大丈夫です?」

 そして、優しく笑いかける少女。

 彼女を疑うものは、一瞬でいなくなった。


 ……確かにこれは、救世主かもしれない。



 それから彼女は、毎日のように負傷兵にヒールをかけ続けた。

 もとより攻撃魔法に比べ、治癒魔法を使える人は多くない。

 それも、瀕死の重傷者が何人いても即無傷にしてしまうほどに強力な魔法の使い手となると、過去にもいたのかどうか、というレベル。加えて、そんな魔法をどれだけ使っても、彼女は消耗する様子すら無い。


 聖女。そう彼女を尊ぶ声は、日に日に高まっていった。



 ***



 ――半年近くが経ち、聖女の噂は街中でも、知らぬ人はいないほどに広まる。


 街のどこでも、聞こえてくるのは聖女への感謝の言葉。

 

「大丈夫。この街には聖女様がいるんだ」

「我々には聖女様がついている」

 それを合言葉に、聖女の存在はどんどん祭り上げられていった。

 

 きっと街の人々は、聖女のおかげで兵士の士気も高まり、やがては戦況も好転し、魔族との戦争もいずれは終結するだろう、そう思っているのだ。

 彼女を直に見たことのある人など、ほとんどいないのに。

 

 ――では、実際はどうか?



「その首飾り、素敵」

 兵士詰所の中庭。

 補給物資が来るまでの間、俺がぼんやりと茶色い壁に囲まれた曇り空を見上げていると、彼女のすっかり聞き慣れた声がした。


「ああ……ありがとう」

 芝生に座り込んでいる俺の隣で、壁にもたれかかる彼女。

 俺と違い、彼女に疲労の色はない。


「……疲れて、ないの?」

「平気。兵士の人達に比べれば、わたしは全然」

 半年で少し痩せてきた俺の身体を見ながら、彼女は話す。


「わたしが来てから、兵士の人達、毎日毎日……みんな、疲れてるよね?」

「……疲れてるよ。出撃回数は格段に増えた。俺なんかまだマシな方。心が完全に参っちゃって、出たがらないやつが何人もいる」


 ……そうだ。

 彼女が来たことによって、負傷兵の治療にかかるコストは、ほぼゼロになった。

 彼女に何か無い限り、どんな重傷者も立ちどころに回復し、まるで出撃前の状態のようになる。疲労も無くなる。彼女のヒールを受けた後は、冗談じゃなく身体が軽くなるのだ。


 そうなると、兵士の出撃間隔はどんどん短くなる。

 俺が兵士になった頃は月に一回だった。

 それが週に一回になった。

 三日に一回になり、二日に一回になり、ついには毎日戦場に送られる小隊も出てきた。

 でも大丈夫なのだ。聖女がヒールをかけてくれるから。


 

 ――ただし、例えどれほど強力なものであっても、ヒールが効果を発揮するのは物理的な負傷に関してのみだ。

 魔族の攻撃を受け、死と隣り合わせの状態が毎日続く状況など、立派な騎士様ならともかく、平民上がりの俺たち一般兵士が平静を保ってられるはずがない。


 戦場で、明らかに無謀な突っ込みをする者。

 そのまま消息不明になってしまう者。

 兵士詰所では、怯えて部屋から出たがらない者。

 除隊を志願する者。


 そんな人間は、増えるばかりだった。



「……ごめんなさい。わたしのせいで……」


 聖女は顔を覆う。


 兵士たちの心が壊れてしまったのは誰のせいかといえば、この聖女のせい、ということになるのだろう。

 しかし、それで彼女を糾弾する気には、俺はとてもなれない。


 彼女に悪気が無い、ということは火を見るよりも明らか。

 では、悪いのは出撃を指示する上層部?


 ……確かに心のケアをもうちょっとなんとかしてくれと思わなくはないが、出撃回数を増やすのは当然の成り行きだろう。今の戦況の厳しさを考えれば、なおさら。


 そう――悪いのは、きっと今のこの状況なのだ。


「謝らないでくれ。今は戦争中、非常事態なんだ。ある程度は仕方ない」


「そんなことないよ……今度また、偉い人に言ってみる」

 彼女はほんの少しうつむく。


 ……あなたがそんな顔をしたら、兵士詰所で明るく振る舞う人がいなくなっちゃうじゃないか。


「あなたは優しいのね。さっきの人は……『聖女だかなんだか知らんが、お前が来てから軍はおかしくなった!』って言ってたのに……」

 

 その光景も俺は見ていた。

 しかし、それもまた真なのだ。

 俺らには、どうすることもできない。


「う〜ん……あなたを見てると、妹を思い出すから、かな。あなたを悪くは、言いたくない」

「妹?」

「ああ。……この首飾りも、妹からもらったんだ」


 名前も知らない、雑草の花をかたどった首飾り。

 ……これを見て、故郷の妹や家族のことを思い出していなかったら、俺も心が壊れていたかもしれない。


「素敵だね。……その花の花言葉、知ってる?」

「え……」


 俺は花には詳しくない。……でもそういえば、妹は家でも良く花の図鑑とにらめっこしてたな。


「『あなたに祝福があらんことを』……その首飾り、大事にしてね」


 そう言って、聖女はまた無邪気に笑う。

 その顔は、妹や、街で見かける同年代の子供と、何ら変わらなくて。


 彼女も俺と同様に、この街に近い農村の一般家庭出身だという。

 もしこういう形で知り合ってなかったら、もっと近い距離で接していられたのだろうか。



 ***



 ――聖女の葬儀は、街の大聖堂で行われた。


 儀式が済むと、遺体は郊外の墓地へ移され、埋葬される。


 墓地から大聖堂への、帰りの葬列。


 

「お前ら! 聖女を卑劣な方法で手にかけた、魔族共が憎くないか!」


 気づくと、大声が出ていた。

 それを機に、周りの仲間が一斉に剣を掲げる。



 ……昨日のうちに打ち合わせはしていた。

 魔族への復讐。

 無邪気に笑う、まだまだ子供の女の子を、あんな残虐な方法で手にかけた魔族。


 ……彼女のためにできることは、魔族を殺し、この戦争を終わらせる。やはり、これしかない。



「我々の勝利のために、頑張り続けてきた聖女の思いに報いたくないか!」



 計画を打ち明けたら、皆賛同してくれた。

 やはり自分同様、彼女に対し、少し感情を持つ兵士は多かったのだ。

 

 ……とはいえ、まさか本番でこんな大声が出るとは思わなかったが。



 ……掲げられる剣の本数がどんどん増えていく。



 ――これは単なる弔い合戦ではない。

 拠り所を失った男たちが、消えてしまったものを取り戻す戦いである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

限りなく聖女で、限りなくそうでない少女 しぎ @sayoino

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画