第36話 終わらない世界

 終業式はつつがなく終わり、夏休みが訪れた。

 当然ながら空色と綾子も出席したのだが、この二人が長らく無断欠席をしていたことを覚えている者は、関係者以外には誰もいない。

 昨日の夜、槇志が返却した世界結晶を使って、空色がそうしたからだ。

 その数少ない関係者の一人である綺理華は、二人との再会を大はしゃぎで喜び、夏生もまた普段と変わらぬ彼らしい反応で、彼女たちを出迎えてくれた。

 放課後、喫茶〈そるな〉にて綺理華発案による、『空色と綾子のお帰りなさいパーティー』なるものが開かれ、詩弦とミゲルも交えて一同は大いに盛り上がった。

 それが終わると槇志は空色に誘われて、彼女の館へと足を運んだ。

 やや傾きはじめた陽射しの下、庭にある大きなプールで、くたくたになるまで泳いだ後、ふと二人は同じように三階のテラスを見上げる。

 水着の上から上着だけ羽織ると、どちらからともなく、そこに向かって歩き出した。

 長い廊下を抜けて部屋に入り、大きな窓を開けてテラスに出ると、空はすでに夕映えの彩りを帯びており、涼しげな風がカーテンを揺らしている。

 既視感を覚えつつ視線を外へと向ければ、そこにはやはり郷愁を誘うような黄昏の街並みが広がっていた。決して同じではないが、懐かしい世界によく似ている。

 もちろん偶然ではない。空色が宣言どおりに、よく似た世界を選び出した結果だ。


「こうしていると、あの日に戻ったみたいね」


 遠い世界を懐かしむように、そしてここに在る世界を愛おしむかのように空色が呟く。彼女の微かに潤んだ瞳を見つめて槇志は穏やかに告げた。


「ありがとう、空色」

「何が?」

「約束を守ってくれてさ」

「それは、わたしがそうしたかっただけよ」


 はにかむような空色の笑み。自分がずっとこれを探していたのだと今ならば理解できる。あの夢はそのための道標だった。


「でも、俺がそれを望んでいたのも事実だ」

「うん……でも、わたしのほうこそ槇志にお礼を言いたいわ」

「俺に?」

「うん、わたしのこと思い出してくれたでしょ。普通の人間にそんなことができるなんて夢にも思ってなかった。これこそ本当の奇跡だわ」


 彼女の言うとおり、たしかに奇跡なのかも知れない。しかしそれは自分ひとりの力で起こしたものではないだろう。綺理華、綾子、詩弦、そしておそらくは夏生やミゲルの誰かひとりでも欠けていれば、けっきょく槇志は空回りした挙げ句、この幸せには辿り着けなかったに違いない。

 しかし、そんなことを冗長に語っても、いまはムードを壊すだけだ。

 そう思って槇志は、あえて違う言葉を選んだ。


「一回死んだくらいで忘れちまうには、お前は魅力的すぎるんだよ」

「…………」


 空色は一瞬、ぽかんとした後、真っ赤になってうつむく。


「も、もうっ、口が上手いんだからっ」


 照れ隠しの抗議をする空色を槇志は愛おしげに見つめた。何百年もの時を越えて、ようやく少しは気の利いた台詞を言えた気がする。

 槇志はそっと空色を抱き寄せると、彼女は幸せそうに肩にもたれかかってきた。その心地良い体温をたしかに感じながら、彼はもう一度、広々とした世界を見渡す。

 あの日、永遠に失われたはずの、輝かしい日々のつづきが、いまは決して終わりを感じさせることなくそこに広がっていた。

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空色魔法使い 五五五 五(ごごもり いつつ) @hikariba

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