数の子の一粒 【一話完結】

大枝 岳志

数の子の一粒

 働くことに何の意義があるのか、小さな頃から分からなかった。

 バッタを掴まえたり、絵を描いたり、雲の上に乗ることを夢想しているだけでは生きて行く資格が無いのだと教師達は言った。

 それならば、いっそ死んでしまった方が良いような気がしたが、それも赦されないのだと強く言われた。自ら選んで死んでしまうことに対して、何がいけないのかは言われなかった。


 アルバイトや派遣の職を転々とした挙句、様々な体験をしてみたものの、それが糞を出したり鼻をかんだりするように当たり前になることはなかった。

 一体どうして人が労働をするのか、その意味が見出せなかった。

 金だけ作れば良いのなら、全国民が紙幣を刷って対価を払ってドブに捨て、また刷れば事足りる気がしてならなかったのだ。


 生活を営むために金を浪費し、心や肉体に嘘をついて金を稼ぐことに違和感を覚えた。

 なので、いっそのこと嘘そのものを仕事にする事にした。

 それが最もこの世の真実らしいものだと、そう悟ったつもりでいた。


 老人を騙くらかし、金を得る方法はインターネット掲示板で募集を掛けていた男から聞いた。


「志摩さん。チャットかテレグラム、どっちかダウンロードしてもらっていいですか?」


 軽快な口調で尋ねられたが、いずれのアプリケーションも使ったことはなかった。

 これは良くある「特殊詐欺」なのだろうな、と分かりながらも加担する事にした。


「金持ちのジジイババア相手なんで。あいつら手元に残すばっかりで死ぬまで金落とさないですからね。死んだら相続税でどうせ持っていかれるし、だからわざわざ俺たちが引き出して世の中に回してやってるんですよ」


 なるほど。それも一理あると思った。


「パクられた奴、うちの箱からは誰も出てないんで」


 男はそう言っていたが、その言葉や信憑性はどうでも良かった。

 捕まれば世の中から隔離されるだけだが、元々世の中から自ら隔離しているようなものだったので、嘘が仕事になるなら別に構わないと思えたのだ。

 動かない金を動く方へ傾ける。

 それが自分の仕事なのだと、初めに自身を欺き、そして信じた。


 スーツに身を包んだ私は相方役と待ち合わせの駅を指定され、片道二時間半も掛けて都会の駅へ辿り着いた。外は初夏にも関わらずやたらと蒸し暑く、立っているだけですぐに汗が吹き出した。

 その場所に着くと、「田楽」と名乗る男からチャット経由で連絡が入った。


「すいません。一緒に向かう者が突然行けなくなってしまいまして」


 まぁ、それも織り込み済みなのだろうと思ったが、騙す人間の信用を得る為に私はわざと焦ったフリをした。


「え? そしたら、私はどう動いたら良いんですか?」

「これからの行動をひとつひとつ指示するので、安心して下さい」

「あの、わかりました」


 田楽はPDFファイルを最初に私に送って来た。それをコンビニへ行って印刷しろと言う。ファイルを開くと、そこには


「日本銀行協会 佐伯」


 という、志摩という私の苗字とは別名が記載された名札のようなものが表示されていた。


「それをコンビニで印刷して頂いて、駅前に百均があるんで適当にネームプレートを買ってそこに入れて下さい」


 その指示に従って、私はコンビニでネットプリントをして店員に鋏を借り、百均で買い求めたネームプレートに印刷したものを突っ込んだ。

 そこまで準備が出来たことを伝えると、田楽は初めて私と電話でやり取りをし、「ターゲット」の住所を伝えて来た。


「時間がないんで、タクシーで向かって下さい」


 そう指示されたものの、恥ずかしいことに、私の財布にはその時七百円余りしか入っていなかった。

 タクシーに乗ることを危ぶんだ私は、それを伝えた。


「すいません。タクシー乗りたいんですけど、手持ちがないんです。だからその、一緒に来てくれる人が来れなくなって困ってるんですけど……」


 相手の非を突いて伺ってみたものの、田楽はまるで意に介さない口調でこう告げた。


「じゃあ歩いて行って下さい。三十分あれば余裕で着くんで。途中、万が一警察がいたり、その気配を察知したら逃げて下さい」

「パクられないんじゃなかったんですか?」

「万が一です。こちらからも動向を伺うので、通話中はスマホのスピーカーはオンのままにしといて下さい」

「あの、このターゲットの家に行ったら何て言えばいいんですか?」

「日本銀行協会から代理で来ましたと言えば相手は分かります。事前にアポ取ってるんで」

「事前のアポって、あの、どんな風に取ってたんです?」

「松坂屋でカードが悪用されたって言ってますから。六枚で今回激アツ案件なんですよ。お願いします」

「あの、六枚って何がですか?」

「板のことっすよ」

「板? え?」


 私は田楽が言っている意味が全く分からなかった。流暢に六枚だの、板だの、それが激アツだの言っているが、全くもって理解不能な単語だった。

 事態を整理しようとすればするほど頭がパニックになり、整理が追いつかなくなった。


「三菱に三井、600はカタいんで。志摩さん、マジ頼みますよ。もうライダーも飛ばしてますから」

「ちょっと質問良いですか?」

「現場着いたらまた連絡下さい。お願いしますね」


 質問には答えてもらえず、電話は切られた。

 一体、私はターゲットから金を引き出す為に何をしたら良いのだろう。

 そう悩んでいると、知らない番号から着信が入る。詐欺グループとは田楽を通じてやり取りをしていた為に、チャットを通じた連絡先しか知らなかった。

 着信に電話番号が出ていたものの、田楽の仲間だろうかと思い着信に応じてみた。


「もしもし。志摩さんですか?」

「はい、そうですが」

「田楽から連絡入ってましたよね?」

「あれ、同じグループの人ですか?」

「別箱っす。案件は一緒っすけど。うちでやってもらえないっすか?」

「え、誰ですか?」

「田楽と元締めは一緒なんすけど、別箱の羽鳥って言います。田楽ん所ヤバいっすよ。あっちで受けたらライダーに全部持っていかれて、トバされますよ。うちは五十、保証するんで。うちでやりませんか?」

「あの、具体的に何がどうなってるか分からないんですけど」

「マジで早く受けてもらっていいっすか? 時間ないんで」

「えっと」

「とにかくうちは五十出すんで。お願いしましたよ?」


 そう言われ、何が何だか分からないうちに田楽からのキャッチフォンが入る。

 応答した途端、前置きなく矢継ぎ早に声が飛んで来る。


「ターゲットはもう玄関で待ってるらしいんで早く行ってください」

「あの、今さっき別の方から電話があったんですけど」

「いいから行ってください」

「あの、ライダーって何ですか?」

「回収役です。ライダーにカード渡せばその時に取り分渡すんで、いい加減早く向かってもらって良いですか?」

「あの、向かってます」

「本当ですよね? 信じますからね?」


 詐欺を生業にしている人間が「信じます」とは何事かとは思ったが、私は指図された住所に歩を進めているのは確かであった。

 とりあえず着いてしまえばあとは何とかなるだろう。そう、思っていた。


 平日真っ昼間の住宅街を歩いていると、気が狂いそうになった。

 自ら犯罪に加担し、人並みから外れそうになっていたレールがいよいよ完全に外れたと思いながら平和な住宅街を歩いてみると、何気ない親子連れの姿に責め立てられている気分になり、呑気な井戸端会議の談笑さえも断末魔の悲鳴のように思えた。


 普通ではない人間の心境とは、こんなに恐ろしいものなのかと思い、目を向ける普遍的な光景に身体のあちこちから妙な汗が噴き出した。 


 私は今から人を騙して、金を奪おうとしている。

最初は自らの意思でそうしてやろうとでも思っていたつもりが、上役の訳の分からぬ単語の連発でまんまと操られようとさえしている。

 真っ直ぐ、とにかく真っ直ぐにターゲットの家へ向かわねばと思っていると、羽鳥から着信が入る。

 何となく受ける気にならず、そのまま無視をしていたが着信は鳴り止むことは無かった。


 仕方なく出ると、羽鳥は威圧するような低い声でこう話し出す。


「志摩勇大。妹さんの香澄は歯科衛生士だろ? Oクリニックなぁ、評判良いみたいだけど」


 あまりに予想外の言葉に、私は堪らず息を呑んだ。


「え……その、え?」

「え、じゃねぇんだよ。さっさと行けよ」

「あの、勘弁して下さいよ。妹は関係ないじゃないですか」

「勘弁じゃねぇんだよ! さっさと行かねぇテメェが悪ぃんだろうがよ。あ?」

「いや、もう向かってるんで」

「じゃあおまえ、田楽蹴ってウチで受けるってことで良いんだよな?」

「分かりました、はい」

「なら早く行けよ。おまえ、マジ行かなかったらサツに通報すっからな。詐欺犯がウロついてますって。あと、妹のクリニックにもバンバン電話すっから。詐欺犯の妹ですか? ってよ」

「ちょっと、勘弁して下さいよ」

「だったら早く行けよ。時間ねぇんだよ!」

「はい……あの」


 一方的に電話が切れた途端、田楽からの着信が入る。


「志摩さん、今どこですか?」

「あの、羽鳥さんっていう人から連絡あって……そっちで同じ案件を受けることになりまして……」

「いや、うちで受けてもらって大丈夫です。そうじゃなきゃ困るんで」

「なんか、騙されるからこっちでやれ的なことを言われまして……」

「それがあいつらの常套手段なんですよ。なんならうちは前払いでも良いっすよ。もうライダーいるんで飛ばしますか? 手元に報酬がないと安心できないっすよね?」

「あの……まぁ、はい」

「妹さんのクリニックがどうのとか、言われました?」

「え、はい」

「マジで汚いんで、あいつら。志摩さん、安心して稼ぎましょうよ」

「そう、ですね」

「こちらから一個だけ質問良いですか?」

「はい、何ですか?」

「志摩さん、警察じゃないっすよね?」

「まさか。プー太郎ですよ」

「そうっすよね。じゃあ、ターゲットの家着いたら連絡下さい。ライダー飛ばすんで。勝手にインターフォンは押さないで下さいね?」

「はい。分かりました」


 私は、息をするのを忘れていた。ハッと気付いた瞬間、盛大に空気を飲み込んだ。焦ってはならない。そう、焦っても、何も生まれはしない。

 そもそも、香澄は二年前に仕事を辞めている。歯科医院のホームページに載せられていたインタビューページを鵜呑みにしたのだろう。だから、電話をされようが何をされようが、今の私にとってはどうでも良かった。

 ターゲットの家が見えて来ると、老婆が玄関先に立ち尽くしているのが目に入った。

 キョロキョロと辺りを見回している表情は落ち着きがなく、とても不安げに見えた。

 今から私はあの老婆に声を掛け、動かない金を動かす為に騙くらかそうとしている。


 大人になると、お金を集めろと言われる。お金を使えと言われる。そしてお金を集めろと再び言われる。それは掘った穴に土をかけて埋め、また掘ることと、一体何が違うのだろう。

 こんなことを言われるようになるとは知らなかった幼少期、私は夢中になってチラシの裏に空とバッタの絵を描いていた。大きなバッタの背中に乗って、空へ飛び出す自分を描いていたのだ。

 描いている最中は腹も空かず、喉さえ渇かなかった。夢中になって描けば描くほど、私は絵の中へ入り込んで行き、本当にバッタの背に乗って空を飛んでいる感覚に陥った。

 草原の匂いや、太陽の温度、バッタの硬くて分厚い外骨格に触れ、思いのほか冷たいことに一瞬手を引っ込める。しかし、臆病になった私をバッタは責めたりはしない。私を振り落とすこともなく、背に乗せたまま、高い空を縦横無尽に飛び回り、私は空の広さに我を忘れて驚嘆する。

 後になって知ることになるのだが、それは一円にもならないただの空想だったのだ。

 人から金を奪うのは疑う余地もなく罪ではあるが、金を生まないのもやはり罪のようにも私は感じていた。

 

「また金にならないことをしてるのか」


 父親のそのひと言が切っ掛けとなり、中学生だった私は筆を執り、空想の世界に浸る行為を辞めた。その時の父親の顔は心底うんざりしているようにも見えたし、怒りに満ちているようにも見え、そんな想いを他人にさせてはならないと私は自省したのであった。

 画家を目指した少年の未来には、人を騙して金を取ろうとする現実が待っていると知ったなら、過去の私は悲しむだろうか。父親は、私に描けと言ったのだろうか。いや、きっとそれは無いだろう。

  

 老婆の家へもう十メートルという所で、着信が入った。田楽からだった。


「はい」


 これまで通りの返事で応答してみたのだが、田楽の口調は豹変していた。


「テメェなんで電話すっぽかしてんだよ」

「え、あぁ……」

「あぁじゃねぇよ。ババアの家にもう着くだろ? こっちゃ見えてんだよ」


 何処だろう。私を張っている人間が近くにいるようだ。ライダーと呼ばれる役割の人間だろうか。


「電話しろっつったよな?」

「あの、すいません。ちょっと前まで、電波悪くて……」

「なんでもいいからさっさと板抜いて持って来いよ。下手こいたらおまえ、殺すよ?」

「いや、それはちょっと……」

「あ、おまえさぁ。今「冗談だろ」って思ったべ? なぁ?」

「本当に、殺すんですか」

「こう言っちゃ何だけど、うちはもう何人も殺してるからね。だって死んだって構わないような連中ばっかなんだから。あんたもだけど」

「……はい」

「おい。このまま電話繋げとけよ? 死にたくないだろ?」

「…………」

「何、あんた死にたいの? もしかして、死にたい系なの? 自殺願望持っちゃってる系?」


 死にたいのかと問われれば、死にたくないとは思う。だが、生きて何かしたいのかと問われたら、私には特に理由がない。そんな宙ぶらりんなまま生きてはいるが、もうすぐ社会的には大きな死が待っていることには違いない。

 私は田楽の問いに何か返そうと思ったのだが、心の底をいくら漁ってみようとも、何の答えの片鱗すら見つからなかった。そしてとうとう、老婆の前へたどり着いてしまった。

 スマートフォンを胸ポケットの中へ入れ、電話は繋いだまま、老婆へ向かって軽く頭を下げた。


「あの……銀行協会の方よね?」

「…………」

「待ってたのよ、どうしようかと思ってねぇ……本当、怖い世の中になったわよねぇ。さぁ、中へ入って」

「…………」

「どうしたの? 入らないの?」

「あの、ここでいいです」


 私の声は緊張の為か、酷く掠れていた。胸ポケットのスマートフォンの中で田楽が何か怒鳴っているような音が聞こえて来たものの、私は無視を決め込んだ。老婆は眉を顰め、怪訝な様子で私を眺めている。この時、私はほんの少しだけ、本当に微かだけれども、自分が「生きていたい」と思う気持ちが死よりも勝っていることに気が付いた。


「あの。本当に、驚きましたよね。すいません」

「いやぁ……だって、急に電話があったものですから。まさかねぇ、私のカードが悪用されるなんて思わないじゃない?」

「そうですよね。そうなんですよ……そんなの、そうですよね」

「うん、そうよ。あっ、交換するんでしょ? 中へ入って下さい。ね?」

「嘘ですから、それ」

「はい?」


 言えた。胸ポケットの中へしまったスマートフォンを取り出すと、通話が切れていた。近くで原付バイクが発進する音が聞こえ、私と老婆は向かい合って突っ立ったまま、しばらく無言の時間が流れた。


「おばあちゃんね、それ、詐欺の電話なんですよ」

「あら……そうなの? まいったわね……」

「だから、カードなんか出さなくて大丈夫ですから」

「それはそうなんだけど……こうなると思ってなかったから……すいませーん、すいません!」


 老婆は私の予想してた行動と全く違う行動を取り始めた。ありがとうと礼のひとつでも言われるかと思いきや、家の中へ向かってすいませんと声を掛け始めた。やがて二人組の大柄な男が表に出て来ると、老婆が二人に「詐欺を教えてくれたのよ」と、困った顔で耳打ちした。

 二人組の一人、角刈りでタラコ唇の男は私をまじまじと見詰めると、肩を掴んで中へ入るように促した。

 扉が閉じられた玄関の真ん中で、私は二人に持っている物を全て出すように言われた。


「変なモンとか持ってないよね?」

「ないです」

「身分証、ある?」

「免許証、財布の中です」

 

 二人組の男は刑事だった。私の財布を開けながら、免許証を取り出して退屈そうに声を掛けて来た。


「お金、困ってたんだ?」

「まぁ……はい」

「認めたね。悪いけど、ちょっと長くなるよ」

「……えっと、どれくらい?」

「君が素直に話してくれたら、少しは短くなるかな。おい、惣田に車回せって伝えておいて。横付けでいいから。すぐ出る」


 二人組だけだと思っていたが、続々と警察官がやって来た。どうやら、老婆は事前に詐欺だと分かった上で騙されたフリをし、通報していたようであった。刑事や警官が私の私物を一つ一つ調べているのを、動画でも見ているような気分で私は眺めていた。あまりに現実離れしていて、自分のことなのに画面の向こうの遠い他人事のようであった。

 しかし、すぐに現実が訪れた。


「十三時十分。詐欺未遂の容疑で現行犯逮捕します」

「はい。えっ」


 ボーっとしている間に私の手が取られ、そのまま黒い手錠を掛けられた。突如現実に叩きつけられた私だったが、その現実を受け入れる間もなくあれよあれよと言う間に警察車両に押し込められ、気が付けば両脇をしっかりと二名の警官に挟まれる形で警察署へと移動し始めていた。

 車内は終始無言であったが、流れる景色を見ることで気詰まりを感じることはなかった。

 駅前の辺りに出ると多くの人が行き交っており、それぞれが働く場所へ向かっていたり、帰る場所へ向かっていたり、何らかの居場所があるんだろうなぁと眺めていると、それがなんだか羨ましくも思えて来る。次にあぁやって外を歩くのは、随分先になるかもしれない。

 

 街を行き交う無数の人の群れはまるで数の子のように見え、一粒一粒の集まりで街や社会が成り立っているのだと、窓の外を眺めながら考え始める。

 手錠を嵌められた私は、まだ数の子の一粒なのだろうか。それとも、千切れてこぼれ、捨てられるか潰されてしまうのだろうか。一度千切れてしまえば、それきり二度と戻れないような気もしている。

 

「初めてだよ、あんなの」


 タラコ唇の刑事が、私を振り返って笑った。意味が分からず、どう返事をして良いかも分からなかったし、私を挟む警官へ向かって声を掛けたのかと思ったが、私に声を掛けている様子であった。


「自分から「これは詐欺ですよ」って言っちゃうんだもんなぁ。薄ら聞こえてたんだけどさ、びっくりしたよ。良かったね、既遂にならなくて」

「キスイ、ですか?」

「犯行が成立したってこと。現物取ったら長いからね。君みたいに素直な人にはねぇ、詐欺は無理だよ。っていうか、犯罪のセンスないよ。あそこで自白するかなぁ、普通」


 そう言って、笑い声を上げると運転していたもう一人の刑事も笑い出す。私は恥ずかしさに耐えかね、俯いた。確かに、自ら「詐欺ですよ」と伝える間抜けな詐欺犯がいる訳がないし、聞いたこともなかった。両脇を挟む警官も肩を揺らしながら笑い始め、慰めのつもりなのだろうか、「すぐ出れるよ」と私に声を掛けて来た。


 良いことも、悪いことも、私には向いていない。薄々感じてはいたものの、生きるセンスが絶望的にないのだろう。刑事は犯罪のセンスと言ったが、生きることそのものにセンスがないと指摘されてしまったような気がして、私は少し落ち込んだ。

 しかし、不思議と捕まったことで心が凪いで行くのも感じていた。これから先は何も考えずともあちこち調べられたり、収監されたり、取り調べを受けたりすることになるだろう。やはり、私は数の子の一粒なのだ。加工工場のラインに乗せられ、オートメーションで加工される、数の子の一粒なのだ。


 そんな馬鹿な妄想をしている間に車両は警察署へたどり着き、降りるように命じられた。ドアが開くと、蒸れた熱気にむせ返りそうになる。私は夏の光の眩しさに少しだけ目を瞑り、歩き出した。

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