七月の七分七十七秒のゆくえ

尾八原ジュージ

わたしたち

 一九九九年の七月、わたしたちは十五歳で、正直なところあまり頭がよくなかった。例のノストラダムスの予言を三分の一くらい真に受けたわたしたちは、七月中に人類滅亡したらそれはそれでいいよねって話をふたりでよくした。学校の渡り廊下で、繁華街の隅っこで、誰もいない児童公園で。でも人類は一切滅亡する気配がないまま夏休みが始まった。

 わたしたちはふたりとも自分の家が大嫌いだった。憂鬱な日々を過ごすうちに七月は残り少なくなった。ある日、今日も人類は全然元気だねって話をしながらふたりで陽炎の揺れるアスファルトを歩いていたとき、あなたが言った。

「滅亡するとき、こんなとこにいるの嫌だな」

 わたしもそうだねって思った。

 一九九九年の七月三十一日、わたしたちは二人で海に行った。学校のじゃない水着を着て、遊んで、同い年くらいの男の子たちに声をかけられて、一緒に遊んで、日が暮れた。男の子たちは帰ってしまったけれど、わたしたちは帰りたくなかった。

 わたしたちはバスに乗らず、手を繋いで海沿いの道をとぼとぼ歩いた。遊歩道みたいなところを辿っていくと高台に東屋があって、そこから海を見下ろせた。海面の下に日が沈んでいくのを眺めながら、わたしたちはいつまでもおしゃべりをした。

「もし人類滅亡せずに七月終わっちゃったらどうする?」

 わたしが聞くと、「どうしようもないよね」ってあなたは笑った。帰りたくないね。あたしも帰りたくない。そんなやりとりを何度も繰り返すうち完全に日が落ちて、真っ暗な夜がやってきた。

 あのとき確かに、わたしたちは人類滅亡を望んでいたのだと思う。一人で消えてしまう勇気がなくって、なにか大きな力が全部奪ってくれたらいいのにって、他力本願なことしかできない十五歳の愚かな子供だったわたしたちは、真っ黒になった海を眺めながらずっと手をつないでいた。

 そうやってじっとしているうち、時間はどんどん過ぎていった。あなたが携帯電話を取り出して時間を確認し、そろそろ日付変わっちゃうと呟いた。

 七月が終わってしまう。もしかすると人類はすでに滅亡しているのだろうか。わたしたちがこうやって夜の海を見ている間に、ひっそりと。なんて、まさか。

「あとどれくらい七月?」

 わたしは携帯を持っていなかった。暗くて腕時計が見えないので、時刻はあなたに尋ねるしかなかった。あなたはうん、と答えて携帯の画面を見せてくれた。ちょうど数字が変わって「23:52:00」と表示されたのを見ながら、あと八分、とわたしは呟いた。あと八分の間に人類は滅亡するだろうか。

 わたしは時計を見るのを止め、真っ黒な海に顔を向けた。何も見えなかった。しばらくすると「まだ七月」、というあなたの声が聞こえた。

「まだ?」

「うん、まだ七分しか経ってない」

 それを聞いて、わたしはゆっくりと秒数を数え始めた。六十まで数えたけれど、人類が滅亡した様子はなかった。

「まだ七月?」

 尋ねると、あなたは「まだ」と答えた。

「まだ?」

 目を開けると、あなたが笑った。「まだ七分七十七秒しか経ってないよ」

 ガラケーの画面に映るデジタル時計はもうしっかりと零時過ぎを指している。八月じゃん、八月だね。わたしたちは顔を見合わせ、そう言い合って力のない笑い方をした。

「朝になったら帰ろうか」

 あなたが笑いながら言った。そうだね、とわたしは答えた。

 十五歳の娘が一晩帰宅しなかったというのに、わたしの家族もあなたの家族も一切心配なんかしていなかった。人類は無事に八月を迎え、時はずんずん過ぎていった。

 あれからいろんなことがあった。わたしたちはそれぞれに家を出て、それなりに生きて年をとった。もう少女ではないけれど、わたしたちは未だに連絡をとりあい、たまには直接会って話をする。あなたの娘は水色のランドセルを買ったという。わたしの息子はサッカーを始め、今朝も大きな水筒を持って出かけていった。

 言うまでもなく人類はまだ滅亡していない。七分七十七秒、まるで永遠に続く七月みたいなあの時間はどうにかして平穏な日々にたどり着いた。わたしたちはお互い白髪が増えたよねなんて話をしながら、まだこの世界で生きている。今年も七月が終わる。

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七月の七分七十七秒のゆくえ 尾八原ジュージ @zi-yon

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