第7話 もう既に配信がキツい

「この辺のエリアはいつ来ても気持ちいいですね~」


 千景の眼前には一面に青々と繁った草本や小高い丘、点々と生えている樹木といった雄大な平原の風景が広がっていて、爽やかで心地のよい風が吹き抜けている。また地下空間だというのに千景の頭上には清々しい青空が晴れ渡っており、ダンジョンという空間の特異性と神秘性をこれでもかと示していた。


「気候も穏やかだからピクニックでもできちゃいそうですね!」


 まずその時探索に来ているエリアの風景や特徴について触れていき、そしてモンスターを倒すというのが千景の配信のお決まりのパターンで、出せるだけの精一杯の空元気を用いてぎこちないながらも千景はなんとか無言の時間を作らまいと苦心していた。


「まあモンスターがいることは変わりないんですけど...」


 今回の配信でもまず探索に来ているエリアについて触れ雑談を行う。他の配信者たちはそもそも基本的にチームを組んでいるため仲間との雑談風景を流している場合が多いが、当然ながら千景は一人であるためそのようなスタイルは取ることができない。合間合間の他愛もない話が千景にとっての一番の難敵であった。


 現在千景が歩いている地域もこれまで散々目にしてきた眺めではあったが、配信のために見えている光景を説明しながら歩くという行為が普段の探索では気にも止めなかった部分に目を向けるきっかけとなり、千景は久しく感じていなかった新鮮さを些か覚えていた。


 目に見えている光景を誰かに口で伝えながら歩くという経験は初めてで、配信のために話題を探すという目的が加わったことで、いつもの日課のような探索では歯牙にもかけなかった事柄に目を向けるようになっていた。


 これだけでも十分な収穫ではあったのだが、ただ千景の本来の目的は果たされているとは言えなかった。


『現在0人が視聴中』


 初配信をしてから早くも一週間ほどが経過しようとしていたが、この数字が0から1になったことは未だになく、千景は配信を終える度に侘しさや寂寥感を覚えていた。


 千景がダンジョンを探索しながら話していた内容に耳を傾けている者は一人もおらず、それらの言葉は誰にも届くことなくただの空気の振動として虚空に消えていった。自身の言葉が誰にも聞かれていないと知っていながらそれでも千景は声を出し続けていた。


 総評するとカメラとスマートフォンを手に持っているだけで、配信を始める前と比べて千景の現状は全く変化しておらず、むしろ心情的には配信を始めて一週間程度にも関わらずすっかり気が滅入ってしまっていた。


 トップの配信者たちのように数万人の数の視聴者を集めることはさすがに不可能だろう。しかし10人や20人、なんなら100人程度ならすぐに集まるのではないか。このような期待が大きく入り混じった予想を立てていた千景だったが、それが甘すぎる見積りだったということをすぐに思い知らされた。


 始めて1日、2日程度は自身の活動をカメラに収め配信するという新鮮さや、これから視聴者がたくさん来て毎日一人でダンジョンに潜るだけという今の鬱屈とした日々に大きな変化が訪れるかもしれないという期待感が千景の胸中に溢れていた。しかし3日目あたりからそういった高揚感を覚えるような感情や感覚は早くも薄れ始め、代わりに虚無感や徒労感が千景に襲いかかってきた。


 誰も聞いていないのに自分は何を一生懸命になって喋り続けているんだろう。なるべく配信映えするようにカメラをセットし、そして配信がなるべく盛り上がるようにモンスターと戦う。どうせ誰も見ていないのに。自分は一体何をしているんだろう。このようなささくれだった感情が千景の中に渦巻いていた。


 5日目を過ぎたあたりでは前向きな気持ちは既に落ち込み、やっと今日も配信が終わってくれたという毎日の煩わしいノルマやタスクをやり遂げた時のような感覚に陥っていた。それと同時に明日も明後日もこんなことを続けないとダメなのか、いつになったら人が来てくれるのだろうか、このまま1ヶ月、3ヶ月、半年、1年、3年、と続けても誰も来ないのではないか、早く解放されたい。そうな風に徐々に追い込まれているような感覚に陥っていた。


 誰かに見てほしい、誰かに自分を知ってほしい。でも誰からも見向きもされない。


 今までソロで行ってきたダンジョン探索はあくまで自身の達成感を満たしたり、成長を感じることができればそれでよかった。100%自己満足の世界だった。したがって一人ぼっちでも、誰とも体験や感情を共有できなくても、誰にも認めてもらえなくても、特に問題はなかった。


 しかし配信とは誰かに自分の存在を見せることを目的としているものであり、千景も自分の存在を誰かに知ってほしい、誰かと関わりを持ちたいという思いで配信を始めている。


 だからいくら一人で華麗にモンスターを倒しても、いくら一人で一生懸命になって喋っても、いくら一人で必死こいて頑張っても、誰も見ていないのだからお前の行動や努力のその一切は全て無意味だ。


 そんな風に烙印を押され、自分の言動、果ては考えや人格まで否定された気分になっていた。


 一人でダンジョン探索をしていた時は自身の選択や行動の評価は自分で決めることができた。


 今回の探索の出来はどうだっただろうか。昨日の自分と比べて成長できているだろうか。こういった評価を自分自身で決め、勝手に満足することができていた。また自己満足さえできていれば自身の行動や選択を肯定できていた。


 しかし配信ではそうはいかない。どんなに自分が価値のあるものだと思っていたとしてもその配信の価値は見ている視聴者が決める。どんなに自分で勝手に満足したとしても誰にも見られていなければ配信としては無意味であり、千景は自身の行動やそれに伴う考えや感情までも否定された気分になった。


 自分が誰かに向けて自分の何かを表現し、それが誰にも見つけてもらえないということがこんなにも苦しく辛いことだとは千景は終ぞ思ってもいなかった。しかしもう自己満足だけでは満たされなくなっていたこともまた事実だった。


 確かに今は苦しいかもしれない。でもこれを乗り越えれば悶々とした毎日から抜け出せる、自分に取って人生が変わるような何か大きな出来事が起こるはず。今ではそのような心境で千景は配信を行っていた。ほんの一週間程度で始めのうちにあったワクワク感や期待感は削ぎ落とされ、段々と義務感で配信をするという側面が強くなっていった。


 ガサガサッ


 不意に何かが擦れあったような音が千景の耳へと届く。千景の左前方には千景の身長ほどもある背丈の高い草むらが広がっており、そこから何か大きなものが草木をかき分け、踏みしめている音が聞こえてくる。


(結構大きめのが二体か...)


 モンスターの気配を察知した千景はリュックの中から三脚を取り出すと手早く広げ、撮影の準備をする。そうしている間にも音は一歩また一歩と千景に近づいてきていた。スマートフォンで配信の画面を見ながらカメラの高さや向きを調整し、戦闘が綺麗に撮影できそうな画角で三脚にカメラを固定した。


「ブオオオォォォ!!!」


 カメラと三脚をセットし終えるや否や、見計らっていたかのように草むらから地響きのような叫び声をあげながら二匹の生物が飛び出してきた。巨大な体格を有している四本足の生物で、足の先には硬く巨大なひづめが付いている。体表面はゴツゴツとした分厚い灰色の皮膚に覆われており、そして何より目を引くのは頭部に付いた巨大な角で、基本的にモンスターの頭部には角のような器官が形成されているのだが、このモンスターの角はその中でも規格外に大きい。一言でいえば地上の世界に存在するサイのような見た目と特徴を有しているモンスターだった。


 二匹のモンスターは千景を見つけると立ち止まった。お互い見つめ合う時間が生じたが、その膠着はものの数秒で解け、サイのようなモンスターの一匹が自慢の角を千景へと向けながら突撃していった。


 巨大な体躯に見合わぬ猛スピードでモンスターはどんどん千景へと迫って行く。乗用車程度なら軽々と吹き飛ばしてしまいそうな重量と速度だが、対して千景はその場から一歩も動かない。他のモンスターと相対した時と同様にその表情からは焦りや恐怖といった感情は窺えない。


 モンスターは速度を緩めるどころか更に加速させてゆき、そしてそのまま激しい衝突音と共に砂ぼこりが辺り一面に舞う。立ち込めた砂ぼこりで視界が一瞬遮られ、カメラに千景とモンスターの姿は映っていない。


 一般的に考えればそこには一人の幼気な少年がボロボロの肉塊になっている、見るも無惨な光景が広がっているはずだが、砂ぼこりが落ち着いた後にカメラに映し出されていたのはモンスターの巨体が少年の右足一本で受け止められている光景だった。


 足刀蹴りの要領で右足を前方へ突き出し、千景は右足の踵だけでモンスターの角を受け止めていた。ぶつかり合った瞬間にはとてつもない衝撃が千景を襲ったはずだが、難なく巨躯を受け止め涼しげな表情をしている。それどころかモンスターの方が激突の際の衝撃に耐えられていないのかその立派な角にはひび割れが生じていた。


 モンスターもまさかこんな小さな少年に渾身の一撃を、しかも片足一本で止められるとは思ってもいなかったのだろう、その表情にはあからさまに驚きの色が浮かんでいた。鼻息を荒くして何度も何度も大理石の柱のように太い足に力を入れるが、目の前の小さな少年はびくともしない。


「よい...しょっと...!!」


 数秒の間の攻防、もといモンスター側の一方的なチャレンジが続いたがその均衡が一向に破れる気配はなく、最終的には千景が更に右足に力を入れ、そのまま角を蹴り抜いてへし折ってしまった。


 角を蹴り折られたモンスターは弱々しい声を上げながら地面に横たわり、そのまま動かなくなった。もう一匹のモンスターは目の前で繰り広げられた惨状を見て時が止まったかのように動かないでいたが、我に帰ったかのように叫びだしそのまま草むらの中へ逆戻りしていった。


(あっさり倒しちゃったけど...まあいいか、誰も見てないし...)


 この数日間、千景はモンスターと戦うときは配信が盛り上がるようになるべく派手に、なるべく長く戦闘を行うようにしていたがどうせ誰も見ていないだろうとさっさと終わらせてしまった。


「ふぅ...今日はこの辺で終わりにしようかな...」


 虚しさと徒労感に包まれながら配信を終わろうとポケットにしまっていたスマートフォンを取り出し、配信画面を開いた。


 【す、すごいですね!】

 【今のどうやったんですか!?】


「!!??」


 するとそこには自身の配信では初めてお目にかかる文字列が映し出されていた。

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