第8話 初めての視聴者

「あ~、え、えーっとえっと...こ、こんにちは...!」


 爽やかな風が吹き抜け、青々と繁った草木がそよぐ草原のど真ん中で、スマートフォンに向かって挙動不審な挨拶を炸裂させている少年が一人佇んでいた。


 自分でも感じられるほどに千景の心臓は鼓動が早くなっており、手にじんわりと汗もかき始めていた。凶暴なモンスターと対峙しても緊張や焦りなどは全く見せない千景だが現在は頭が真っ白になり、しどろもどろになってまともに喋ることができないでいた。


 【す、すごいですね!】

 【今のどうやったんですか!?】


 このたった二つの文章に千景は思考も動きも完全に止められてしまい、スマートフォン片手に立ち尽くすというなんとも情けない姿を晒していた。


 ど、どうしよう...、コメントだ...!まずは挨拶してみたけど...不自然じゃなかったかな...うまく声が出なかった気がする...。こういう時ってどうすればいいんだろう...。取りあえず自己紹介をした方がいいのかな...。でも先に相手のコメントに返答した方がいいのかな...。


 文字数にするとたったの20文字程度、会話にしてみると恐らく5、6秒ほどの文章。しかしこの短く簡素な文章が千景の脳のリソースのほとんどを奪い去ってしまった。


 す、すごいですね...?これはモンスターを倒したことに対して称賛されたと受け取っても良いのかな...?状況からしてそれ以外ありえないはず...だったら今自分は人から誉められてしまったことになる...、どうしよう...。どう返答するのが正解なんだろう、どう反応するのが端から見て不自然じゃないんだろう?素直に『ありがとうございます』でいいのかな?でもそれはあまりにも相手からの賛辞を素直に受け止めすぎじゃないかな?なんだかちょっと恥ずかしいな...、自分は他人から評価されるのが当たり前みたいな反応に見えないかな...。自信満々な、下手したら少し傲慢な人間に見えたりしないかな...。そもそもこの言葉を額面通りに受け取っても良いのかな?今コメントをくれた人は初対面で、だったらこの『すごいですね』という言葉は単に社交辞令の可能性がある。それなのに素直に『ありがとうございます』と返し、あまつさえ喜色満面の様子をみせてしまったら『え...初対面だから気を使っただけなのに...、本気にされても...』というような感想を抱かれないだろうか?本音と建前も分からない世間知らずで野暮な人間だと思われないだろうか?ここは『そんなことないですよ』というような謙遜した返答をした方が自然なコミュニケーションになるのではないだろうか?でもそれはせっかくの相手の賛辞を無碍にしてしまう行為になるのではないだろうか?かえって相手の厚意を無駄にし、不愉快な思いをさせてしまうのではないだろうか?だったらどういう返答が一番相手に失礼ではなく、かつ自然な返答なんだろうか?


「え~っと、ありがとうございます。でも俺、いやぼく、いや...俺は結構長いことダンジョン探索してて...それにこのモンスターはかなり戦い馴れてて...だからこれくらいは全然大したことないといいますか...」


 20秒ほど悩んで考えに考え抜いた末、千景はこのような返答を行った。


 相手からの賛辞を受け入れてはいるがあくまで控えめに、加えて必要以上に下手に出て相手に不愉快な思いをさせない範囲での謙遜を散りばめた返答をした。しかし誉められることに対する耐性の無さから気恥ずかしくなり、後半は言い訳染みた理由付けを一息に言いあげた。


 また千景の普段の一人称は『俺』であるが、全くの他人である視聴者相手には『僕』や『私』というような言い方の方が相応しいのではないだろうか?という疑問が喋り始めてから沸き起こり、一旦は僕と言いかけたが、しかし普段の一人称とと使い分けるのはそれはそれで気恥ずかしくなり、結局俺という一人称を貫くことにした。その結果かなりしどろもどろになってしまったのは言うまでもない。


 それに千景が対応しなければならないのは『すごいですね』という相手からの賛辞だけではない。


 今のどうやったんですか...?何に対して質問しているのだろう?今の...?たぶんさっきモンスターと戦ったときのことを言ってるんだと思うけど...。どうやった...?この人はさっきの戦闘の何に驚いているのだろう...。ダメだ...全く分からない...何にどう返答すればきちんとした会話になるのか分からない...。


 今まで人との関わりを全く持ってこなかった千景と標準的な人物との間では、コミュニケーションというものの重みに大きな差がある。何気ない会話の一言一言が千景にとっては自分を品定めされているように感じられて気が気ではなく、考えが回りすぎて脳が沸騰するような感覚を覚えた。


 他人との会話に慣れておらずサンプルがあまりにも乏しい千景は、考えが回っているだけで答えは全く出ておらず、できるだけ不自然ではないようにということを考えすぎるあまり、結果としてぎこちないコミュニケーションになってしまっていた。


「え~っと、ごめんなさい...すごいですねっていうのは?」


 相手の意図がいまいち汲み取れず、千景は恐る恐る疑問を投げかけた。千景が質問してからおよそ15秒ほど経って返答がきた。この間どんな答えが帰ってくるのか千景は戦々恐々としていた。


 【ごめんなさい勝手に興奮しちゃって】

 【さっきビッグホーンの突進を片足で受け止めてそのまま角を折ってましたよね?】

 【あんなの普通無理ですよね?】


「えーっとあれは...」


 相手からの質問内容に納得し千景はすぐさま回答しようとするが、そこでまた会話に行き詰まってしまった。


(あ~そうだ、この角の力については言えないんだった...。)


 先ほどのモンスターとの戦闘での芸当は角の力があったからこそであるが、諸々の事情からそれを素直に説明することはできない。


「あ~それは自分の肉体を強化する器具とか装置とか...そういうのを装備してて...」


 ここで千景は自分以外の探索者のことを思い浮かべた。父親の知り合いの探索者やダンジョン系配信者たちは千景と違って角を持っていない。その彼ら彼女らがどのようにして凶悪なモンスターたちに立ち向かっているのかを思い出した。


 一般的に探索者たちは筋力や運動能力を飛躍的に向上させる器具や装置を身体に取り付けている。どういった機構や仕組みなのかは千景には露ほども理解できなかったが、一度身に付ければ地上から校舎の屋上までひとっ飛びで跳躍できたり、例え華奢な体躯の女性であっても成人男性を軽々と持ち上げてしまうといったことが可能だった。


 千景はこういった事情をカムフラージュとして利用し自身の角の力を隠そうとした。


 【マリオネットとかのことですか?】

 【装着しててもビッグホーンの突進を正面から受け止められる人なんて見たことないですよ!】

 【しかも片足で...】


「マリオネット...???」


 全く聞き覚えのない単語に千景は狼狽えた。他の探索者たちが何か器具を装着していること自体は知っているが、千景はその装置を実際に見たこともなければ勿論身に付けたこともない。それがどのように呼ばれているのか、それがどの程度ダンジョンのモンスターたちに通用するのかといったことを千景は全く知らなかった。


 コメントの反応を見るに例えそういった装置を身に付けていても、先ほどの千景のように巨大なモンスターの突撃を真正面から受け止めることなど到底できないようだった。加えて片足だけで。


 千景はいよいよ何と答えてよいか分からなくなってしまい、無言になってしまった。元々コミュニケーションに難があることに加えて素性を素直に話すことができないとなると、会話に支障を来すことは必然だった。


 【す、すいません!!】

 【来て早々質問ばっかり】

 【失礼でしたよね...】


 千景が黙ってしまって20秒ほど経った後、千景の長い沈黙の理由を自身の不手際だと捉えたのか謝辞を込めたコメントが返ってきた。


「い、いやいや!全然!!こちらこそすいません...きちんとお答えできなくて...」


 千景も千景で相手には気を使わせてしまったことを引け目に感じ、初対面でありながら早くもお互いに謝り合うという奇妙な光景となってしまった。


「え、え~っと、はるつげ...どり...さん?で合ってますか?」


 このままではただただ気まずい時間が流れてしまうと感じた千景はどうにか話題を探そうと模索し、コメントに付いている名前に注目した。


 春告鳥:【これでウグイスって読みます!】


「す、すみません、あんまり漢字に詳しくなくて」


 相手の名前を間違えてしまい千景はまたもや謝罪をしてしまう。


 春告鳥:【いえいえ!全然大丈夫です!一般的な読み方じゃないので】


 相手の反応が好意的なものであり、千景はほっと胸を撫で下ろした。そしてまたもや無言の時間が流れてしまう。そもそも他の配信者たちは1人ではなく3、4人程で配信しているためそもそも会話があまり途切れることがない。それにコメントも配信者と直接会話をするというよりかは配信者たちの会話や活動を見て、各々自由に感想を書き込むというような形であった。現在の千景のように1対1という状況の配信をそもそも見たことがなかった。


 春告鳥:【そういえばさっきそろそろ終わるって言ってましたよね?】

 春告鳥:【それなのに長々と質問してしまってすいません】


「えっ!?いや、人がいなかったから終わろうと思ってただけで...ウグイスさんがいいんならもっと探索しますよ!!」


 モンスターを倒した後の千景の独り言はきちんと聞こえていたようで、配信を終わらせる方向に話を進めるが千景としてはこの機会を逃したくはない。自身の配信をもっとアピールしてできれば常連になってもらいたい。


 春告鳥:【ホントですか?だったらもっと見てみたいです!】


「分かりました!!!」


 こうして千景は三脚をリュックへとしまい、スマートフォンを片手にまた探索を開始した。

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ずっと無所属ソロぼっちでダンジョンを探索していましたが、動画配信を始めてみました 緑黄色の覇気 @midoranger

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