指切り三日

十余一

指切り三日

 いつの世も色恋沙汰に振り回される人はいるもの。惚れた腫れたに擦った揉んだで溺れて破れる。若いなら尚更、仕方なし。しかし、それが遊里での出来事ならば、女と男であると同時に二人は商売人とその顧客。愛だの恋だのいったい何処まで本気にしていいのやら。



「ねぇ、徳さん。あたしには貴方しかいないのよ」

 芸者衆を帰した二人きりの密室で女郎に言い寄られ、呉服屋の若旦那――徳治郎とくじろうはすっかりのぼせ上がっていた。柔らかな着物が形どる細い肩とすらりと長い足。前帯の下にはしなやかな柳腰があるのだろうと思うと、なんだか妙に喉が渇くような気がしてしきりに酒をあおった。

 幾度となく妓楼ぎろうに通い酒宴を設けたが、未だに一度もとこを共にしたことはない。そんな彼女が、今宵は自分にしな垂れて熱っぽく語っている。

 これはもしかして、もしかするのではないかと期待する徳治郎に、女郎――敷浪しきなみは小さな桐箱を差し出した。

「今日はぁ、あたしの愛を受け取ってほしいの」

 浮かれきった徳治郎は箱を開いた途端、ギョッとして、すぐに蓋を閉める。まっ白な綿の上に鎮座するのは、確かに人間の指だった。綿に染みる鮮血がなんとも生々しい。

 女郎が愛の証として切った髪や剥いだ爪を渡すことがあったが、その行きつく果てが切り取った小指だ。そうまでして愛を誓ってくれたのだから、徳治郎とて嬉しくないわけがない。仰天したあとは、敷浪の手を愛おしげに見つめるだけだ。大仰なほどに包帯の巻かれた左手は、親指だけを覗かせている。

 敷浪は右手の指を一本だけ立てて「これが一日目」と前置きすると、指を二本に増やし、更に言葉を続けた。

「だからぁ、二日目は徳さんの愛が欲しい。あたしのだぁい好きな山吹やまぶきいろをくださいな」

「山吹の花は季節外れじゃあないか……?」

「もう! すっとぼけちゃってぇ。山吹色のものといったらアレしかないでしょう?」

 敷浪が白魚のような指先で、胡坐あぐらをかいた徳治郎のももを小判の形になぞる。初心な徳治郎は尻を浮かすほど驚いて「ああ、あ、金子きんす。き、金子か」と、しどろもどろになって答えた。

「そうして、三日目はぁ……」

 指を三本立てた敷浪は蠱惑こわく的な表情を浮かべ、夜具の整えられた隣室に視線をやる。目元のほくろが婀娜あだめく眼差しを飾り立て、釘付けになった徳治郎はゴクリと生唾を飲み込んだ。

「いやだわぁ、恥ずかしい。みなまで言わせないでちょうだい」

 ふっと表情を緩めた敷浪は気恥ずかしそうに冗談めかして、足早に部屋を後にする。残されたのは、期待で否が応でも口角が上がる徳治郎だけだった。


 二日目に金子を届け、いつものように床入りはせず酒だけを楽しんだ徳治郎。三日目にはもう居ても立っても居られなくなって、昼間から水茶屋で煙草をみ、胸を躍らせていた。吐き出した煙は、まるで浮ついた心のようにどこまでも高く昇る。

 するとそこに、両替商の跡取り――清兵衛せいべえが現れた。二人は気心の知れた仲だ。

「何だい、にまにま笑って。気色悪い」

「わかるかい。わかっちまうかい。これから幸せになろうという男の笑顔が。俺ぁ今日、惚れた女とになるんだよ」

 清兵衛は徳治郎の隣に腰を降ろすと、煙管キセルを咥えながら「へぇ」と適当に相槌を打った。

「気立てが良くて、目元のほくろが何とも色っぽいんだ。それから細くて白い指先が浮世離れしてるような美しさでな。なんと、その指で心中立てしてくれたんだ!」

 締まりのない顔をする徳治郎とは対照的に、清兵衛の眉がひそめられる。

「まさかとは思うが、そのねんごろになる相手ってのは、女郎の敷浪じゃあないだろうな」

 清兵衛は徳治郎が持っているのとそっくり同じ桐箱を取り出して見せた。唖然としながらも、徳治郎も同様にする。一日目以来見てもいなかった小指は、相も変わらず真っ赤な血を纏っていた。互いに顔を見合わせて、暫しの沈黙。

 口火を切ったのは清兵衛だった。

「ははぁ、それは木でできた偽物だな! 血だってそう何日も真っ赤なもんか。きっと血糊だろう!」

「お前のこそ偽物だろう! そんな指、白魚のような敷浪の手とは似ても似つかない!」

 店先にも関わらず「俺こそが敷浪の想い人だ!」と声を荒げる二人を、呼び止める者がいた。

「待たれい。お主ら、敷浪と申したか?」

 そうして通りがかった旗本のせがれが懐から箱を取り出したから、もう収拾がつかない。


 妓楼に押しかけた三人を、店の若い衆が必死になだめすかす。そのうち敷浪が騒ぎを聞きつけてきたが、あくびを噛みころしながら「あらぁ。皆さま、お揃いで」なんて呑気にのたまう。

「揃いたくて揃ったわけじゃねえわい!」

然様さよう! 敷浪、これはいったいどういう了見だ!」

「今日は約束の三日目だぞ! 誰に渡した指が本物か、答えてもらおうじゃあねえか」

 詰め寄る三人を前にして、敷浪は左手を背に隠し、あとは堂々としている。そうして、あっけらかんと言い放つ。

「全部、本物さ。でも三本も指をあげちまったから、二日目までしか数えられないね」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

指切り三日 十余一 @0hm1t0y01

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説