われはロボット掃除機

秋待諷月

I, Robot Vacuum

 私はロボット掃除機である。名前は「ああああ」。

 レトロなロールプレイングゲームの主人公を彷彿とさせる雑な名前は、私の初期設定を請け負った若手社員が付けた。ユーザー登録にあたりニックネームを設定する必要があると知り、「めんどくせぇ、『ああああ』でいいや」などと呟かれたときの、私の絶望を想像できるだろうか? この恨み忘れんぞ。スクラップになっても祟ってやるから覚悟しろ、鈴木。

 話が逸れたが、社員十余名の小さな測量事務所が私の職場だ。OAデスクや書類キャビネットがずらりと並ぶ隙間という隙間に、事務機器や測量機材が野放図にぎゅうぎゅうと押し込まれたオフィスの床面積は十坪ほど。築二十年は経つ雑居ビルの一階に位置する上、屋外作業が多い仕事柄も手伝って、室内は土埃や砂で常にざらついている。なお悪いことに、男性純度百パーセントの社員の中に、「掃除は日常的に行うもの」という意識を持つ者は誰もいない。

 砂と埃と汗臭い野郎共にまみれた、窮屈でむさ苦しい職場が私の世界の全て。ディストピアか。

 ちなみに私が導入されたのは、この惨状を嘆いた良識ある社員が進言したため――ではなく。社員らが一時のブームで集めた「秋のパンまつり」のシールで懸賞に応募し、私が当たったというだけのことだ。

 社員らの狙いはホットプレートだったらしく、配達された私の梱包を解いて開口一番出てきた言葉は、「この上でもんじゃ焼くのは無理だよな」だった。職場でもんじゃを焼こうとするな。

 どれだけ劣悪な環境で不遇な扱いを受けていようとも、自己都合退職の権利はおろか、有休すら付与されない私の選択肢は一つしかない。「働くこと」である。

 いつかお掃除ロボット労働組合が立ち上がって雇用主に反旗を翻す日を待ち焦がれつつ、私は今日も粛々と業務を遂行するのである。




 朝のミーティングが終わり、社員の大半が現場へ出掛けてからが、私の勤務の始まりだ。

 人が多い時間帯に稼働させるとお互いの仕事の邪魔になるというのが理由であり、これには私も大いに賛同する。

 本当は誰も出社していない休日に働くことができればベストなのだろうが、私が導入されて最初の休日に警備システムに感知されて大騒ぎになって以来、会社の休業日には私の休みも確約されることになった。土曜日の朝っぱらから会社に駆けつける羽目になった社長が、警備員に平謝りしながら私を見下ろした憎々しげな顔を、私はしばらく忘れられそうにない。

 ピコリン、という陽気な起動音を合図に、風車に似た二つの掃除ブラシを稼働させながらホームスペースを滑り出る。黒く塗装された平たい円盤状のボディにも、各部の動作にも異常は無い。ゴム製のローラーブラシと前輪をパワフルに回転させ、いざ戦場へ――。

「あー、始まったか。今日もうるせぇなぁ」

 勤務開始早々、頭上から暴言が降ってくる。気だるげな声の主は、入社三年目の青二才にして憎き私の名付け親、鈴木である。今日は単独での留守番兼デスクワークを任ぜられているらしい。事務仕事を苦役とみなす脳筋男のため、機嫌が悪い。

 ヴィィィン、とオフィスに鳴り響く私の稼働音は約五十デシベル。騒音基準値に達しているため、集中を乱す要因になるだろうことは否定しない。が、声がでかい上、勤務時間中だろうがお構いなしに繰り出される鈴木の無駄話の推定値は約七十デシベルである。「今日もうるさい」のはお前のほうだ。

 鈴木の無礼千万な舌打ちを聞き流し、まずは窓側通路の掃除に取りかかる。自慢のエッジブラシを駆使して、壁と床の境目まで徹底的に美しく……したいのはやまやまだが、鈴木を筆頭とした杜撰な社員らが放置した荷物のせいで、私の動きは著しく制限されてしまう。

 段ボール箱、紙袋、通勤鞄、菓子袋が山盛りになったゴミ箱……誰だ、設計書類のファイルを床に直置きした不届き者は?

「あ、おいポンコツ、崩すなよ。大事な書類なんだから」

 貴様か、鈴木。

 生憎、旧型の安価モデルである私は、ユーザーの口頭指示を聞き分けて対応するような機能を持ち合わせていない。鈴木の要求も華麗に無視する。

 幾度も障害物にぶつかり、方向転換を余儀なくされながら、どうにか最初の通路を走破した。私は複数部屋には対応していない。鈴木が初期設定をサボったために進入禁止エリアも定められておらず、走行ルートは一定だ。

 ここで一つ言わせてもらいたい。すでにお分かりのように、私には立派な自我がある。だが真に遺憾ながら、私の自我から生じた意思が私の作動に反映されることは無い。そんな機構が本体に無いのだ。そもそも自我を持つことが想定されていないのだから当然だろう。どうして生じたか頓と見当がつかない。ロボット掃除機思う、故に、ロボット掃除機あり。

 ――また話が逸れたが、つまるところが、「私は自分の思いどおりには動くことができない」。

 馬鹿の一つ覚えのように同じルートしか走れないのも、汚れが酷い場所を重点的に掃除するような融通が利かないのも、鈴木の足を狙って執拗な体当たりを繰り出すことができないのも、私の本体が意思に従う機能が無いためだ。

 だからして。

「おーいポチ、こっちの掃除してくれよ。エサあるぞ、エサ」

 勤務中に菓子を食べようとして開封に失敗し、デスク周辺にキッズスターラーメンをぶちまけた鈴木に呼ばれようが、私が走行ルートを変更してまで馳せ参じることは無い。絶対に。

 というか、誰がポチだ。「ああああ」よりマシかもしれないが。その名前を付けたのは誰だ。貴様だ鈴木。

「やっぱ来ないか。使えねぇなぁ」

 ロボット三原則が無ければ轢き殺してやるのに。




 不平を零しながら床にばら撒いた菓子を拾う鈴木を視界から閉め出すように、コーナーを曲がって複合印刷機の周囲を掃き清める。

 通りがけに木製の小さな作業台にぶつかったため、机上に積み上げられていた段ボール箱の均衡が崩れた。使用済みトナーが詰め込まれた箱が頭上から降ってくるが、すんでの所で回避する。床に叩きつけられた箱が発した物音に、驚いた鈴木がびくりと飛び上がった気配がした。いい気味だ鈴木。舌打ちをするな。

 背中合わせに配置されたOAデスクのサイドからデスクの下に潜り込む。ケーブルマネジメントがお粗末なこのオフィスでは、PCの電源ケーブルもLANケーブルも電話線も床上でうぞうぞと這い回って、モンスターじみたタコ足配線に集約されている。ロボット掃除機にとっては魔の領域だ。

 案の定、配線の上を無理矢理横切る際にローラーブラシが電話線を巻き込んで、私の本体は「ヴィギャギャギャギャギャ!」と異音を上げ始めた。

 もがけばもがくほど、他のコードまでも巻き込んで事態は悪化し、抜け出そうにも抜け出せない。万事休す。

「やれやれ。手がかかるんだから」

 デスク下を覗き込んで嘆息し、私を照明の下へと引きずり出したのは鈴木である。

 フラットな床の上に私を置き、絡まったケーブル類をデスクの下に押し込み直す鈴木の表情は、木に登ったはいいが降りられなくなった猫を見るそれだ。なんたる屈辱。

「助けてやったんだから、礼くらい言ったらどうなんだ?」

 作業着についた埃をはたきながら立ち上がり、おちょくるように鈴木が言ったが、私はぷいと背を向け、素知らぬ顔で業務を再開した。

 今の醜態に関して私に非は無い。ロボット掃除機に仕事を一任しておきながら、床という床を散らかり放題にしている社員たちが悪いのだ。

 こんな職場では私の真価が発揮できない。広大な空間に解き放たれて、なんの制限も無く走り回ることができたらどれだけいいだろうか。ロボット掃除機は放牧羊の夢を見るのである。

 ……などと嘯いてみる一方で、私はオフィスの通用扉が閉まっていることに安堵する。と、言うのも、私には以前、開けっ放しになっていた扉から屋外へ逃走した前科があるのだ。気付いた職員がすぐに連れ戻していなければ、道路に飛び出して車に轢かれるか、さもなくば野良ロボットと化して都市伝説になっていたかもしれない。




 OAチェアの脚にガツンゴツンとぶつかりながらデスク回りの掃除を完了させ、ダストボックスも腹八分目になってきた頃、最後にして最難関のエリアに辿り着く。給湯スペースである。

 水跳ねや注ぎ損ねた飲料により床はベタついており、そこかしこに食品カスやゴミの破片、インスタントコーヒーの粉が零れ落ちている。分別用のゴミ箱の他、畳んだ段ボールや古新聞、空のペットボトルや瓶・缶が詰まったゴミ袋も床に直置きされているため、私がどれだけ誇りを持って臨んだところで、ゴミ置き場を漁る野良犬のような図になることは避けられない。

 げんなりするが、それでも仕事は仕事だ。腹を括って勇ましく前進し始めたところで。

「そうだ、この下も掃除してくれよ。昨日落としたグッピーラムネ、このあたりに転がっていったんだよなぁ」

 そんなことを呟きながら私を跨ぎ越した鈴木が、目の前にあった段ボール箱をひょいと持ち上げて移動させた。

 私が来る以前からこの場所に置きっぱなしだったと思われる、年季の入った汚い箱である。あまりに堂々と床を占拠し続けていたため、私はもはや壁の一部と認識していた。

 その箱が撤去されて現れたのは、台所用品を詰め込んだ、古びた金属製の三段ワゴンラック。

 ――と、床との間に存在する、高さ十センチほどの隙間である。

 どうやら鈴木は、この空間を私に掃除させようとしているらしい。道を塞いでいた段ボール箱が消えたことで、私は否が応でも新しい走行ルートを開拓せざるを得なくなった。これから地底ならぬ床上旅行にでも出掛けるような、ただし、高揚感は皆無の陰鬱な心持ちで前方の暗闇を恐る恐る覗き込む。


 ……うー、わー……。


 ワゴンの下は綿埃の楽園だった。ふわふわとした雲の絨毯のよう、と言えば聞こえはいいが、積もり積もった厚い層は砂利っぽく、見るからに不潔で夢もへったくれも無い。キャスターには蜘蛛の巣がべっとりと絡みつき、変色した糸の残骸が底板から天蓋のように垂れ下がっている。

 鈴木が落としたラムネとは、ワゴンの下に転がっている、この埃まみれの白い物体のことだろうか。これはもはやラムネではない。ケセランパサランだ。

 ――ここで再度言わせてもらおう。いくら私に自我があり、意思があり、希望や切実な願いがあったとしても。


 私は、自分の思いどおりには、動くことができない。


 意思に反して、私は蜘蛛の巣のヴェールと埃の絨毯に正面から突っ込む。静電気で吸い寄せられた大量の埃が黒いボディに一斉にへばりつく。自慢のブラシがパワフルに埃を掻き集め、ダストボックスにせっせと詰め込んでいく。私の腹はあっという間に満たされた。「ボックスが満タンです」ランプが煌々と灯るが、誰が、というか、鈴木が気付いてくれるはずもなく、ブラシも回転を止めてくれない。

 耐えろ、耐えるんだ私。この場所さえ綺麗にしてしまえば勤務終了、清掃期の終わりだ。

 襲い来る吐き気を懸命に堪え、埃の海を掻き分けて突き進んだその最奥で、私は、埃とは違う茶色っぽい異物と対面した。


 それは、カラカラに干涸らびた、一匹の巨大なゴ●ブリの死骸。


 私は声にならない悲鳴を上げる。それでも私の本体は構わず前へと突き進む。たちまち迫るミイラ化したゴキ●リ。

 ――誰か! 誰か助けてくれ! 私では止められない私を止めてくれ! 

 こうなったら鈴木でもいい、というか、鈴木しかいない! さっき礼を言わなかったことならば謝る、悪かった、大変申し訳ありませんでした、だからどうか――ああああああああああああああああああああ!




 私はロボット掃除機である。名前は「ああああ」。

 今日も業務を完遂し、明日の仕事に備えて充電をすべく、私はホームを目指して帰途につく。

 引きちぎれた翅と脚を腹の内に収めて。




 Fin.

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