君の熱が伝染してる

藍ねず

君の熱が伝染してる

  人間の比率が多いけど、少し変わった人外も住んでいる世界の片隅。

 とある大国の、ちょっと大きな街の中。小さな露店が僕の店。


 〈心 お配りします〉


 大っぴらに看板を出すのは恥ずかしくて、小さな立札を台に飾った。机に並べたのは僕の体から削り出した僕の心。型崩れしないように柔かい布の上に置けば、歩く人が片手で取って行ってくれる。


「ぁ、ありがとうございましたー……」


 一カ所空けば予備の心。次に空けばまた予備を。


 僕は氷の人外だ。姿形は人間と同じなんだけど、内臓とか皮膚の下、骨まで氷で出来ている。

 生まれた時は全身氷人間だけど、寒冷維持素材を使った人工皮膚を纏うことで体が溶けることを防ぐんだ。服も靴も冷却素材で、日差しを吸収しやすい眼球は網膜型冷却シートを貼っている。


 だから見た目は普通の人間だと言っても信じてもらえる。ちょっと皮膚を捲ったら氷なんだけどね。


 そんな僕の氷を削って作ったのが僕の心。ふわふわの粉雪みたいに削る方法は企業秘密。それを優しく成形し、綺麗なハート型にすれば完成だ。


 心配りの仕事には昔から憧れていた。

 冷たい僕でも、心として作った欠片はあったかいから。それを必要としてくれる人がドンドン取って行ってくれるから。


「貰うねー」


「は、はい。ありがとうございます」


 颯爽と僕の心を持って行った人を目で追う。忙しそうに歩く人は僕の心を齧って、ぐるぐると肩を回していた。それは、この仕事でしか見られない姿だ。


 心配りが準備した心は、齧ればちょっと元気が出て、持っていれば安心する作用がある。

 永続的な効果はないから数時間後には冷たくなってゴミ箱行きなんだけど、一時でもその人が頑張る糧になれるなら嬉しいんだ。これは心配りをする人外に共通したやりがいだと思う。


 隣の路地では向日葵の人外さんが花弁で出来た心を配り、街の中心では楽譜の人外さんが安らぐ音色の心を配っていた。


 街の人はそれぞれ心を貰って行く。

 一人、一人、また一人。


 僕が空いた場所に新しい心を置いていれば、今しがた心を取って行った人が振り返った。


「なにこれ冷たいじゃん」


「え、あ、ごめんなさ、」


 心を持った人が顔を歪めてしまう。僕の体からはサッと血の気が引き、削り出した心は路肩に投げ捨てられてしまった。


 失敗してたなんて気づかなかった。ちょっと形は歪だったけど、良いかと思って置いたのが間違いだったな。良かれと思ってやったのに、なんていうのはやっぱり自己満足でしかない。


 捨てられた僕の心が溶けていく。冷たい僕の体のように、熱に負けて、誰も温められないまま消えていく。


 体の芯から冷え切っている僕は、たまにこうした失敗作を作ってしまう。あったかくない、冷たい心。大半はちゃんとした心だから大丈夫な筈なんだけど。


 冷たかった心は水になり、このまま蒸発を待つだけとなった。


 僕の露店の前を心回収車がゆっくり走る。あれは期限が切れて捨てられた心を回収してくれるんだ。

 砕かれた心の欠片は肥料にされて、農業用や家庭菜園用の栄養剤として再利用される。僕の心はどんな野菜や花を育ててるんだろう。


 色が変わり始めた空を見て、残り少なくなった在庫を確認する。そこで一つの影がさして、和やかな声がしたんだ。


「心を一つ、頂いていいですか?」


 それは毎日聞く声。僕の心の常連さん。


 夕日を閉じ込めた髪色の女の子。たぶん僕と同じくらいの年齢で、この間パン屋さんで働いているのを見かけたのは内緒。


 彼女はいつも聞いてくれる。みんなさっさと持って行ってしまう僕の心を、持って行ってもいいですかって。


「もちろん、どうぞ」


「ありがとうございます」


 目尻を下げてはにかむ彼女は両手で僕の心を持ち、会釈してから離れていく。


 僕はちょっとだけ背筋を伸ばして、残りの心を並べ直した。


 日はあっという間に沈み、交代の時間がやってくる。


「お疲れ様です。代わりますね~」


「お疲れ様です。よろしくお願いします」


 やって来たのは夜光虫の人外さん。今日も淡く光る綺麗な心を沢山抱え、僕は空になった箱を畳んだ。


 心配りの露店は交代制で色々な人が使う。僕の席は太陽が昇っている時間だけで、暗くなれば夜光虫さんが心を配るんだ。夜も行き交う人々に向けて。


「あ、こちら今日も良かったら~」


「ありがとうございます。僕も、良かったら」


「ありがとうございます。大事に頂きますね~」


 ぺこぺこと夜光虫さんと頭を下げ合い、僕らは互いの心を一つ交換する。これは心配りなら誰しもしてしまう習慣と言ってもいい。休憩時間とか、交代の時とか。心を配る自分達の間で色々な心を分けるんだ。


 夜光虫さんはいつも仕事中に僕の心を食べて夜を過ごしてくれているらしい。僕も発光する心を撫でて寝るとホッとするから、この時間はとても好きだ。


 僕は夜光虫さんに会釈して、彼がのんびり看板やランタンを準備する姿に「頑張って」と口の中で呟いた。


 これから帰ってご飯を食べて、明日の心の準備をして。削った所が早く治るように冷水に浸かって。


 帰宅後のことを考えていれば、パンの良い香りが漂ってきた。


 僕は夕焼け色の髪を思い出したけど、あったかい物を食べると口を火傷してしまう。だから匂いだけを噛み締めて家に向かった。


 ***


 他の心配りさんがどうやっているのかは知らないけど、心を作る作業は心身共に疲れる作業らしい。かく言う僕も一日分の在庫を作るだけでへとへとだ。


 僕は主に左腕の氷から心を削っている。皮膚を指先からゆっくり剥がし、露出した氷に製氷用のナイフを当てるのだ。


 少しずつ少しずつ削り出す。粉雪のように優しく降り積もるように。急いで削れば流石に痛い。でも時間をかけている時も背中の中央辺りが疼いてしまって、疲れている日は泣いてしまう。


 それでも作る。だって僕は心配りだから。その道を選んだから。


 どうか僕の心で、必要としてくれた誰かが温まりますようにって願いを込めて。冷たい僕が、誰かに温もりを与えられるなら、これ以上の喜びはないから。


 優しく優しく心を作る。歪になったものはゴミ箱に捨てて、形のいい心だけを露店に並べる。


 それでも「これ冷たい」と道に捨てられる心はあった。綺麗にした筈なのに、温かくなったって思ったのに。迷惑をかけた心は道の端で溶け、並べた心は次から次へと持っ行かれた。


 みんな心が欲しいから。温かさが欲しいから。


 みんな大変。色々な場所で頑張ってる。どれだけ僕の心が捨てられたって、それはその人のせいではない。求める温かさを準備できてなかった僕のせいだ。


 毎日、交代時間の間際にはあの子が来てくれた。夕焼け色の髪の子。パンの匂いをちょっとまとった女の子。僕の心を大事に持って帰ってくれる常連さん。


 交代する時は夜光虫さんが心をくれた。休憩時間に街を歩けば、他の心配りさんと心の交換もした。


 ちょっとずつあったかい。少しずつ元気が出る。帰れば明日の為に身を削り、今度こそ冷たい心が混ざらないように在庫を準備。今のところ、上手くいった日はないんだけど。


 それが僕の日常で、夜が明ければ気合を入れた。少しでも誰かを温かくしようと頬を叩いて、穏やかな交代へ向かうのだ。


「今日で自分、心配りをやめるんだ~」


 意気揚々と露店へ着いた時、夜光虫さんは自分の看板を仕舞いながら告げた。鈍器で殴られたような衝撃は僕の口から「え……」を零し、夜光虫さんは笑っている。


「夜はここ、閉めちゃってね~。次の心配り希望が来れば同業者通信も回ってくると思う~」


「え、あ、や、夜光虫さん、ど、どうし……ぃや、あの」


「……ごめんね~」


 夜光虫さんが最後の心を僕にくれる。柔らかく光る綺麗な心。交換した僕の心を撫でた夜光虫さんは、ぽとりと言葉を落としていった。


「もう、疲れちゃった~……」


 去っていく夜光虫さんを見送って、僕はしばらく放心した。心を並べたり看板の準備をしないといけないってことは分かっているのに、仲間が一人いなくなった現実が僕の氷を叩き続けていたから。


「ねぇ、くれないの? 心」


「ぁ、あ、すみません」


「もう、」


 仕事に行くであろう人に声を掛けられたことで、慌てて心を準備する。僕の手から強く取られた心はさっそく齧られていた。颯爽と歩き去る背中は少しだけ元気になったみたいで、それでも僕は元気が出ない。


 空は薄く暗い雲に覆われ、たしか早いうちから雪が降る予報だった。僕は寒いのなんて平気だけど、行き交う人々はきっとそうじゃない。だからしっかり心を配らないといけないのに。


 僕は何度も目元を拭い、空いた場所に心を補充した。


 今日も沢山の人が僕の心を取って行く。両手で暖を取るようにしたり、ポケットに入れたり。どうしても生まれてしまった冷たい心は今日も道端に捨てられた。


 今日は寒いから、溶けないかもしれないのに。


 降り出した雪が捨てられた心に積もっていく。僕がその光景を見つめていると、近くに回収車が停まった。下りてきた運転手さんは僕の露店に近づくと「君が氷の心配りさん?」と眉をひそめる。


「はい、そうですけど……」


「あー……言いにくいんだけどさ、君の心、もう少しなんとかならないかな?」


「え、な、なんとか、って言うのは、」


「この氷、回収する時どの心よりも冷たくて硬いから困るんだよね。肥料にしても農作物用には出来ないから分別がいるし、使えても冷却用壁材とかになるから部署が違うんだよ」


「あ……」


 並んだ心を見下ろして「すみません」だけが口から出る。運転手さんは「こっちも言いたくないんだけど、ごめんね。改善策か何か考えてよ」と頭を掻いて、心を一つ持って行ってくれた。


 走り去る回収車にドッと肩が重くなる。


 僕の心は、何も育てられないらしい。


 初めて知った事実を何度も頭で繰り返しては肩が落ち続ける。俯き加減の僕の前からはそれでも心がなくなっていくから、補充だけはゆっくりやった。


 みんな、心が欲しいんだ。与えられる温かさがあれば貰いたいんだ。そして僕はあったまってほしいから心を配ってる。


 そう、そうだよ。だったら使い終わった心を回収してくれる人に迷惑をかけては駄目なんだ。僕が心を配るせいで誰かが苦労するなんて、はた迷惑もいい所だ。


 でも、でも、どうしたらいいんだろう。


 どうすれば僕は誰にも迷惑をかけずに、心を配れるんだろう。


「ねぇ知ってる? 近くの森に魔女がやって来たらしいよ」


「あぁ、だからあんなに霧が」


「素敵な人形をくれる魔女だってね」


 街ゆく人の会話が耳を通って僕の氷に反射する。雪はどんどん大きくなって、これは長く降りそうだ。


「心配りの露店、足りないよなぁ」


「もっと数を増やしてほしいよ」


「役所に言っとこうか」


 僕が吐いた息は白くならない。人々は寒そうに身を縮め、色々な心を握り、齧って、温まった。


「あの、」


 夕暮れが分からない今日も、夕焼け色が来てくれた。彼女は僕を見て目を丸くすると、抱えていたパン屋の袋を開ける。


「今日、寒いから。いつも心を下さってるお礼も込めて」


 差し出されたのは焼きたてのパン。いつも遠くから嗅いでいた香ばしい匂いが鼻をつき、僕は反射的に口を結んだ。


 包装された上からでも温かさが分かるパンを、僕は手に取れないから。


「……ごめん、僕、氷の人外なんだ。だからあったかいもの、食べられなくて……」


「え、あ、そ、そうだったんですね。ごめんなさい」


 彼女はサッとパンを仕舞い、慌てた様子で心を持ち上げる。「貰っていいですか」「もちろん」といつもの会話を終えれば足早に去ってしまったから、僕はちょっとだけ泣いた。


 転ばないでね。

 気を付けてね。

 ごめんね、君のパン、受け取らなくて。


 今日も心は無くなった。


 また、帰って身を削った。


 明日もきっと寒いから、誰かが少しでも、温かくなってくれるように。


 ***


 雪は連日降り続いた。比例するように、僕の心は手に取られなくなっていった。


 同じ通りに別の心配りさんの露店が出来たのだ。そちらは布の人外さんがしていて、温かそうにみんな掴んで去っていく。


 僕は日に日に売れ残るようになった心をゴミ箱に捨てた。回収業者の人に申し訳なくて、改善策は浮かばないままなのに。


 だから在庫を減らした。それでも余った。僕の心は選ばれなくて、新しく華やかな心が選ばれていく。輝く心をみんな選んで持っていく。


「残ってるじゃん」


 露店の前で立ち止まったのは鋼の人外さん。屈強な見た目に僕は少し萎縮した。そんな僕に気づいていないのか、鋼さんは心をつつく。


「なんで心なんて配るのさ。身を削ってまでする意味なくない?」


 僕の喉が凍り付いた。

 夜光虫さんがいなくなったあの日から、治っていない亀裂に響く。


「無駄じゃん、こんなの。理解できない」


 亀裂が深く大きくなる。

 僕の心がつつかれる。

 呼吸は徐々に浅くなって、揺れた台から一つの心が雪に沈んだ。


「なんで、って、そんなの、そんなのッ」


 両目から氷が溶けて涙となる。見上げた鋼さんは、僕の心に爪を立てた。


「つ、冷たい僕でも、誰かを温めてみたいからッ!」


「承認欲求かよ」


 鋼さんの爪が僕の心を抉る。そのまま、また一つ、雪に心が落下する。


 凍り付いた僕はただただ涙を流すだけとなり、鋼さんは爪で台を叩くんだ。


「やめちゃえよ。向こうの露店の方が人気だし、あんたの心、時々冷たいんだろ?」


 鋼さんは心を持たずに去っていく。僕の肩を一度叩いて、新しく人気の露店の方に唾を吐いて。


「同じ人外が身を削って心を配る姿なんて、見たくねぇよ」


 僕は鋼さんを見送って、輝く露店に視線を移す。誰しもさっさと取っていく。温かくて、優しい心。それを齧って、時間が来たらゴミ箱へ。


 みんな、そう。ちゃんと全部温かい心がいい。僕みたいに冷たいのが混ざってる奴なんて、必要とされる訳もない。見限られるに決まってる。みんな冷たさなんて求めてないんだから。


 僕以外にも心配りはいる。僕がいなくても、きっと誰かが新しくここに来てくれる。心を配って、必要とされる誰かに届けてくれる。


 その日、僕は夕焼け色を待たずに心を捨てた。


 そのまま家には帰らず、誰もいない所を目指して歩いた。


 人が行き交う姿を見たくなくて、静かな方へ、静かな方へ。


 辿り着いたのは霧深い森の中。雪が積もっているせいで下も上も、右も左も真っ白だ。


 軽くつまずいた木の根に気づいて腰を下ろす。音を吸収する雪に触れていれば、夜光虫さんの言葉の意味が染みてきた。


「……疲れたなぁ」


 膝を抱えて目を閉じる。次は何の仕事をしようか。


 考えている間に意識が微睡む。雪の中で眠っても僕は死なないし、このまま雪に埋もれるのもいいかもしれない。


 なんて、考えていれば。


「もしもし、生きてるのかな?」


 小さな手に体を撫でられた。


 つられて瞼を上げれば、白い髪に黒い服を着た男の子が立っていた。鼻を少し赤くした彼は人懐っこい笑みを浮かべる。


「良かった、起きた。ご主人~、この人生きてるよ~」


「それは何より。ありがとうビル」


 雪を踏んで現れた「ご主人」という女性。漆黒の長髪に赤い瞳の彼女は僕に微笑むと、両手に乗せた雪だるまを差し出してきた。


「どうぞ」


「え、」


「君にはこの子がいいだろう」


「な、なんですか、あの」


「心配しなくていい。私はこの霧を抜けてきた者に、人形を渡すだけの存在だよ」


 渡されたのは雪の玉が重なった雪だるま。

 赤いニット帽にボタンの目。両手は木の枝。糸の口は綺麗に弧を描き、ニットの服まで着せてもらっている。


 雪だるまらしからぬ完成度に僕が呆けていれば、女性は肩を揺らして笑った。


「あぁ、君は人外だね。子どもではないか」


「え、あ、はい」


「そうかそうか、納得したよ。通りでその子が急いだわけだ」


 女性が雪だるまの頭を撫でる。すると恥ずかしそうに雪玉が跳ねたから、落としそうになって慌てたんだ。冷たく柔らかい雪だるまは僕の手の上で笑ったように見える。ボタンの目も糸の口も動いてはいないのに。


 冷たい僕の掌で、雪だるまは嬉しそうに跳ねていた。


「この子はホワイト。どうだろう、君が連れて帰ってくれないか?」


「え⁉」


 突然の申し出に僕の口から素っ頓狂な声が上がる。離れた場所で雪兎を作っていた男の子は肩を跳ねさせ、女性は喉を鳴らして笑っていた。


「な、なんで僕、え、なにこの、」


「君達は相性が良さそうだからね。特別さ」


 女性が雪だるま――ホワイトの額をつついたと同時に霧が立ち込めてくる。慌てて立ち上がった僕は既に女性を見失っており、男の子の姿も消えていた。


 聞こえるのは、籠って響く声だけだ。


「ホワイトをよろしく頼むよ、優しい氷の人外くん」


 気づけば僕は森の入口に立って、両手の上ではホワイトが跳ねていた。


「えぇ……」


 心配りをやめた僕の元にやって来た、小さな雪だるま。


 僕はしぶしぶホワイトを連れ帰り、次の仕事として冷凍系の仕事を選んだ。一人でじっと冷凍庫の中に座り、保存した物が腐らないように一日無言で冷やすんだ。


 ホワイトは僕に引っ付いてどこでも着いてきた。

 頭や肩の上を陣取って、家に置いてきたと思っても気づいたら荷物の中にいたりする。仕事中には目の前で跳ねてるし。寝る時だって気づけば枕元にいるんだから引っ付き虫なんてものじゃない。


「ホワイト~、もうちょっと離れてよ~」


 お願いしたってこの子は離れない。僕の腕に引っ付いて、僕の頬を木の枝の腕でつつく。流石に喋りはしないけど、感情表現ははっきりしている気がした。


 日雇いの僕の給料が未払いにされそうになった時は、雇い主の人に飛び掛かって肝が冷えたよ。木の枝で目つぶしは本当にやめてよ。未遂でほんとに良かった!


 僕は僕でホワイトに気を遣うことが増えた。なにせこの子は雪だるま。無理やり僕から剥がしたら暑くて溶けてしまうらしい。

 だから四六時中一緒にいたがるのは仕方がないと諦めた。家の冷凍庫にベッドを作ってあげたのに僕と一緒に寝るのはどうしてか分からないんだけど。


「ホワイト、ちょっと小さくなった?」


 いつも一緒にいるせいで僕はホワイトの重さを覚えた。だから動き過ぎて小さくなったホワイトにも気づけるようになった。

 当の本人は気にしていないようで、傾けた頭を胴体から落とすんだ。本当に気を付けて欲しい。


 僕はホワイトの頭を直し、人工皮膚を捲る。そこからゴリゴリと氷を削って降らしてやれば、ホワイトは嬉しそうに跳ねるんだ。


 僕の冷たい氷を全身で受け止めて、形の変わらないボタンの目が笑っているような雰囲気になる。


「これ、そんなにいいの?」


 冷たい僕の欠片をホワイトが拾い集める。氷を削るのをやめたらもう少しを催促するように跳ねたから、僕の視界は滲むんだ。


「仕方ないなぁ」


 ホワイトの為にちょっと氷を削る。心を作っていたあの頃のように、ふわふわになるように工夫して。


 嬉しそうなホワイトは僕の欠片を集めて体に引っ付けた。そうすれば重さが元に戻って、また僕の肩に飛び乗るんだ。


 細い枝が僕の頬をつつく。擦り寄った雪の頬が冷たくて、僕の体温と同調する。


 ホワイトはふと枝を伸ばして僕の目の下を撫でた。危ないな、やめてよ。そんな言葉は、くすぐったさに笑ってしまったせいで出せなかったけど。


 ホワイトの枝が濡れる。小さな体が僕を冷やす。


「……ありがとう」


 僕の言葉の意味をちゃんとホワイトは分かっているのか、なんて知らない。肩から頭に飛び移って、この子は勝手に跳ねるんだから。


 ホワイトには僕がいないと駄目らしい。僕ではないと、駄目らしい。


 だから僕も、ホワイトの為だけに身を削った。この子は一欠けらだって、捨てないでくれるから。


 いつの間にか、僕が心配りをやめて三か月以上が経っていた。


 街の心配りさんは入れ代わり立ち代わり。僕がいた屋台にも新しい人外さんがいて、心をみんなに配っている。


 誰かの為に、誰かの役に。


 そんな思いで準備して、受け取って貰えた時は嬉しくて……。


「……寄り道しようか、ホワイト」


 その日、仕事の帰り道。


 夕暮れが近づく時間、僕は爪先の向きを変えた。


 鼻に触れたのは香ばしいパンの匂い。


 いつも横目に見て、素通りするだけだったお店。


 僕が食べられない物を売っている場所。


 そこには今日も夕焼け色の髪をした彼女がいて、僕は立ち止まってしまった。


 それからゆっくり踏み出して、トレーとトングを手に取る。


 あの日、あの子がくれようとしたパンを乗せて、あの子がいるレジに。


 ホワイトが溶けないように体温を下げた。でも、頭の奥は色々な言葉を考えて沸騰しそうだ。


「いらっしゃいま、せ……」


 レジを打っていた彼女が僕を見て目を丸くする。その目はパンと僕を交互に見て、「え、と……」と言葉を詰まらせたんだ。


 色々、言葉はあった。煮立っていた中に色々あったんだ。


 あの日、パンを受け取らなくてごめんね。

 いつもお店に来てくれてありがとう。

 急に閉店して、って、これは自意識過剰かな。


 呆けている彼女を見た僕は、考えていたのとは全く違う言葉を出していた。


「一つ、頂いてもいいですか?」


 彼女の眉が上がって、口が微かに開いたままになる。


 かと思えば目元が下がって、大きくて綺麗な目がちょっとだけ潤んだ気がした。


「もちろん、どうぞ」


 彼女の温かい手がパンを袋に詰めてくれる。それから裏に行ったかと思えば、布に包んだ保冷材も一緒に入れてくれた。


「このパン、冷えても美味しいんです」


 渡された紙袋は確かに冷えている。でもそれは僕からすれば十分温かいから、大事に両手で抱えたよ。


「ありがとうございます」


 ホワイトが僕の肩で跳ねる。「危ないよ」って口にすれば、レジの彼女が笑ってくれた。


 もう、君が通ってた露店に僕はいないよ。心を渡してないよ。


 それでも、それでもさ。


「また、来てもいいですか?」


 声を詰まらせないように聞いてみる。


 そうすれば夕焼け色の彼女は目を瞬かせて、太陽みたいに笑ってくれた。


「いつでも、お待ちしてます」


――――――――――――――――――――


優しくしたいと思うのは我儘でしょうか。

温かくなって欲しいと願うのは欺瞞でしょうか。


大勢に心を配っていた僕は、僕を必要としてくれる存在に出会えたようです。


彼らを見つけてくださって、ありがとうございました。


藍ねず

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