scene 4

「おい!」

 構えたナイフを男に向け、若者が脅すように振りかざす。が、男のほうは緊張する様子もなく、その場に立ち尽くしたままじっとナイフの切っ先を見つめていた。ナイフを握った手を伸ばし、じりじりと男に近づいていく若者を大きな声で制すると、ジョーは「やめろ! やめるんだ!」と駆け寄ってその腕を引っ掴んだ。若者は今度はジョーを睨めつけたが、そのがっしりとした体格を認めてか、ちっと舌打ちをして腕を振りほどいた。

「あんたたち、いま通報したからね! 営業妨害だよ!」

 ドアを開けて出てきたケイティがそう云うのを聞き、若者たちは忌々しそうに唾を吐き棄て、車に乗りこんで帰っていった。

「まったくもう……お客さん、大丈夫?」

「ああ、かえって面倒をかけたな。すまない」

 男はそうケイティに詫び、ジョーのほうを向いた。

「礼は云うが……俺なんかより先に、あんたには救けなきゃいけない人がいるだろう?」

 男が云ってくれた言葉について考える間もなく騒動が起こってしまったが、ジョーはこのとき素直に頷いた。男の言葉には重みが感じられた。きっとなにか、激しい後悔を伴う辛い経験があるのだろう、とジョーは思った。

 この男の云ったとおりだ。自分は本当は誰よりもアビーを大切に思っているのに、なにもかも失ってゼロから始めることが怖かった。なにも無くなった自分が彼女を護っていける自信がなかったのだ。

 相棒の女房に手をだして、掻っ攫っていく悪者にはなりたくなかった。善い人の貌をして、アビーがマイクと円満にやっていけるように見守っていてやらなければと、そう言い聞かせて自分を騙していた。だがもうアビーも限界、この男の云うように、自分が堪えていてもいずれ歪みは大きなひび割れになり、崩壊してしまうかもしれない。その前に――自分が素直になり、肚を括ればこの袋小路から抜けだすことができるのだ。

「ああ。……今からアビーを迎えに行くよ。決心がついた。ありがとう」

 ジョーはそう云って、歩き始めた男の背中をぽんと叩き――小指に感じたその感触にはっとした。

「あんた……」

 手を下げて確かめる。ジーンズのベルト部分に挟みこまれた、その硬い感触。

「銃を持ってたなら……さっきのガキがナイフなんかちらつかせたとき、見せて脅かしてやればよかったじゃないか」

 ジョーは思った。もしも自分が駆け寄って止めていなければ、刺されていたかもしれないのに。しかし男はジョーにはなにも云わず、ケイティに顔を向けると「通報したってのははったりか?」と尋ねた。

「ううん、ほんとに通報したよ。たぶんもうじき来ると思うけど」

 その返事を聞くと男は、「そうか」とちょっと意外そうな顔をした。そしてハーレーの傍に立つと、どこも異常がないかチェックするように愛車を一周する。

「……いいバイクだな。これから何処へ?」

「さあ、何処かな……」

 バイクに跨りながら、男が答える。行きたい場所は一ヶ所しかないんだけどな、と独り言のように呟きながら、暮れ始めた空を遠い目をして眺め――男はヘルメットを手に、被っていた帽子を脱いだ。

 ――右目の上あたり、乱れた髪の陰から、皮膚が刳れたような一筋の醜い疵痕があることに、ジョーは気づいた。男がすぐにヘルメットを被ってしまったためにはっきりとはわからなかったが、その傷は焼けた鉄の棒で殴りつけたような痕に見えた。さっきの感触の所為なのか、ひょっとして銃創ではないか、なんてことまで浮かんだ。

 その傷どうしたんだ、と訊きたかったが、そのタイミングで遠くからパトカーのサイレンが聞こえた。それをかき消すように男がエンジンをかける。ジョーはなんとなく行かせてやらなきゃいけないのだと察し、言葉を呑みこんだまま片手を上げた。


 どこまでも真っ直ぐに続く道。朱色と瑠璃色がグラデーションをつくる空に向かって、黒いハーレーは走り去っていった。砂煙が舞いあがり、まるで曳き波のようにわだちがそのあとを追いかける。

 ジョーは店内に戻ると残っているものをケイティに頼んで包んでもらい、勘定を支払った。これまでいろいろとありがとう。実際に口にしたのはありがとうの一言だけだったが、ケイティには伝わったようだった。

 ――アビーを迎えにいって、この町を出よう。

 ジョーは運転席に乗りこむと、バックして切り返し、進むべき方向に向かってピックアップトラックを走らせた。









𝖲𝖼𝖺𝗋 -𝖲𝗈 𝖫𝗈𝗇𝗀 𝖲𝗎𝗂𝖼𝗂𝖽𝖾- [𝖲𝗂𝗇𝗀𝗅𝖾 𝖼𝗎𝗍 𝗏𝖾𝗋𝗌𝗂𝗈𝗇]

© 𝟤𝟢𝟤𝟥 𝖪𝖠𝖱𝖠𝖲𝖴𝖬𝖠 𝖢𝗁𝗂𝗓𝗎𝗋𝗎





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きずあと -So Long Suicide- [Single cut version] 烏丸千弦 @karasumachizuru

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