scene 3

 さっと険しい表情を向け、ジョーは「なんだ、なにがおかしい!」と声を荒らげた。

 帽子を被った男は「すまない。あんたを笑ったんじゃない」と、鍔の陰から切れ長の眼を覗かせた。

「話も、聞くつもりはなかったが聞こえちまった。この距離だ、ゆるしてくれ。……笑ったのは、ちょっと思いだしたことがあって……似たような話ってわけでもないんだが、なんとなくな」

 男が本当に申し訳無さそうに、少し苦笑を浮かべてそう云うものだから、ジョーは大きな声をだしたことを恥じるように「そうか、ならいい」と肩を竦めた。いつもなら優しい言葉で癒やしてくれたり、発破をかけて笑い飛ばしてくれたりするケイティが、返す言葉を思いつかない様子だったからかもしれない――ジョーは、名前も知らない余所者の男がなにか助言してくれるのではないかと期待し、尋ねた。

「似たような話でもないって……そりゃあ、なにか女のことで揉めたとか?」

「いや」

 しかし、男はそう短く答えただけで黙ってしまった。なんだ、なにか云ってくるかと思ったのに、とジョーはその横顔を見つめた。男はやや俯き加減にコーヒーカップを――否、眼の前にはないなにかを見つめているような、暗い顔をした。

 コーヒーカップはもう空のようだった。男の前にあるのはもうひとつ、小ぶりな皿が一枚あるだけだ。チョコレートが溶けたらしい僅かな跡とパン屑のような欠片から察するに、食べたのはドーナツだろう。

 ジョーは問題解決への手掛かりを手探りするように、男ともう少し話がしたいと思った。

「兄ちゃん、もうなにも食わないのか? よければ奢るよ、こっちに来ていっしょに飲まないか」

 そう云ってみたが、男は薄く笑みを浮かべて首を横に振った。

「ありがとう。だが、俺はもうそろそろ行くよ。――ごちそうさん」

 後の一言はケイティに向けられていた。男は勘定とチップをカウンターに置き、席を立った。

 ゆっくりとした足取りで店を出ようとしていた男が、ジョーの背後でふと立ち止まる。

「……ジョー、だったな。おせっかいなことを云うが、あんた、肚を括って彼女と一緒に町を出たらどうだ。仕事やらなんやら、棄て難いもんはいろいろあるんだろうが……話を聞く限り、あんたの彼女はもう今の旦那となんて続かないぞ」

「俺の彼女じゃ――」

「いいや。あんたのだ。彼女はきっと、相談する前からあんたに惚れてたんだ。あんたのことが好きで、あんたに頼って、あんたになんとか救いだしてほしいんだよ。もしもその一晩の過ちってやつをあんたがなかったことにしたとしても、彼女はもう結婚生活なんてやっていけないだろう。あんたへの想いを抱えて他の男と夫婦ごっこなんて、そのうちなにかが爆発して酷いことが起こる。痣くらいで済んでるうちに、連れだしてやれ。

 あんたも相棒の女房だから自分でストップをかけてるだけで、本当はアビーが好きなんだろう? 自分の気持ちをごまかしちゃだめだ、こういうことはもっと利己的になっていいんだ。……取り返しのつかないことが起こってから後悔しないためにな」

 ――そのときだった。ばたんと車のドアを閉める音と甲高い笑い声に、男とジョーは揃って店の外を見た。一台の車から降りてきたらしい男女四人が、なにやらふざけて騒ぎながら黒いハーレーをべたべたと触っていた。酔っ払っているのか、露出の激しい恰好をした女たちは他人のバイクに跨る男を注意するどころか、スマートフォンで撮影したりしている。

「おい、あれあんたのバイクだろ? まったく、ろくでもないな」

 男は呆れたように肩を竦め、黙って店を出ていった。ジョーはなんとなくその様子をガラス越しに眺めていたが――

「おいおいおい」

 おそらく、男に注意されて頭にきたのだろう。若者たちが男の胸ぐらを突きとばし、女が脚を蹴飛ばしたりしながら、男を取り囲んだ。なにか云いながら一歩近づき、それを制するように男が上げた両手を払い除け、威嚇するようにまた小突く。

 そして――男がなにか云ったのか、血相を変えたひとりが拳を握った。頬を殴られ、しかしふらつきもせず男がまた向き直る。若者は再び反対側から殴りかかったが、今度は軽く躱された。

 プライドが傷ついたのか、若者たちはさらにヒートアップしたようだった。女たちも一緒になり、寄って集って滅茶苦茶に殴りかかる。しかし喧嘩慣れしているらしい男に巧く躱されては同士討ちのダメージを喰らい、若者たちはますます苛ついたように表情を険しくした。口汚く罵る甲高い声が、窓越しに聞こえてくる。

「すごい。強いね、あの人」

 ケイティは感心したようにそう云ったが、多勢に無勢、放っておける状況ではない気がした。「止めてくる」とジョーが席を立ち、店を飛びだしたとき――若者のひとりが怒りで真っ赤にした顔で男を睨みつけながら、ポケットからナイフを取りだした。

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