この町と一緒に/プロポーズ編⑥

「京都タワー? そこに行けばなぎちゃんに会えるん?」

「うん。そのはずだよ」


 日が落ちた頃、千颯ちはやみやびは京都タワーに到着した。目の前にそびえ立つ京都タワーは、白い光に包まれている。


 凪からのメッセージには、【白い塔が光輝く時、千年の都を見渡せる場所で永遠の愛を誓え】と書かれていた。


 白い塔は京都タワー、光輝く時というのは京都タワーがライトアップされる時刻を指しているのだろう。そして千年の都を見渡せる場所というのは、恐らく展望室のことだ。


 展望室で凪からダイヤモンドルースを取り返したら、想いを伝える。ここまで来たらやるしかない。


「行くか」


 覚悟を決めてから、展望室まで続くエレベーターに乗り込んだ。


*・*・*


 地上100mの高さにある京都タワー展望室からは、京都の町並みを一望できる。巨大な窓ガラスの外には、京都市街の夜景が広がっていた。


 展望室はダウンライトで照らされていて、ロマンティックな雰囲気を醸し出している。まさにプロポーズに最適な場所だ。


 雅は目を輝かせながら窓ガラスに駆け寄る。


「京都タワーに登ったのは子供の頃以来やわぁ。夜はこんなに綺麗なんやなぁ」

「近くにあると、案外登らないもんだよね。俺もスカイツリー登ったことないし」

「ほな、今度一緒に登ろかぁ」

「うん。そうだね」


 にっこり笑う雅からお誘いを受けると、自然と頬が緩む。またひとつ約束が増えた。約束がある分だけ雅と会えると考えると嬉しくなった。


「それじゃあ俺は、凪を探して来る」

「ほんなら、うちも」

「ううん。雅はここで待ってて」

「せやけど……」

「お願い」


 千颯の真剣な眼差しに圧倒されて、雅は素直に頷いた。


「わかった」

「ごめんね、すぐに戻るから」


 そう断りを入れてから、千颯は凪を探した。


「あいつ、どこにいるんだよ」


 カップルや親子連れで賑わう展望室の中で、凪の姿を探す。立ち止まって辺りを見渡していると、突然後頭部に何かを突きつけられた。


「手を挙げろ。大人しく従えば悪いようにはしない」

「その声は……」

「ふふふっ……気付いたようだな。さあ、大人しく例のブツを渡すんだ」

「例のブツって?」

「とぼけるな。貴様が手に持っている美味しそうな包みだ」

「……ほらよ。これで満足か?」

「確かに受け取った」

「……っていつまで続けるんだ、凪」


 千颯は後頭部に突きつけられたスマホを手で払って、茶番を終わらせる。神妙な面持ちで役になりきっていた凪は、吹き出すように笑った。


「きっちりノッてきてくれるところが千颯だよね」

「この年になって何やってるんだろうな、俺ら」

「それは言わないお約束でしょ?」


 凪がわざとらしく口を尖らせるのを見て、千颯は苦笑いした。


果帆かほは?」

「んー? パパが見てくれてる。ほら」


 凪が指さす方向には、ベビーカーを押す男性が立っていた。穏やかに微笑みながらこちらに手を振っている。千颯の義兄だ。


「お義兄さんまで巻き込んで……」

「いいの、いいの。面白い事……いや、大事なイベントにはみんなで立ち合いたいじゃん?」

「お前いま、面白い事って言っただろ?」

「キノセイダヨー」


 とぼける凪を見て、千颯は溜息をつく。


「まあでも、お前のおかげで雅と普段できない話ができたのは事実だ。そのことだけは感謝してる」


「ほんとにー!? いやぁ、良かった、良かった。二回もプロポーズ失敗したって聞いたかから、妹としては心配だったんだぁ。普段はできないような話をして距離が縮まったのは私のおかげかな?」

「調子に乗んな」


 ぺちんと軽く頭を叩くと、凪はケラケラと笑った。


「そろそろ、例のアレを返せ」

「はいはい。分かってますよー」


 凪は鞄の中から紺色の小箱を取り出す。受け取ってから中身を確認すると、ダイヤモンドルースが輝きを放っていた。ひとまず、無事に返ってきたことに安堵する。


 あとは雅に渡すだけだ。よし、と意気込んでから雅のもとに戻ろうとした時、凪から呼び止められる。


「千颯!」

「ん?」


 振り返ると、凪は笑顔でピースサインをしていた。


「大丈夫。きっと上手くいくよ」


 その笑顔に勇気づけられた。

 今度こそ大丈夫。そう信じて、千颯は雅のもとに向かった。


*・*・*


 雅は窓ガラスの前に佇んで夜景を眺めていた。窓の外では宝石を散りばめたような無数の光が輝いている。絶景であることは間違いなかったが、千颯の瞳には雅しか映っていなかった。


「雅、お待たせ」


 雅が振り返る。嬉しそうな、どこか呆れたような表情で小さく笑った。


「大事なものは、取り戻せたん?」

「うん、おかげさまで」

「ほんなら良かった」


 雅はもう一度、微笑んだ。千颯も隣に立って、窓の外の景色を見下ろす。


「京都って、本当に碁盤の目のように建物が並んでるんだね。高い所から見るとよく分かる」

「ほんまやねぇ。車のライトが浮かび上がってよう分かるなぁ」


 千颯は夜景を眺めるふりをしながら、雅の横顔をこっそり盗み見る。色素の薄い大きな瞳、長い睫毛、整った鼻筋、そのどれもが美しくて、見ているだけで鼓動が高鳴った。


「なぁ、千颯くん」

「うん?」

「千本鳥居で、うちにもっと素直になってほしいって言っとったね」

「うん、言ったけど」

「その願い、いま叶える」


 雅は窓の外に視線を向けたまま話を続けた。


「うちなぁ、昔はこの町から抜け出して、広い世界が見たいと思ってた。せやから東京の高校に行って、海外の大学にも行って、色んな世界を知った」

「うん。その度胸は凄いと思うよ」

「その経験はうちにとって価値のあるものやった。せやけどなぁ、大人になってこの町に戻って来て分かった」

「何を?」


 何気なく尋ねると、雅は色素の薄い瞳をこちらに向けて柔らかく微笑んだ。


「うちはやっぱり、この町が好きやなぁって」


 無邪気な笑顔に心惹かれる。視線を逸らすことはできなかった。


「大好きな町で千颯くんと再会できたのは、ほんまに奇跡やと思う」


 雅の言う通りだ。千颯の京都転勤がなければ、二人が再会することはなかった。そう考えると、いまこうして二人で並んでいることが奇跡のように思える。


 運命……とは少し違う。二人は最初から結ばれる定めだったとは思っていない。そんな言い方をすれば、これまでの出会いがすべて軽くなってしまうから。


 ただ、お互い歩いている方向が同じで、偶然足並みが揃った。そんな感じだ。


「この話を千颯くんにするのは初めてやけど」

「ん?」


 何を打ち明けられるのかと身構えていると、雅は目を細めながらはにかんだ。


「うちが初めて千颯くんのことを好きって自覚したのも京都やった」

「そうなの?」


 それは初耳だ。どのタイミングで好きになってくれたのかは聞いたことがなかったから。雅は恥ずかしそうに頬を赤らめながら続ける。


「高二の夏休み、千颯くん、うちを心配して京都に残ってくれたやろ。そんでうちと由紀の仲を取り持ってくれた。それからや、うちが千颯くんを好きやなぁって思うようになったんは」

「そうだったんだ。あの時は、落ち込んだ顔をした雅を一人にさせられないって一心だったから……」

「ちゃんと伝わっとるで。千颯くんは、今も昔も優しい子や」


 穏やかに微笑む雅を見て、愛おしさが溢れ返った。


 雅は一呼吸置いてから、窓ガラスに沿って歩く。京の町を眺めながらと進んだ後、くるりと振り返った。


「大好きな町で、大好きな千颯くんとおられるなんて、これ以上の幸せはない」


 とびっきりの笑顔を向けられて、胸が締め付けられる。嬉しさが溢れ返って泣きそうだ。だけど泣くのはまだ早い。


 これ以上の幸せはないなんて、控えめなことは言わないでほしい。これから先、もっともっとたくさんの幸せを二人で掴んでいきたいのだから。


 千颯は、コートのポケットから小箱を取り出す。雅の正面まで歩み寄ると、片膝をついて小箱を差し出した。蓋を開けると、ダイヤモンドが煌めく。


「これからも、この町で、たくさんの幸せを作っていこう」


 不思議なことにもう緊張はしていない。穏やかな気持ちで伝えられた。


「俺と結婚してください」


 ハッと息を飲む音が聞こえる。雅は驚いたように口元に手を添えていた。


 色素の薄い瞳がじんわりと潤み、涙が溢れ出す。瞳の中では収まりきらなくなった涙が、次から次へと白い頬に伝った。


「はい」


 雅が涙声で返事をする。それから両手で大切そうに、小箱を受け取った。


「よかったぁ」


 安堵からヘロヘロと力が抜けていく。よろけて「おっと」と床に手を付いた。


「ごめん。最後までカッコつけられなくて」

「そんな所も、千颯くんらしいわぁ」


 カッコ悪い一面も含めて、受け入れてもらえた気がした。雅は眉を下げて笑いながら手を差し伸べる。千颯はその手を掴んで、立ち上がった。


 雅と向き合ってから、千颯は熱の籠った瞳で尋ねる。


「ねえ、雅 キスしていい?」


 言葉の意味を理解すると、雅はカアアアと顔を赤くする。オロオロと視線を泳がせた後、恥ずかしそうに視線を落としながら言った。


「そんなん、いちいち訊かんといて」


 それは許可されたと受け取っていいのだろうか。


「じゃあ、キスするよ」


 質問から宣言に変わると、雅の肩が小さく震える。肩に触れて、一目につかないように窓ガラスに背を預けるように立たせた。


 期待するように潤んだ瞳に、欲を掻き立てられる。滑らかな頬に手を添えてから、そっと唇を重ねた。


 軽く触れるだけのキス。本当はもっとしたいけど、場所が場所だからここまでに留めた。


 身体を離すと、雅から蕩けきった瞳を向けられていることに気付く。


「なに? もっとしてほしいの?」


 意地悪っぽく尋ねると、雅は真っ赤になりながら、フルフルと首を振った。


「ちがっ……そや……なくて」


 雅はプシューーっと沸騰しそうなほどに真っ赤になった。そんな反応も可愛くて仕方がない。思わず笑いが込み上げた。


 そんな中、背後がやけに騒がしいことに気付く。


「うわぁ……なんか見てはいけないものを見てしまった感じ……」

「だから覗き見はやめようって言ったじゃん、凪ちゃん」

「ちょいSな千颯くんも悪くないなぁ……」

「朔ちゃん、あかんで。妹の旦那に色目使うたら」


 その正体はすぐに気付いた。恐らく、今回の企画に関わった面々が背後で盗み見ている。幸い雅はまだ気付いていないようだ。


「雅、逃げよう」


 千颯は雅の手を取って、エレベーターに突っ走る。雅は「ええ!? なんなん!?」と驚きながら、手を引かれるままに走った。


 背後からは「逃げた!」「追え!」なんて声が聞こえてくる。そんな中、二人はタイミングよく到着したエレベーターに乗り込んだ。


 プロポーズに協力してくれたのは有り難いけど、これ以上邪魔されるわけにはいかない。ここから先は、トップシークレットだ。


「どしたん? 急に?」


 状況を理解していない雅は、不思議そうに首を傾げる。


「ううん。何でもない。気にしないで」


 千颯は作り笑いを浮かべながら誤魔化した。




 なんで自分の周りはこうも騒がしいのかと呆れてしまう。多分、この先もたくさんの人か関わって、騒がしい毎日を送ることになるのだろう。厄介ごとに巻き込まれたり、時には助けられたりしながら。


 そんな結婚生活も、悪くないのかもしれないと思う千颯だった。




プロポーズ編 完――

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