乳白色の恩義

そうざ

The Benefits of Milky White

ちんは果報者じゃ」

 若き皇帝は、随行したインタビュアーから視線を外し、眼下の地球を見詰めた。

 地球暦にして一年弱の道程を経て、いよいよオゾマシィ帝国艦隊は地球に到達しようとしていた。

 インタビュアーが問う。

「今のご心境は?」

「とても言語では言い尽くせぬ。嗚呼、可及的速やかな邂逅。今、望むのはそれだけじゃ」

「オゾマシィの皆様、ご覧下さい。眼下に見えるのがこの惑星に於いてアルプス山脈と呼ばれるエリアです。このような辺境で皇帝はご苦労されたのであります」

 間もなく執り行われる地球・オゾマシィ両星間の友好条約調印式に向けた特別プログラムは、オゾマシィ星は言うに及ばず、地球でも生中継されていた。

には勲特等くんとくとうを進呈しよう。いなっ、それでは全く足りぬっ。特級名誉星民の称号と、軍の最高顧問職と、衛星五つの所有権と、それから――」

 着陸の準備が差し迫っても、皇帝の熱弁は止まらない。


 きっかけはアクシデントだった。

 近習の目を盗んで気侭な星間旅行を楽しんでいた皇帝は、或る惑星系に差し掛かった折りに機体のエンジントラブルに見舞われ、命辛々いのちからがらその第三番惑星『地球』に不時着した。

 皇帝を助けたのは、しがない老婆だった。地球人から見れば、オゾマシィ星人は化物のような外見である。その容貌に総毛立つ住民を余所よそに、彼女は皇帝を手厚く介抱した。

「これは何じゃ……?」

 地球人には雑音にしか聞こえない言語で、皇帝は差し出された器の中身を問うた。

「口に合うかどうか、分からないけど」

 皇帝が言わんとしている事を何となく察し、老婆は温かい山羊やぎのミルクを勧めた。皇帝は他の地球食を全く受け付けなかったが、このミルクだけは貪るように消化器へと流し込み、辛くも飢えを凌ぐ事が出来たのだった。


 オゾマシィ星から救助隊が到着したのは遭難から三日の後。それは、オゾマシィ星人の体感では三百年にも及ぶ歳月だった。この上ない大恩にいたく感銘を受けた皇帝は、帰途の最中から早くも両星間の友好条約締結へと向けて動き始めていた。

 今となってはおくびにも出さないが、元々皇帝は旅のついでとばかりに別邸向きの惑星を探しており、武力侵攻の上で地球を我が物にしようと目論んでいた。しかし、九死に一生を得た事で、皇帝の頭脳からそんな考えはすっかり消え失せてしまったのである。


 母船から飛び立った小型着陸艇が、先進各国首脳陣を始めとする歓迎団のもとへ静かに着陸した。ハッチが開くのを合図に、楽団が高らかに演奏を始める。

「今日のこの佳き日を、地球に住まう全ての者が心待ちにしておりました。我々は貴君を心から歓迎し――」

 マッターホルン山を背にした地球代表が悦に入りながら型通りの挨拶をする中、皇帝の気はそぞろだった。しきりに、そして露骨に、ぬめぬめとした感覚器を四方八方に張り巡らせ、何かを捜している。地球人から見れば怖気おぞけを震う忌まわしい光景だったが、誰もが動揺を抑えようと必死に努力していた。

 皇帝の素振りから忖度した地球代表が、怖ず怖ずとした調子で言った。

「実は本日、皇帝にお目に掛けたい者が居ります」

 楽団が再び演奏を始める。今度は感動的な旋律だった。

 人垣が二手に分かれる。くさむらの彼方に老婆がぽつんと立っていた。皇帝の身体が激しく蠕動しゅんどうする。興奮している証拠である。

「おおっ、この瞬間をどんなにか待ち望んでいたかっ」

 歓喜に踊る皇帝が、無数の節足をぎしぎしと言わせながら老婆へと近寄って行く。観衆はそのおぞましさに顔面を引きらせたが、老婆は柔らかな笑みを湛えて待っている。

 しかし、皇帝はそそくさと老婆の脇を擦り抜け、背後に広がる放牧地へと一目散である。

「貴君には感謝しても感謝し切れぬっ。貴君の大恩なくして私は在り得ぬっ。嗚呼っ、己の語彙の貧困さがもどかしいっ」

 ぽかんとした衆目に囲まれながら、皇帝の熱弁はいつまでも続く。

「宇宙広しと言えども、貴君が分泌する乳白色の液体に勝るものはないっ」

 牝山羊めやぎは黙々と牧草をんでいる。

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乳白色の恩義 そうざ @so-za

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