第7話 夏越の祓
市原さんに続き、堀越さんと山村さんも部屋に入ってくる。高砂研のメンバーが一同に会するのはいつぶりだろうか。
「じゃあ、そろそろ始めましょうか」
市原さんは軽く手を叩きながらそう言った。
「市原さん」
僕が呼びかけると、市原さんはつややかな髪を揺らして振り向いた。「なに?」
市原さんの笑いをこらえたような表情を見て、僕はもう一つの予想が正しかったことを知る。
「やっぱり何でもないや」
ここは気がつかなかったふりをしよう。
山村さんは冷蔵庫の中から、見覚えのある2Lのペットボトルを2本取り出した。生協で山村さんが買っていたものだ。
2Lの飲物を2本。これは1人で飲み切るにはいささか多すぎる。ちびりちびりと大切に飲むにしても、1日では難しいだろう。2日以上経ったものは、問答無用で僕に捨てられてしまうので院生室に置いておくことはできない。つまり、山村さんは誰かと一緒に飲むためにジュースを買ったことになる。
僕は高砂先生に告げなかったことが1つだけあった。これは推理というよりは憶測、そして僕の願望も入った妄想かもしれない。でも、山村さんの件と合わせると、市原さんが僕の机に水無月を置いた理由はもう1つあると考えていた。僕に甘いお菓子を与え、熱いお茶を淹れさせるためだ。もっと適切な言い方をすれば、熱いお茶を淹れさせ、冷たいお茶の入った冷蔵庫から意識を逸らすためだ。
そのとき、僕に見られると困るものが冷蔵庫に入っていた。それは一体何か。
「堀越さん、早く出してくださいってば」
山村さんはペットボトルを僕の机の上に下ろしてそう言った。冷蔵庫の前でしばし涼んでいた堀越さんは、「でーん」と言いながら白い箱を取り出した。もちろん、その箱は午前中には入っていなかったものだ。
「
食器棚の引き出しから紙皿を取り出した市原さんは品の良い猫のようにほほ笑んだ。
「お安い御用だよ。何かな何かな」
僕の演技はあまりにも下手で、笑ってしまいそうだ。想像通り、箱の中にはケーキが5つ。柔らかそうなピンク色のムースケーキなのは、山村さんのことを慮ってのことだろう。市原さんと視線が合い、どちらともなく吹き出してしまう。
冷蔵庫の奥からプラスチックのトレーを取り出した山村さんは、「これ、どうします?」と水無月を掲げてみせた。
「とりあえず、まだ食べていない高砂先生と堀越さんで1つずつ、かな」
「残り1つは主賓でいいんじゃないかしら」
「市原さんが食べなよ」
「もういただいたもの」
「そんなこと言ったら僕だって」
やいのやいのと押し問答を繰り返すこと数回、お互いの攻撃がふと途切れる。
「……また半分こする?」
「そうね」
「つまりつまり、重松さんと市原さんは、一切れの水無月をわけわけしたってことですよね!」
「まあ、そういうことになるね」
市原さんと顔を見合わせてうなずくと、山村さんはうっとりと胸の前で手を組んだ。
「これはもう、最高の百合フラグというか百合エンド確定ですね! 春です、春が来ました!」
今にも昇天しそうな山村さんは放置し、僕は市原さんと向き合った。
「純ちゃん、体調はいいの」
「昼寝したし……それに」
それに、市原さんに水無月をもらったからね。
さすがに恥ずかしかったのでぼかしてしまったけれども、市原さんには伝わったらしい。月のもののせいで朝から体調は芳しくなかったものの、かわいらしくはにかんだ市原さんを前にした今、嘘みたいに心も体も軽い。
「あのね、市原さん。7月の15日なんだけどね」
意を決して口を開いたところで、堀越さんに背後から紙コップを渡された。女性にしては身長の高い僕でも見上げなければならないのは非常に癪だ。非常に癪に障るのだけれども、一応は睨みつけておかなければ僕の気が済まない。山村さんの言葉を借りると、堀越さんは「無自覚に挟まって百合の邪魔をしては読者に刺される残念系」らしい。
「先生がしゃべりたいんだって。許してあげて」
香り高い無糖紅茶に免じて許すことにしよう。肩をすくめて無言でそれに応えると、ちょうど高砂先生が口を開いた。
「6月30日は
市原さんはりんごジュースの入った紙コップを顔の高さまで持ち上げ、僕の方を向いてにこりと笑う。
「お誕生日おめでとう」
今日という一日が、素晴らしい一日だったことは言うまでもない。
僕と水無月と夏越の祓 藍﨑藍 @ravenclaw
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