第6話 茅の輪くぐり
事のあらましを大まかに説明すると、
「重松はどう考えているんだ」
「どうって……高砂先生もお分かりでしょう」
「何でもかんでも教員に頼るな」
そういう問題ではない気がする。
いずれにせよ、こう言い出したら最後、高砂先生は学生の意見を聞くまで
幸いなことに、水無月のおかげで僕の頭はそれなりに動いている。根負けした僕は嫌々ながら口を開く。
「水無月がひとりでに冷蔵庫から僕の机に移動する、ということはないでしょうから、誰かが水無月を冷蔵庫から出して僕の机に移動させたことになります。この人物を仮に
「安直なネーミングセンスだな。高等教育の賜物だ」
「ジョン・ドゥとかにします? 僕はそれでも構いませんけど」
「いや、Xで構わん」
高砂先生は、ただ学生にいちゃもんをつけたかっただけらしい。気を取り直し、話を戻すことにする。
「管理の厳しくなった大学に感謝ですね。この部屋は鍵がかかっているため、Xはこの部屋の鍵を持っている人物に限られます。僕と高砂先生は除くとして、Xの候補は堀越さん、市原さん、山村さんの3人です」
「ほう」
「まず考えるべきことは、『なぜ包丁が出ていたのか』です。午前中、僕は堀越さんと話しながら、流しに放置された食器類をすべて片づけました。でも、僕が目を覚ましたとき、流しのカゴには濡れて包丁が置かれていました。それはなぜか」
「なぜだろうな」
ゴロゴロとキャスターつきの椅子を引っ張ってきた高砂先生は、そこに座って悠然と足を組んだ。その椅子が市原さんのものであることに、僕は気がつかないふりをする。
「順当に考えて、誰かが包丁を洗ってそれを乾かそうとしたから、でしょうね。ではなぜ洗ったのか。それも簡単です。包丁を使ったからですよ」
「わからんぞ。包丁を洗うのが趣味のやつもいるかもしれん」
地球上を探せばそういう人もいるかもしれないけれども、サンプル数3で出会う可能性は限りなくゼロに近いだろう。重箱の隅をつつくような高砂先生の質問はスルーし、僕は続けた。
「ここで水無月について考えてみます。高砂先生、水無月っていうのは三角形に切られた状態で売られているんですよね」
「ああ、そうだな」
頭の後ろで手を組んだ先生はにやりと笑う。……くそ、答えを知っている問題を出してくるときほど、教授が憎らしいときはない。
「高砂先生は水無月をトレイに入ったまま冷蔵庫に入れた。つまり、Xがただ僕の机に水無月を置きたかっただけであれば、包丁の出番はありません。そのまま皿にのせればいいからです」
「じゃあ包丁は何に使われたと考えているんだ」
一層笑みを深くした高砂先生は心底楽しそうだ。ほら、言わんこっちゃない。こういうときの高砂先生には関わらない方が良かったのだ。
「水無月ですよ」
「重松の先ほどの発言と矛盾するぞ」
「いいえ、矛盾しません。水無月はどこまで切っても水無月なんです」
高砂先生は鼻を鳴らした。これは、珍しく出来の良い学生に出会ったときの先生のクセだ。
「僕の机に置かれていた水無月もそうでしたし、その辺で売られている水無月もそうです。基本的に水無月は直角二等辺三角形です。だから一切れの水無月を斜辺で半分に切ったとしても、底面の形はずっと保たれたままです。まあ、高さは変わらないので、一定数以上切ってしまえばバランスが悪くなってしまうとは思いますが」
「重松が食った水無月は、Xによって切られた片割れだったということか」
「そう考えています。僕は水無月を食べたことがなかったので違和感は抱きませんでしたけどね」
「なるほどなるほど」と訳知り顔で楽しむ先生を見ていると、むくむくと腹が立ってきた。先生もよく知っている論文について、あまりよく理解していない僕らがその内容を解説させられている気分だ。
僕は右手の人差し指と中指を立てる。
「ここで先生に問題です。Xはなぜ水無月を切る必要があったのでしょうか」
「さあな。さっぱりだ」
高砂先生は全てを理解していながら首を振る。
「先生のせいですよ。高砂先生が水無月を3つしか買って来なかったからです」
梅雨真っ盛りのじっとりとした視線で睨んでみるも、先生はいけしゃあしゃあと開き直る。
「ちゃんと1つ買い足しただろう」
「それはそうですけど。でも、Xが何らかの理由で冷蔵庫を開けたときは3つしか入っていなかった。それを見てXは気がついたんでしょう。高砂先生のミスに」
「まるで私が悪いみたいじゃないか」
「だからそう言ってるんですって。そこでXは考えた。4人で仲良く3つの水無月を食べる方法を。そこで思いついた方法、水無月増量計画を実行したんです。おそらく僕が食べた片割れはXがもう食べたんでしょうね。ここまで考えると、Xは水無月を食べる人間の数に自分をカウントしたということになります」
「ほうほう。つまり」
「Xの候補から山村さんは外れますね。親知らずを抜いた傷痕がまだ痛むみたいで、口を開くことはおろか、弾力のある水無月を食べようとは思わないでしょうから」
「次に考えるべきことは、僕の目が覚めたときにお茶の匂いがしたことです。Xは水無月と合わせるためのお茶を淹れたんです」
「それは結論ありきの展開になっているぞ。お茶を淹れた人物がXとは限らない」
「ティーバッグと電気ケトルから、少なくとも誰かがお茶を淹れた、というのは事実です。僕の机にお茶は置いていなかった。自らの手で淹れたお茶を捨てる理由がないから、お茶を淹れた人物は自分で飲んだ、ということになります。冷蔵庫には僕が仕込んだ水出し茶が入っているにも関わらず、Xは自分で熱いお茶を淹れている。すなわち、猫舌の堀越さんはXではない」
そこまで話したところで、学生室の扉が開く。ひょこっと顔を出した人物に僕は問うた。
「市原さん、水無月は美味しかった?」
最初きょとんとしていた市原さんは、アーモンド形の目を細めてうなずいた。
「ええ、とても美味しかった」
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