第16話 一息
廃工場の外から車の停車音が聞こえた。この辺りは車通りが多いわけではないが、少ないと言うわけでもない、なので別段気にするようなことでもないように思えるけど、おかしいのは車通りではなく、ピンポイントでここに止まったことだ。
廃工場を閉ざしていたシャッターが、ガラガラと音を立て上がり始める。外からの来訪者——このタイミング、身構えない方がおかしいだろうシャッターが開かれる音がした瞬間に夕日は狼少女が握っていたナイフを拾い上げ僕の前に立ちナイフを来訪者に向ける。
そこには――ウィングカラーシャツにベスト、首元にはクロスタイにストレッチパンツのウエイトレス姿の女性が両の手を体の前に合わせ一人佇んでいた。
この人どこかで――
僕が記憶の森をさまよっている間に、夕日はどうやらウエイトレス姿の女性を認知しているようだ、肩の力が抜けたのか溜息を洩らす。
「なんだ、
篁? そんな名前は聞き覚えがない、しかし僕はウエイトレス姿の女性の顔が月明かりで仄かに照らされて、ようやく思い出せた――この人は、廃工場カフェ【ルイン★】のウエイトレスさんだ。特徴的な顔の傷、両の目を刃物で裂かれたような生々しい切り傷、開くことのない二つの眼。
その人が今、乗ってきたであろう黒光りする年式がやけに古そうなリムジンを背に、来客を今かと待ちわびている執事のように佇む姿に困惑するしかできない僕をしり目に、夕日はことを察しているようで、「行くぞ」と一言かけるだけだった。
そのまま歩き出そうとしたが、夕日にすぐ制止させられた――「命、その首は置いていけ」未だに離すことができなかった狼少女の首……その言葉に憂慮している僕を気遣ったのか「……大丈夫だ、後でイリスの事務所に運ぶ手はずになってる、その為に篁さんが来てるんだ安心しろ」
その為? 篁さんとは何者なのかという疑問が残るところだが、夕日が言うのであれば十分な信頼に値する。僕は狼少女の首を割れ物を扱うように置いた。
廃工場の外のリムジン前に来ると、篁さんは丁寧にドアを開け中に入るよう、促している。夕日は臆面もなくどうどうと乗り込んでいった。こういう時の夕日の図太さは感心するしかない、しかし人生初めてのリムジンがこんな血塗れの泥だらけでは格好がつかないな……。
「篁さん、僕めちゃくちゃ汚いですけど乗っていいんですか?」
ドアマンをしている篁さんに問いかけると、カフェで見せた儀礼的な笑顔で微笑むだけだった。これは遠慮しなくてもいいということだろうか? こんな状態でも相手の顔色伺ってしまうあたりリムジンに乗る素質はなさそうだ。まぁ今の時代お金さえ払えば誰でも乗れてしまうのが現実だが……。
「ちんたらすんな早く乗れよ」
夕日に催促され、リムジンに乗り込む。革製のシートに身を委ねる、全身余すところがないほど怪我をしているせいか、ひんやりとしたシートが火照った体にちょうど良かった。
「ほらこれ」
夕日はそう言うとガラス製の小瓶を渡してきた。中には薄青とした液体が入っているようだが……。訝る表情に夕日はややうんざりした趣だ。
「飲め」
一言。
「いやいやいやなんだよ。この怪しいポーションみたいな液体は? つかお前が追いかけた犬はどうしたんだ?」
「あ、んーあれただの野犬だったわ。んなことり飲め」
何かお茶を濁されたような気がしたけど気のせいか?
「いやいや飲めじゃなくて、もう少し用法容量ちゃんと教えて」
「うるせーなぁもう。言いたいことは~飲んでかーら言え、飲んでかーら言え、ハイマジ黙れ、マジ黙れ、ほれいっきいっき」
「おいやめろ! 大学デビューした若者が飲み会でいやいやコール言わされてるみたいなノリで渡してくるの! せめてバイブス上げてくれよ! うっ、痛ったたた久しぶりにツッコミしたら傷が……」
ツッコミもそうだが久しぶりの間の抜けた空気感に緊張が解けたのか体の痛みがぶり返してきたようだ。それもそうだが夕日が渡してきた得体の知れない飲み物はなんだ? ポーションなんて某RPGの回復薬じゃあるまいし、
「怪しい飲み物だけど飲めばたちまち身体が楽になる薬だ、安心しろ」
安心する要素が全くない説明だなぁ。しかし、
「朝日が試験的に作った薬だよ、効果は鎮痛に加え急性外傷の緩和に疲労回復(小)だとよ」
(小)ってますますRPG感強めだな。でもマイスイートスイートシスター朝日が僕の為に手作りしてくれた物ならば嬉々として呑もうではないか。夕日から瓶をぶん取り一気に飲み干す。
これは……あれだポカリスエットのような味わいだな、悪くない。
「あ、まだ試験段階だから副作用に強めな睡魔が——」
「ぐぅーすぴーむにゃむにゃすぴーそれをはやく言えすぴー」
「くふ、寝ながらしっかりツッコミしてやらー。まぁ今は休んどけ、おやすみ」
体制を崩し夕日の膝に倒れ込む。今日くらいぴちぴちのティーンエージャーの膝枕で休んでも罪にはなるまい。ほら夕日も優しく頭を撫でてくれている気がする、夢じゃないといいな。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます