第10話 月光の使者 1
九月七日午後十七時
夕闇が濃くなり夜の帳が下りる麻人市の工場地帯、この道は昔ながらの電球式の街灯が立ち並び人々の道を照らしている。街灯に照らされる夕日と僕、
「ちなみに聞くけどビンタしていいか?」
「は? 皮剥ぐぞ」
中指を立て挑発する夕日。
「だよな……じゃなく! 夕日テメェ前金着服してんじゃねぇぞ!! しかも犬の写真があるなら先に渡せよ! それに期限の話もきいてないし、極め付けに犬神祀ってたぁ? ……さらさらやる気ないからって人に押し付けて、自分は金貰ってるから依頼達成できませんでしたで済まそうとしやがって、天上天下はお前中心で回ってねーぞ。職務怠慢もここまできたら神がかりだよ?……あ、そうだ僕はこれから夕日を祀ることにしよう信仰心があればお前の愚行も神のお告げみたいなもの——よし!
夕日は両手を握り拳に変え、口をへの字にしてぐぬぬぬと唸りながら怒りを顕にして僕を睨みつけてくる、だがしかし! そんな顔されたところで止まらんよ僕の活火山は!!
「そんな顔してもダメだ。夕日、人を睨めば屈服すると思うなよ、僕は完全にご立腹だ! わかるか? 腹が立ってんだよ! 悪いがこれ以上、隠し事があるならこちらもジョーカーを出すしかなくなるなぁ、どうなんだ?」
仕返しとばかりに煙草を吸う悪魔のふりをして夕日を脅すと表情は怒りから不安、恐怖へと変わりあたふたと狼狽える。
「も、もうない! 全部喋った!! お願い、お金の話イリスにいっちゃやだ!」
さぞ恐ろしい仕置きだったのだろう顔面蒼白で懇願された。
おぉ、あの夕日を屈服させる感覚も悪くない、むしろ男である事が証明された様な愉悦すら感じる……端的に表そう、気持ちいいい!! この感覚は癖になりそうだ。まさか僕にこんな恐ろしい感覚があったなんて自分の才能に溺れてしまいそうだ! ……欲望の間違いかな?
「よしよし、とりあえず、信じよう。(イリスさんには報告するけど)」
だけど、どこから手をつけたものか……犬神
か、また厄介なモノを信仰していたな。元は古代中国の動物を使う
夕日達の談話から察するに犬神付きは関係ないか? いやこんなあからさまに忌み名待ちの怪異が出てくるなんて、まるで其れこそが原因かのような。そう、フリなのか? とも思ってしまう、でも——
「なぁ夕日、県犬養家は犬神付きの家系である犬神持ちから外れていると思うか?」
「さぁてな、どうだろう、父親は四国の出だと言っていたからな、わざわざ土地まで離れてるし——アタシは、えんがちょしてると思ってるけど」
「えんがちょ懐かしいな」
「えーんがちょってね」
わざわざ空手チョップの真似をして縁を切る真似をする。その際夕日の練り色の髪がフワリと舞う、あぁ、いい匂いシャンプー変えたか?
……ゴホン、だがそこなんだよ、犬神筋であるならわざわざ狼犬なんて飼わないだろうし、ましてや四国を離れたにも拘らずだ、相当な心配性か夕日が言っていた通り愛犬家なだけだろう。多分……。
「んーとなると、あの犬は犬神の憑依現象とは無関係か……やっぱり霊奇に成ったと考えるべきか、イリスさんも言ってたし……」
霊奇として処理するのが妥当か。そうなると夕日に屠ってもらう事になる、まぁどっちだろうと夕日にやってもらうんだけどね……情けない事に。
「そぉいやーアタシが思うに、県犬養姫璐は犬の事なんてなーんも想ってないだろうな」
思い出したかの様に人差し指を口元に当てて言う。
「……そうなのか?」
こんな縁遠い僕達の所まで来て犬探しの依頼をしに来た人間が犬嫌い? 200万も払って? 夕日は思い至った詳細を語る。
「あぁ、だってよ自分家の犬の犬種わかんねーとかあるか普通? それにアイツの口から犬の名前すら出てこないわ犬を【如き】なんて言う始末だったぜ、おまけに随分と犬に嫉妬心を抱いてやがる、『私が母の代わりに〜』とか言うくらいにはファザコンだったぜ」
舌を出してうえっと吐気を表現している。
まぁ夕日さんは依存とかそう言うの無縁そうだもんなぁ。天上天下唯我独尊の化身、悪い言われだと我儘に身勝手にだけど、もう一つ意味がある『宇宙の中で私より尊い者はいない』んなまさかと、僕はならない夕日はそれ程までに、美しい、カンストした美しさはこの世ならざる者にすら見える、一見尊さなどない美しさであれど、それを緩和してくれいるのが竹を割ったような性格だろう。
まぁ外見とは正反対の性格と言えばわかりやすい、さらに言えばギャップってやつだ
「……」
いかんいかんともすれば、駆け落ちする所まで妄想する所だった。前述はさておき、県犬養の話だ、確かに興味がないを通り越して嫌悪の匂いがするのは間違いない、県犬養は犬嫌いだとすると犬探しはもっぱら父親の為か……ん?
「嫌いならわざわざ犬探しする必要ないんじゃないか? 犬に嫉妬心を抱く程なら尚更このままいなくなった方が都合がいいだろ?」
「……お前メンヘラだな」
「僕じゃねーよ。言っておくが僕は恋愛になればもっとねちっこいし女々しい、きっとこんなもんじゃすまない」
うわぁと頬を引き攣らせ苦虫噛みつぶしたような表情の夕日は、なんだろう悪くない、ストーカーしようかな。……——、【こんなもの】、そう、こんなものであるはずが無いんだよ真面目な話、話題を転換するけど、あの異形の狼、両肩から生えた腕、犬が持ち合わせるはずのない人の腕、まるで痩せぎすな女性の腕の様だった。しかしその実は万力の力で僕の首を締め上げる余力、人でも獣でもない悪鬼羅刹。そしてあんな憎悪と
「はぁ、この数日でお前の性癖をいくつ聞けばいいんだ、そろそろうんざりだよアタシは……。犬を放っておかない理由はわかんねーけど、まぁ疑問に思うことはアタシにもあるぞ——命……お前何で生きてるんだ?」
「はぁん? 何言ってんだ僕が幽霊にでも見えるのか? 心外だ、見ろ! 左右しっかりと大地を踏み締めてるし——それとも何か? 地に足ついてない甲斐性なしとでも言いたいのか? おいおいまだまだ僕の甲斐性を鑑みるには時間が足りないぜハニー」
「んなことわかってるよ! 甲斐性の話なんて1ミリもしてないし! 莫迦が! アタシが言いたいのは例の狼犬に襲われて何で生きてるんだって事だよ! 仮にも霊奇だぞ、襲われちまったら精が尽きるまで
え?
おかしい僕の認識と、甲斐性あるなしは冗談として飄々と
「いや待て待て、夕日が助けてくれたんじゃないのか? じゃなきゃ僕が生きているのは……」
「違う、言った筈だ、血まみれで倒れているところを見つけたって、だからアタシは実際にそのイヌコロを見ていない」
「見ていないって……もしかして——」
普通ならば霊奇に襲われた人間は十中八九、殺されるのが常だ、例外は僕が言った様に第三者が介入してきた場合か自らの意思を持って滅殺するかだ——。しかし例外の例外もまたある、それは霊奇に知能がある事、大抵の霊奇は人間に取り憑いた時点で知性と呼べるものが欠落している、平たく言えばゾンビみたいな状態だ。原因としては元来の魂と取り憑いた霊魂との拒絶反応が自我の崩壊を招くらしい、まぁ現世に留まる霊にろくな奴はいないって言うのが定説だしね、ここじゃ関係ないけど……(麻人市は現世と霊界の境界が破綻している為古今東西の霊魂が彷徨っている)内包された二つの魂は支配権を巡り、お互いを取り込もうとする、そして癒着した魂は極小の繊維が絡まった様な複雑な魂へと変貌する。元の魂の歴史は消滅し、人間の欲だけを残し自我の崩壊へと向かう、堕ちた魂は無限の欲望を生み出す魂となり、魂から出力された肉体は脳の限界値を軽々と超える。だから痩せぎすな腕でも万力なのだこれはリミッターが外れていると言っておこう。ここで自我は基本的に消滅して生ける屍状態になるのだけど——知性が宿るパターンも二つある……。
それは共存——ごく稀に二つの魂が共存の道を選ぶ場合がある。一説によればこの現象は寄生に近いものだと言う事、それは片利共生や相利共生みたいに利害関係で完成された魂の在り方。もう一つは元々、縁という円環で強く結び付いていた魂達が一つの器に収まってしまう一種の病気のような現象、これは現代で言う二重人格として現れる事が多い、イリスさん曰く厳密には違うそうだ。
そう、だとするとあの犬に取り憑いている霊魂、痩せぎすの腕の持ち主と狼犬は何かしらの繋がり『利害』『縁』どちらかが存在するはずなんだ。でもそれを証明するのは難しい、なにせ生きている人間が千差万別の魂を観測する事は不可能——。
「僕が殺されなかった理由があるってことか……」
「殺す相手が違ったか、だな」
夕日は間髪入れずに答える。
「はは、マジかよ……あの犬、知性のある霊奇なのかよ」
乾いた笑いが込み上げるほど僕は動揺している。それ程までに知性を残した霊奇は稀有、でもその知性が無ければ僕はこの世にいなかった事になる、背筋が凍りそうだよまったく。
「まぁまぁまぁ、ビビるなよ命君、アタシが付いてるだろ」
僕の肩を右手でポンポンバンバンし、左手は腰にあてながら反り腰で宣言する、張る胸がないので反り腰でだ。
「付いていなかったから僕はこんな腕になったのだが……」調子がいいやつ。
そうなると話は纏まった。あの犬は今も殺す相手を探している、まだ見つかっていないことは祈るしかないけど……、大方の予想は所縁のある人間——県犬養家の誰か——まだ県犬養家からそう言った一報はないところからまだ無事だろう。わかっているのは明確な殺意だけでまだ県犬養家の住人を殺そうとしているかは不明だけど……『利害』の関係で動いていると仮定して、狼犬の意識はまだ不安定なのかもしれない混濁した状態で僕を殺そうとしたけど直感的に違うと感じたんじゃなかろうか? それなら猶予は狼犬の記憶の覚醒が先か県犬養家へ行き僕達が狼犬を迎え撃つか、来るかどうかは賭けだけど、依頼主が死んでは元の木阿弥だからな。
「よし、とりあえず県犬養家に行こう、手遅れになる前に2人を保護しないと」
一抹の不安はある、どちらかと言えば僕の場合は恐怖の方が強い、また噛まれたら嫌だな……夕日がいれば大丈夫か——? 方針を伝えたと思ったが夕日は無反応だ、視線は僕を通り越し遠くを凝視しているようだ、その表情は獲物を見つけた狩人の眼差し、目をカッと開き
僕は恐る恐る振り向く……街灯の間隔はおおよそ5メートル、それを一つ二つ三つ離れた先、街灯の光がやや届かない三々路の中程に蠢く影——あれは…………犬? この距離と暗さでシルエットは影絵のように黒くそれこそ輪郭しかわからないけど犬である事は間違いなさそうだ。
「……夕日、あれってもしかして——」
言い終える前に影絵の犬は進路を180度変え、駆け出した、まさに尻尾を巻くが如く——あ、と情けない声を出した時には、夕日も駆け出していた!
「ひゃっほーーー! 飛んで火に入る夏の犬ーー待てゴラーーー200万!」
「おいバカ! まだあの犬って決まったわけじゃねーぞ!」
夕日は僕の静止も聞かずに犬めがけ、弾丸のように走り出していた。
「んなもん捕まえちまえば分かるだろ! 命はそこで待ってなああぁぁぁ————」
どんどん声が遠ざかって行く……アイツ何でもかんでも反射で動きやがって、まぁ夕日の足なら追いつくだろうし違ってもすぐ戻ってくるだろう、仕方ない、思案を巡らせ待つとしよう。僕は道路脇の外壁にもたれかかる。
「霊奇、犬神、狼犬……ふ、これだけの材料があれば立派な怪異譚の完成だな」
そんな事をぼやきながら思慮する、今回の件はどこからどこまで真実で節々に虚実があるのか、犬嫌いはまぁ間違いなさそうだけど、県犬養姫璐は何故、霊奇について聞いてきたのだろうか? 単に興味本位、好奇心で片付けてもいいけど夕日の物言いではしつこく聞いてきたらしいけど…………弱った心に魔が刺し霊奇となる。一つ心的ストレス二つ病気三つ怪我、怪我、裂傷……そう言えばあの狼犬って出会った側から血塗れだったけど、左眼は元より潰れていたなぁ、沸々と痛みと恐怖心に続き記憶が蘇る——あの傷はどうやってできたんだ? 電柱に頭を打ち付けて? いや違う、あの電柱にそんな鋭利な物はなかった、じゃあもしかするともしかするのか? 県犬養姫璐は犬嫌いのファザコンだけど父は母の代わりに犬を愛する偏愛、歪んだ愛の交差、交差は負を蓄積しあの世とこの世が交わる……。
「まさか、県犬養姫璐はあの犬を——」
カリ
?
カリカリ
??
「え、何の音?」
かりかりがりかりがりがががりがりがりがりがりがりかりがりがりがががりがりがりがりがりがりががががががりガリリリガリガリがりがりがりがりがりががががががががりがりりがりがりがり
「何だ!? この掻きむしるような音は!」
僕の叫び声に反応したのか音が止んだ……まるで出口のない暗闇の箱に閉じ込められた者が一心不乱に壁を掻き毟る音——それがピタリとやんだ——
辺りは
僕がいる道は両側をコンクリートの塀が隔たっている、塀の向こうはどちらも今は稼働していない工場跡地、外観は酷く劣化して、とたん外壁はところどころ錆びて穴だらけだ、屋根なんて天体観測が出来そうなほどの大穴が空いている——音はその工場から聞こえた気がした……ちょうど僕が保たれていた方の壁の裏だ、ぞくりと背筋に悪寒が走る。
僕は背にしていた壁に向き直り一歩二歩と後ろに下がる。わからない、わからないナニカに気づかれないよう、ゆっくり、ゆっくりと後退る、呼吸が荒くなり額から脂汗が吹き出す全身は力み、手を無意識に握り込んでいた。
——ジャリ——道端の小石を踏み付けてしまった——瞬間——どごおおぉん!!!!! 轟音、目の前のコンクリートの壁が爆散した!! 破片は飛び散り足元に落としていた視線を反射で前に向ける夥しい数の破片が僕めがけて飛んでくる、それを両手を前に怪我をしている腕も上げ防御姿勢をとったアドレナリンが出ているのか、まるでスローモーションに観える。両腕の
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