第13話 月光の使者 3
僕は恐慌に陥りそうな気持ちを抑え口を開く。
「き、君が喋ったのかい?」
狼人間に問い掛ける——頬まで裂けた口をさらに引き上げ答える。
「ソ、ソ、ヴダよぉーーハヤト、オに兄チャン」
この狼人間——会話が成立する……随分と、片言ではあるが、会話が出来る程度の知能がある。しかしハヤトお兄ちゃん? ハヤトという名前の知人もいた記憶がないし……勘違い? ——ならばやむなし、利用する手はない。
「オニ、オ、兄ちゃんド、ド、うじしだの? わたわだしししのごとわがるよねね????」
「あ、あぁ! わかるよ! 大きくなったね! で、でもねお兄ちゃんちょっと頭を強く打って、色々な事忘れちゃってるんだ。だからお名前教えてくれるかな?」
顔が狼であるが故に表情から感情が全く読み取れない、わかるとすれば憤激しているかいないかくらいだ。しかし僕の苦し紛れの自己弁護も清く受け止めてくれたらしく、狼人間は人差し指を口元に当て首を傾げながら答える。名前は、りりか、小学一年生と……これではまるで本当に妹と言っても、おかしくない年齢、意図せずして僕にこんな大きな妹ができるなんて神はいたずら好きにも程がある。
「あオ、オ兄、ちゃンい、いっぱい、ぢ、血がで、てて痛い痛いぃ?」
狼人間は僕の頭を巨大な手で撫でようと手を伸す。一瞬、恐怖にのけ反りそうになるが、そんな事をして相手の機嫌を損ねる方が僕にとって不利益を被る可能性がある。自分を律することで頭を撫でられる事に応じて見せた。
「あ、ありがとう心配してくれて」
八割は狼人間に付けられた傷なのだが、野暮な事はいえまい。
「ところで、りりかちゃんは何でこんなところに居るのかな?」
先ず質問を続ける。何でもいい時間を稼ぐんだ。僕の見立てが正しければ、この工場は夕日と別れた場所からそう遠くない筈だ。どれくらい気絶していたか分からないけど、きっと夕日なら見つけてくれる——多分……と言うよりこれは希望だ。
「……ワか、わかららないのぉ、き、気づい、たら、ごごにいたぁ」
「そう……か」
気づいたらここにいたか……まるで記憶が抜け落ちているような物言いだな。
このりりかという狼人間は投げつけられた時は、交戦的、かつ残虐性を垣間見たけど今は感じられない。口調や稚拙な語彙力からみても本当に小学一年生みたいだ……そして僕をお兄ちゃんと呼び慕う姿は正に妹……だからこそ何故あれ程まで暴力的に無造作に僕を工場に引き摺り込み、さっきも逃げ出そうとした時、おもちゃを放るように軽々と壁にぶつけてきたのだろうか、あれでは癇癪を起こした子供と同じ。
「りりかちゃん、さっきは何で、外に出ようとした僕を止めたの?」
逃げ出そうとした僕を何故放り投げたんだ? が、正解だけど、極力この子を刺激したくない。いつ鬼鬼しくなるか測りかねているからだ。それも精査する一環として優しくマイルドに問いかける、お兄ちゃになりきって。
すると鬼は泣いた。
「あ、あ、あごめごめんなざぃあぁお兄ちゃん、なげ、なげるつもりじゃな、ななかったのおぉうおぉんん」
声質が子供とは思えないおどろおどろしい悪声でウォンウォン泣く。
「りりかちゃん違うよ! 攻めてる訳じゃなくて、お兄ちゃんね、お外に用事があるから、行かないと——」
「ダメ」
獣は、獣らしい眼光で僕を睨み、僕の言葉を遮る。そこには、明確な意志を感じる。
今の今まで、泣きじゃくっていたとは思えない切替だ。そこまでしてここに留めておきたい理由とは——でも自覚はあるのか、僕を傷つけたって事実に、そして罪悪感に苛まれるくらいには良心もある、ならば同情も買えるということだ。付け入る隙はある。
しかし外に出たいと言う願望を伝えてしまった以上、警戒心を植え付けてしまったようだ。そこで僕は意を消してこの狼少女を宥める。そっと左手を前に出し狼少女の頬に手を当て、優しく撫でる、頬と言うより犬のあごを撫でるような形になってしまったが。
「は、ハヤトお兄、ちゃん、撫で、な、でさされるのす、スキィ」
狼少女に尻尾はないが見えない尻尾がバタバタと左右に動いている気がする。すると狼少女は僕にさらにもう一歩近づき抱きしめてきた。
ハヤトとこの少女はきっと仲睦まじい兄妹。
そこには一体どれほどの愛があったのか——兄からの
僕は狼少女の身体に触れそっと抱きしめた。——違和感を感じる……感じると言うより思い出す。縫い目この子の身体中にある縫い目…………僕は思慮する。
この子の身体が人となりであるはずがない。
元はどこにでもいる可愛らしい小学一年生だったのだ。そこには営みがあり、兄を慕うどこにでもいる妹——だがここにいるのは人間というには余りも規格外の生物。紛う事なき怪物で狼人間……一体なぜこんな姿に——
「……りりかちゃんは、ここに来る前の事って覚えてるかな? ……学校に行ってたとか何処かで遊んでいたとか」
狼少女りりかは頭をバリバリとかきながら思案し思い出すように喋り出した。
「……おそあそあそび…………? そ、う、わわだし、ごこ公園で、おにおにお兄ちゃんとあそんんでて、かくくくかくれんぼしでたら…………——ま、っくろな大きなおじじちゃんに、おはお話じざされて、そこそごからぁ、あ、——」
真っ黒な大きなおじちゃん? そいつが黒幕? その後の続きを食い入るように聴こうとしたが狼少女の様子が変わった。
「あ、あ——あがおおぉああいいあ、あぁぁぁぁぁぎゃああ!!!!」
バリバリバリバリと狼の頭部が出血するほどの力で頭を掻き毟る——血飛沫を上げ絶叫する光景に、僕は呆然とすることしかできなかった。
「おもっ、おもいいぃだしたぁあっあ、あ、おじちゃんにつつつつれてかれたのおおぉうぅ、ぴかって光るつつくえにしばじば縛られてててあ、あ、いだいいだい痛いっっつてででていっでるのののにいぃおにににお兄ちゃんだずだすけでっていっいってるのにぃいぃおじ、おじちゃん、わだわたしの、おててもあしも、も、てもってっだぁののおぉううあぅぅあいぃあぁぁ」
「…………」
「きづきづいたらおそお外にいてで、でももお外にごわ怖い人ととひどいでかく、れてだら兄兄ちゃんみたいなにおにおいしてじてっ…………」
停止した。掻き毟っていた手は止まり、呆然と空を眺める。天井の大穴から見える満月が狼少女を優しく照らしている、それは月からの祝福の受ける使者——そう。
まるで——月光の使者。
狼少女はギョロリと金色の瞳で僕を捉えた。
「
探りを入れていたつもりが
狼少女は僕の首を掴み上げる。呼吸ができない、もはや今週三度目のブラックアウトを覚悟する。狼少女は声にならない叫び声を上げる「だまじたっ!」「にせぜものっ!」と、締め上げる手に力がこもっていく。一体どんな業を背負えばこんなにも首を締め上げられるのか、今度、徳の高い坊さんに相談に行こう……——。
虚な視界に映ったのは月、今日は満月——満月を囲むように穴の空いた天井——そこを見遣ると僕は歓喜した。待ちに待った
——夕日は天井から飛び降り自慢のナイフで狼少女に切りかかる——。
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