第6話 交渉1/3
ガリッ! バリッ!バリッ!! 何かを噛み砕く音がけたたましく響く、不快な音の正体は夕日が飴を砕く音だ。
「まっ! たくよぉ! マジでムカつく! イリスのせいでとんだ
三流の悪役みたいな台詞を吐くなこいつ、助演女優賞狙ってんのか?
「はぁ、外に出た途端にこれだよ、内弁慶ならぬ外弁慶ですかあなたは? で、どんなお仕置きされたんだよ?」
部屋の中で聞いた質問をすると途端に黙りこみ馬鹿みたいに「……おし、お仕置きぃ?」と弱々しくオウム返ししてくる始末、これは好い、黙らせる時に有効な魔法の言葉を見つけた。お仕置きの内容は今度イリスさんに聞こう。
「ところで依頼人の【
改めて今回の依頼内容を確認しようとすると夕日は仏頂面で答える。
「べ、別に! 詐欺った訳じゃ、ないし!…………もう、さぁ、このまま犬探して引き渡して終わりでいいじゃん」
「はぁ? お前何言ってんだよ、どう考えたってあの犬は【霊奇】じゃないか! イリスさんも間違いないって言ってただろ? なに渋ってんだよ。後、詐欺の疑いがあるのは依頼人の方だ、早合点するな」
強めな物言いに少し怖気る素振りをして上目遣いで夕日はモジモジしている。やめろ可愛いから。
「うぅ、じゃあ言ってもいいけど……イリスには内緒にしてくれる?」
は、はーんこいつ絶対に大事なこと隠してやがったな、しかも詐欺ってワードに偉く反応してたところをみると間違いなさそうだ。
「あぁ、わかったよ今からお前に聞いた事は他言無用にしておくよ」多分。
怪訝そうな表情でこちらを見つめてくる夕日だが、逃げられる状況ではない事は、重々わかっているようで観念したようだ。
「……わかった、確か、二日くらい前にイリスの事務所で待機してた時なんだけど———」
◇
ここは麻人市某所にあるイリスの事務所、四方を取り囲む本棚と大量の書籍、その一箇所に夕日専用の本棚がある、少年漫画、少女漫画、青年漫画と大量の漫画を買い占めては事務所に貯蔵している。そして本棚の持ち主は今日の暇をどれで潰そうかと悩み、立ち往生している。
「うーん今日は何を読もうか……どれも読んだやつばっかりだなぁ……ねぇイリス、経費で漫画買ってもいい??」
横幅180センチはあろう年季の入った木製のプレジデントデスクがあり、一人掛け用のプレジデントチェアにチェーン付きのメガネをかけ新聞を読み、細長い煙草を喫いながら腰を掛けているイリスがいる。
「【
何も言い返せない悔しさを表情にだしつつ、不貞腐れた物言いで返す。
「ちぇ、ダラダラ長々と、しかも能力とか関係ないしそんなの。駄目なら駄目って普通に言えばいいじゃんケチケチマイスター」
ふっと鼻で笑い夕日のふくれっ面を堪能しながら読んでいた新聞を元の状態より綺麗に折り畳みそれを机の端にある何週間も溜め込みタワーの様になっている新聞の上に置き、嫌味とも取れる賞賛を口にする。
「そんな事はない、長時間も暇を潰しながら電話番ができるなんて到底私にできることではない、素晴らしいよ【落陽】非凡な才能だ」
ここまで夕日の逆鱗を逆撫でする事ができるのは、イリスただ1人であろう。
「なんだよ! いちいち癪に触る言い方するなぁ。てかイリス! その新聞の山はいつも誰が片付けてやってると思ってんだよ!」
夕日はガサツな性格と思われる言動をとるが、整理整頓、炊事洗濯は卒無くこなせる折目正しい一面も備えている。
「あぁこれは崩れたら廃棄すると言う戯れだ、しかしいつも崩れる前に無くなっていると思ったら【落陽】の仕業だったのか、人の愉しみを奪うのは感心できないな」
「は? 何が戯れだよ! ただの馬鹿馬鹿しい暇潰しじゃん! そっちの方が感心できないな!」
夕日の罵声に覇気が乗ったのか新聞紙の塔はグラグラと揺れ始める——少々の沈黙の後、イリスは煙草に火をつけ、椅子から立ち上がり、ツカツカと夕日の方に近づいて行く。
「な、なんだよ悪いのはイリスだろ……」
「うあっ! ケムっ! 何すんだよもう、髪に臭いつくからやめろよ! ゲホッゲホッ」
イリスはクルリと反転して夕日に背を向け話し出す。
「【落陽】に1つ問うてみようか、君が思う暇と退屈とはなんだね?」
夕日は察する、またこの手の概念についての詰問か、と。しかし答えないと後が怖いのも察しているので、渋々答える。
「暇と退屈……うーん時間の無駄遣いとかかな? 持て余すと言うか」
何とか捻り出した答えにすぐさま返答が返ってくる。
「それも一つの観念だろう、しかしそれは使い方の問題だろうね。私が思う暇と退屈の行き着く先は【気晴らし】だ。変わり映えのない毎日、苦痛で鬱々とした日々、持て余し甘やかした怠惰に惰眠を貪れば人間は気付く「あー何て退屈なんだ」と、そして暇に任せて不要な考えに行き付く愚者の行動もまた【気晴らし】なのかもしれんがね。退屈とはね不幸の源泉なんだよ、人々は【気晴らし】を求め、ありもしない幸福を探している、それが暇潰しさ」
一旦話し終えると背を向けていたイリスはまた夕日に向き直り一歩一歩と近づきながら話を続ける。
「殊に私は退屈している、日常に些細な【気晴らし】を求める程にね。だけど好意的でもあるのだよ、暇と退屈と言う感情なくして探究はありえないからな」
そこでイリスは半歩のところで歩みを止め笑を浮かべているが高圧的な表情をして夕日の顎をクッと引き寄せる。夕日はイリスの迫力に怖気涙目になっている。
「そこでだ【落陽】、不要な考えに行き着く人間も愚者ではあるが、もっとも愚かな者は何か講釈しよう——それは【気晴らしを愚かと罵る者】だ、何故だかわかるな? 訳知り顔で「暇つぶしは時間の無駄」「馬鹿馬鹿しい」と言う論こそもまた自身の気を紛らす【気晴らし】なのだから。そんな事は承知していただろう【落陽】?」
圧抑に声も体もカタカタ震え涙をポロポロ流しながら夕日は答える。
「ひぅ……ごごめんなさいぃ、グスッ」
淡々と叱責され続けた夕日は完全に母に叱られる娘の図である。そんな授受的なやり取りも終わりを告げる。突然———ジリリリリリリリリ! ジリリリリリリ! 黒電話が鳴り出す。
電話がなっているにも関わらず中々動き出さない双方。しかし何コール目で夕日が切り出す。
「……い、イリス電話ずっとなってるよ?」
イリスはそこで我に還る。
「あぁ、すまない私が出よう、君は涙を拭いたまえ」
少し口惜しい表情を浮かべ電話を取る。そして一通りの会話が終了しガチャリと電話を切る。
「グスン、電話なんだった? 依頼か?」
夕日は鼻を啜りながら問いかける。
「あぁ今から依頼人が来る、すまないが【落陽】1人で対応しておいてくれるかい?」
「……え? もしかしてアタシ1人でやるの? いつもイリス一緒にいてくれるのになんで? さてはさっきの生産性うんたらプットを早速アゲるってこと!?」
訳のわからない造語を作るほど困惑した内情でイリスに駆け寄る。泣いたばかりで第二波が来そうな程、瞳をうるうるとさせ寂しげな表情を浮かべる夕日に向き直り、優しく頭を撫でるイリスはまるで我が子を諭す親のようだ。
「ふふ、さっきはすまなかったな、少し言い過ぎたよ。生産性向上は後付けの様なもの、前々から任せようと思っていたんだ。気負う必要はない電話越しでは、品性のあるお嬢さんだったよ、事務所の近くにいるそうだ、すぐに来る。後、今回の報酬は2人で分配して構わない、賞与だと思ってくれ、その代わり私はこの依頼には干渉しないと言うのが条件だ」
「えっ本当に!? 依頼金そのまま全額日払い!? やったぁー! 流石イリス!! 乳のデカさは器のデカさってね! 俄然やる気も
「……胸の大きさはさておき、
「あーうん、確か、鯉が滝をのぼると龍になるってやつだったよな?」
話題の変換で夕日はいつもの調子を取り戻してきたようだ、その辺りの褒めるという配慮も怠らないのがイリスという人間だ。
「あぁそうだ、鯉の滝昇りは立身出世の例え言葉だ、さらに言えば鯉は黄河上流にある龍門の滝と言われる急流を、昇り切らねば龍には成れないと言うのが言い伝えだ」
「むむ、じゃあ今回の依頼は私にとっての龍門って事か、何だか自分でハードル上げてしまったなぁ……」
「ふふ、及ばぬ鯉の滝登りにならぬようにな。さて私はそろそろスタジオに行くとしよう。後は頼んだよ【落陽】」
微笑ましい光景に頬を緩めるイリスは夕日を背に部屋を後にする——。
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