【短編】巫女さんが神さまの依頼で、神社のご神体をユーチューバーにする話
千月さかき
巫女さんが神さまの依頼で、神社のご神体をユーチューバーにする話
『
ある日、眠ってたら
……いやいや、待って。
うちの神さまなに言ってるの?
最初に説明しておくと、うちは神社です。
といっても、元日に行列ができるほどじゃない、小さなお社。
参拝客も少ない方です。
しょうがないよね。山の中だもんね。
1年で一番参拝客が見込めるお正月には、道が雪で閉ざされるんだから。
普段は2車線の山道が、積み上がった雪のせいで1車線半になる場所に来たいと思う人は多くない。だからうちの神社もさびれるわけ。
そんな神社のご神体は、大型車くらいのサイズがある岩です。
神さまがこの岩の上でお酒を飲んだという伝説があります。
岩をご神体として神社が作られたのが数百年前。
その後は先祖代々、ご神体を護ってきました。昔は、ふもとの町にも人がいたからね。
だけど徐々に人は減り、今では子どもも、私を含めて十数人。
参拝客も減ってしまって、神さまがさみしい思いをしているのも無理はないわけで……。
「だからってユーチューバーはないよね」
そもそも、あの夢が神託とは限らないし。
うん。忘れよう。
高校に進学したばかりで疲れてただけだよね……。
『巫女よ。我をユーチューバーにするがよい』
かんべんしてください神さま。
一週間も同じ夢を見せ続けるのはひどいです。
わかりました。もう、わかりましたから。
でも、神主は私じゃないからね。
お父さんに、ご神体の動画をアップしていいか聞いてみよう。
「お父さんお父さん」
「……すまない。うちは美大は無理なんだ」
「中学生時代に言ったことを引っ張るのはやめてね」
中学時代の私の駄々がはね返ってきました。
私は小さいころから絵が好きでした。
中学時代には「将来、絵師になりたい」とか考えていたわけです。でもって「絵師になるには絵の勉強を」「絵の勉強は美大」となり、「お父さん美大に行きたい!!」という結論に達したわけです。
中が時代の私、駄々をこねたことを謝れ。
父子家庭で私を育ててくれたお父さんに謝りなさい。
「もう、美大に行きたいとか言わないから」
「そうかい? でも公立ならなんとか。ああ、一人暮らしの費用がいるのか」
「ごめん。黒歴史を引っ張り出すのやめて」
あなたの娘は、自分に才能がないことを知ってます。
絵のことはいいから話を聞いてください。
「夢にご神体が出てきて『ユーチューバーになりたい』と言ったの。巫女として、そのお願いを叶えてあげようと思って」
「権利関係は大丈夫かな?」
「神主はお父さんだからいいんじゃない?」
「だけど高校生がそういうことをするとトラブルの元だからね。お父さんのアカウントで登録しよう。手続きはお父さんに任せなさい」
意外とあっさり許可が出ました。
え? バズれば参拝客が増えるかも? なるほど。
残念だけどお父さん。ネットの世界ってそんなに甘くないんだよ?
私のSNSの絵描きアカウントもフォロワーは一桁……あ、なんだか辛くなってきた。
まぁいいや。
とりあえずご神体をスマホで撮って、アップすればいいよね。
それでユーチューバーデビューってことにしましょう。
私はスマホを手に、神社の裏手に向かいます。
木々に囲まれた場所にあるのは、大きな岩。これがうちの神社のご神体。
夜露に濡れた姿。
岩を飾る、くたびれた……いえ、年季の入った
まぁ、迫力はあるかな。
スマホを持って……岩のまわりを一回りすると……撮影時間1分。
しばらく同じ場所で撮影して、適当な時間になったらアップしよう。
神さま。私にできるのはこのくらいです。
これで勘弁してください。
神託が来ると飛び起きちゃうから寝不足なんですよ。本当に。
そして、翌日。
バズった。
『なぜか感動する』
『神々しい気配を感じる』
『癒される。落ち着く』
『見ていると時間を忘れる。ありがとう!』
再生数6桁で、大量のコメントがついてる。
なにこれ。
ご神体の岩をスマホで撮っただけだよ? どうしてこうなったの?
でも……これはチャンスかも。
ご神体にカリスマがあるなら、神社の宣伝をしてみよう。
参拝客が増えれば父さんも喜ぶし、うちの家計も私の学費もげふんげふん!
とにかく、次の動画を作ろう。
巫女服を着て、顔が映らないようにして、ご神体の由来や神社の歴史を伝えれば──
『巫女いらない』
『解説が邪魔』
『静かに見ていたいのに、雑音を流さないでください』
『登録解除しました』
『手ぶれがひどい。解説よりも撮影を重視するべき』
はいはいそうですか!! わかりましたよ!!
いいですよ。もう口は出しません。巫女は静かにしてますよ。
『ユーチューバーになりたい』が神さまの希望ですからね。
巫女はそのサポートに徹します。
で、なんですか? 手ぶれがひどい? そうだね。歩きながら撮ってるからね。固定カメラにしますよ。
百均で自撮り棒を買ってきて、雪囲い用の縄で樹に縛り付けて、固定完了。
これでいいよね。文句ないよね。
それじゃ視聴者さま。静かにご神体の姿をお楽しみください。
『構図が残念。せっかくのご神体がかわいそう』
ああああああああ、もおおおおおおおぉぉぉぉ!!
頭を抱えましたよ。私は。
弱点をざっくりえぐられた気分です。
というか、昔も言われたことがあるのです。
私が一方的に、ライバルだと思ってた人に。
子どもの頃。といっても数年前ですけどね。
当時は、自分は絵がうまいと思ってたんですよ。
発想のひらめきと、感性。
そういうものにあふれていて、自分は特別だと思ってました。
今考えると、頭がどうにかしてたんでしょうね。子どもなんてそんなもんですが。
当時の私は「自分には才能がある。それだけで完璧」だって思ってたんです。
技術なんて後から勝手について来るって。
まー、あれですよ。
ちびっこの才能なんて、成長すれば消えるもんです。
技術を
才能が信じられなくなった瞬間に、全部、ガラガラと崩れていくんですから。
で、ちびっこだった頃の私には、ライバル視してた人がいました。
『構図』とか『デッサンの勉強をした方が』と言ってたのは彼です。
当時は、負け惜しみだと思ってました。
クラスの中で「絵が上手い」と言われてたのは、私の方でしたから。
まぁ、私が、自分を知らなかっただけなんですけどね。
中学校に入ってすぐに、現実を見せつけられました。
生徒玄関に張ってあった、彼の絵を見たときです。
幼なじみの彼が、本格的に絵を勉強して、はじめて描いた絵でした。
絵で頭を殴られた経験ってありますか?
私はあります。もちろん、物理的にじゃなかったですけど。
見た瞬間に、衝撃が走ったんです。
なんかの受賞作だって札が張ってありましたけど、目に入りませんでした。
それほどのものだったんです。その絵は。
私が『絵がうまくなりたい。美大に入る!』って、父さんに駄々をこねたのは、その日の夜でした。ええ、よく覚えてます。黒歴史ですから。
今は、身の程をわきまえてます。私は彼のようにはなれません。
だから、うまい絵を描こうとしなくなりました。
たまに簡単なイラストを描くだけです。それで十分、満足してます。
今の私は、神さまユーチューバーの補助役ですから。
「でも、構図かー」
放置してると、またご神託が来るかもしれませんね。
対策を立てましょう。
次の日。
私は市の図書館で、絵の構図の本を借りてきました。
ちなみに、司書のお姉さんは顔見知りです。
久しぶりに絵の本を借りたら「がんばってね。未来の絵描きさん」って言われました。
お姉さんは、言葉が人を傷つけることを知った方がいいです。
そもそも当時は構図の本なんか読んでなかったですからね。
上手い絵をたくさん見れば、自然と上手くなるもんだと思ってましたから。
絵のオーラが自分に移るとか言ってましたからね。中二病ですか。
「三角法。S字……なるほど」
借りた本を読み込みながら、ひとつひとつ試していきます。
結果はすぐに出ました。動画のアクセス数は急上昇しましたから。
でも……わかりません。
コメントには『神々しい気配』とか『見ていると癒やされる』とかありますけど。
視聴者さんには、一体なにが見えているんでしょう。
どうして私には見えないんでしょう?
そういえば、小学校の図工の先生に「もっと被写体を見なさい」と言われたことがありましたね。
当時の私は、将棋の
タイムマシンがあったら殴りに行きたいです。当時の私を。
「被写体を見ろって言われても……」
私には、ご神体の岩しか見えません。
視聴者さんにはなにが見えているんでしょう?
どうして、私には見えないんでしょう。
巫女ですよ。私。がんばって毎日動画を投稿してますよ。
私になにも見えないなんて、不公平じゃないですか。
「……イーゼルって、ありましたっけ」
子どものころの私は、形から入るタイプでした。
というか、道具さえそろえればうまくいくと思っていたんですね。
だからありますよ。イーゼルも、スケッチブックも。
ご神体の側に椅子を置いて、イーゼルを立てると……おぉ、絵描きっぽいです。
ふたたび絵描きの道を選ぶときが来たようです。
……ごめんなさい。嘘です。
私は、みんなに見えるものが見えないのが、悔しいだけです。
「じっくり見てあげようじゃないですか。隅から隅まで」
鉛筆で、ご神体のかたちを取っていきます。
しっかり見ます。
少しずつ、陰影をつけていきます。
こうして私とご神体の戦いは始まったのでした。
あと。動画の再生数は右肩上がりです。
コメントも増えています。えっと──
『もっと映えるライティングの方が』
いい加減にしてください。
それから、しばらく経ちました。
『ご神体チャンネル』は、相変わらず好評です。
アカウントは父さんのものですからね。
神さまの願いは叶ったんでしょうか。
そろそろいいかな、とも思うのですが、やめるタイミングがわかりません。
私の絵も、やめるタイミングが見つかりません。
描きまくったご神体の絵が増えていってます。
嫌になって破ったものを含めると、もっと多いですけど。
私が勝手にライバル視してる彼は、今も絶好調みたいです。
登校すると、生徒玄関に絵が飾られてました。
また賞を取ったみたいです。こういう人が美大とかに行くんでしょうね。
そんなことを考えながら絵を見てたら、彼に会いました。
なんとなく、声をかけることにしました。
ご近所付き合いは大切です。田舎町で、子どもの数も少ないですからね。
「あー。すごいですね。絵」
語彙力。
「きれい。受賞。どこの絵?」
「全然だめ。最近、スランプで」
彼が言いました。ざらついた声でした。
声変わりしてたんですね。どうして今まで気づかなかったんでしょう?
もしかして……私、彼を避けてましたか?
「いや、あんたの絵はすごいよ。賞も取ってるし」
「全然だめだよ」
「そう?」
「最近は描く数も減ってる。動画を見るのが、唯一の楽しみかな」
「どんなの?」
「お前んちのご神体」
「はいはいはい! 父さんがやってるやつね。父さんがね!!」
「癒やされる」
「よかったね! 父さんに言っておくね!!」
「構図とライティングも少しずつ良くなってる」
あのコメントはお前か! お前だったのか!
あ、でも、
まさか『ご神体チャンネル』を、彼が見ていたとは。
……どうしてくれよう。
チャンネルの運営は父さんがやっていることにしたけれど、油断はできません。
彼んちは、意外とご近所なのです。
私が撮影しているところを見られる可能性もあります。
絵の天才の観察力で、私が運営者だと見抜かれるおそれもあるのです。
彼のことは、小さいころからよく見ています。
幼なじみで、ライバルですから。
『ライバル』の方は、私が勝手に思ってるだけですけど。
とにかく。
もう、撮影に妥協はできないということです。
機材はあるものを使うしかありません。
これは私が始めたことですから、父さんを頼るわけにもいきません。
父さんは芸術関係が苦手です。写真を撮れば必ず手ぶれする人ですからね。父さんには、アカウントの管理に専念してもらいましょう。
機材はこのまま、スマホだけ。
あとは私が技術を学んで、カバーすることにします。
大切なのは構図とライティング、それに観察です。
問題は視聴者がなにに感動しているのか、わからないことです。
巫女なのに、私にはご神体の本質が見えていないんです。
ほんと、みんななにを見てるんでしょうか。狐耳の神さまでもいるんでしょうか。うちの神さまは稲荷神じゃないんですけどね。
……悔しいです。
絵で、彼に追いつけなかったのも悔しいですし、みんなに見えているものが見えないのも、悔しいです。
だから──
「こうなったら、とことんやってやろうじゃないですか」
みんなが見ているものが見えてくるまで、撮影を続けます。
観察力を高めるために、絵を描き続けてやりますよ。
被写体をしっかり見ればいいんですよね? そうですよね。小学校の図工の先生。
これでなにも見えないままだったら、文句を言いに……は行きませんけど、ご神体の前で愚痴ってやります。
視聴者さんが、ご神体に飽きるのが先か。
私に、みんなが見えているものが見えるのが先か。
勝負です。
私は、ご神体の絵を描き続けました。
カンカン照りで、ご神体の陰影が強くなる日も。
小雨が降り、いい感じの水滴が、ご神体の表面を伝う日も。
積もった雪の反射光が、不思議な影を作り出す日も。
それでも、特に変わったものは見えてきません。
ケンカ売ってるんですか、神さま。
そうしているうちに時は過ぎて、私は高校3年生になりました。
受験生です。
相変わらず彼の絵は、生徒玄関の前に飾られています。
賞をいくつ取れば気が済むんでしょう。
美大に推薦で入るといううわさも聞こえてきます。いいですね。才能のある人は。
いえ、これはあくまで受験生としての感想です。
彼を、絵のライバルだとは思っていません。
だって、私にはなにも見えてこないんですから。
神さまはいじわるです。心からそう思います。
絵のことだけじゃありません。
3年になってクラス替えがあるなんて、思ってもみませんでした。
まさか彼と同じクラスになるなんて。
普通、高3でクラス替えってしませんよね?
え? 子どもの数が減ったから?
あー、このあたりは過疎ですからね。
どうりでうちの神社のお賽銭も減っているわけです。
でも、困りました。
私は彼と別のクラスだったから、選択で美術を取ったんです。
彼と比べられずに絵を描きたかったからです。
彼と同じクラスになることは、想定していませんでした。
仕方ありません。覚悟を決めましょう。
1年くらい、天才とともに勉強するのもいいでしょう。
そうして臨んだ美術の授業の課題は、隣の人の肖像画を描くことでした。
「よろしく」
「……なんてことだ」
私の隣の席にいたのは、彼でした。
神さま、この仕打ちはないでしょう。
『ユーチューバー』にしてあげたじゃないですか。
願いを叶えてあげた巫女に、こういうことしますか。神さま。
今日の動画にダークなBGMをつけますよ? それともラップがいいですか?
もういいです……覚悟はもう、決まっています。
彼に勝てないことは、わかってるんです。
私は凡人です。凡人なりに、あがいてみようじゃないですか。
そうして私と彼は、順番に、おたがいの絵を描き始めました。
久しぶりに、彼の顔をちゃんと見た気がします。
思ったより、まつげが長いんですね。
あごの下に、そり残しの髭があります。
耳のかたちは、私と違うんですね。耳たぶが少し長いです。
あれ? ちょっと。
どうして顔をそむけるんですか。肖像画を描いてるんですから、動かないでください。
……え、なんですか?
「お前が絵を描いてるところを、久しぶりに見た」ですか。
そりゃそうでしょう。
私の絵なんて、人に見せられるレベルじゃないんですから。
天才がそういうことを言うと、嫌味にしか聞こえませんよ。
「……俺は、ずっと、お前がうらやましかった」
べきっ。
あら。鉛筆が折れてしまいましたね。
変な力を入れたからでしょうか。
え? 怒ってませんよ。怒る理由なんてないですから。
私は深呼吸をして、また、絵に向かい合います。
怒る理由なんて、ひとつもありません。
私が彼を、勝手にライバル視してただけです。
きっと天才も大変なのでしょう。みんなの期待とか、ありますからね。
期待されない者の方が、楽なのかもしれません。
せっかくの機会です。
彼のその、天才の苦しみみたいなものを、この絵にこめてみましょう。
神社のご神体からはなにも感じ取れない私ですけど、これは授業ですからね。
少しくらい、自由にやらせてもらいましょう。
それから私は、『
最後の機会かもしれませんからね。
彼が都会の美大に行ったら、会えなくなるんですから。
今週は私が彼の絵を描く番。
そして来週は、彼が私の絵を描く番でした。
椅子に座った私を見ながら、彼が鉛筆を走らせています。
できあがった絵は、私も見ることになるでしょう。
比べられる覚悟はできました。どんとこい。
そうして一週間おきに、繰り返し、繰り返し。
私と彼は、おたがいの絵を描き続けます。
肖像画の授業は、4月だけ。
未完成でも提出して、それで終わりになる……はずでした。
「ふたりとも、もう少し描き進めてみたらどうかな?」
──私と彼の絵を見た美術の先生が、変なことを言わなければ。
「わかりました」
「はい。先生 (なんてことだ!!)」
内心を押し殺して、私はうなずきました。
もう、やけです。どうでもいいです。
描けと言われれば描きます。色を塗れと言われれば、塗りましょう。
背景? はいはい。わかりましたよ。
被写体をしっかり見ればいいんでしょう? ご神体を描くのと似たようなもんです。小雨の森でも雪景色でも、描いてやろうじゃないですか。ええ。
高校生活の記念に、天才と比べられるのもいいでしょう。
彼は相変わらず『ご神体チャンネル』の視聴者みたいですし。
ときどき、スパチャもくれますからね。
恩返しのつもりで、天才の姿を描いてみせましょう。
もちろん『ご神体チャンネル』の更新も忘れずに。
それから1ヶ月が過ぎて、私たちの絵は完成しました。
2枚の絵を受け取った美術の先生は、ほくほく顔でした。
彼の絵を手に入れたのだから当然でしょう。
よかったですね。
それから、さらに数ヶ月後の、夏休み前。
私は美術の先生に呼びだされました。
「美大を目指してみないか」
……先生、なにを言ってるんですか?
「ん? 生徒玄関前の掲示を見ていないのか?」
生徒玄関前? 見てますよ。
なんか絵が飾ってありましたね。きっと彼の絵でしょう?
人物画でした。私を描いた絵が、また賞を取ったんでしょうね。
どうりでクラスメイトたちが、こっちを見ていたはずです。
「私の肖像画があるんですよね?」
「君の肖像画があるんだ」
「彼の絵ですよね?」
「君の絵だよ?」
「私は、自分の絵をじっくり見る趣味はありません」
「自分の絵なんだから、ちゃんと見た方がいいんじゃないか?」
感性で話をされても困ります。
しょうがないですね。
私は美術室を出て、生徒玄関に向かいます。
すると、彼がいました。
掲示されている絵を、じっと見ています。
私は足音をさせないように、その後ろを通り過ぎます。ちらりと絵を見ます。
うん。私の絵……あれ?
彼の絵でした。いえ、私の絵なんですけど。
私の絵ですけど、彼の絵でもあります?
ショックで言葉がおかしくなっていますね。
生徒玄関前に掲示されているのは、県の大きな賞を取った、
私が描いたものでした。
ちなみに、彼も賞を取ったことが、その隣に書かれています。
生徒玄関前のスペースが足りないせいで、絵の展示はないですけど、
彼も私の肖像画を描いて、しっかり賞を取ったようです。
さすが天才です。抜け目がないです。
「…………なんてことだ」
予想外でした。
高校生活も終盤に来て、こんなサプライズがあるとは。
神さまでも予想できなかったことでしょう。
「……俺は、ずっと、お前がうらやましかった」
彼の後ろで息を殺していると、ふと、彼がつぶやくのが聞こえました。
え? 私の存在に気づいてたんですか。
忍び足で歩いてたはずなんですが。
「お前の絵って、自由だから」
そんなこと言われても。
「自由な発想のお前の絵が、すごく好きだった」
「え?」
「だってお前、才能だけで描いてたから。それだけで人を
──才能だけで描いてた。
──お前が技術を身につけたら、絶対に敵わない。
彼はそんなことを言ったのでした。
……いや、買いかぶりすぎでしょ。
私、もう高3だよ。あなたの言葉を鵜呑みにするほど素直じゃないよ?
でも──
「そういうことはもっと早く言って」
「え?」
「いやごめんなんでもない忘れて」
私が勝手にライバル視して、避けてただけだもんね。
あなたはなんにも悪くないよね。ごめんね。
「美術の先生に、美大を目指してみないかって言われた」
思わず、私はそんなことを口にしてました。
すると彼は、
「同じ大学に行けるといいな」
おいこら。なんだなんだ。
突然なにを言い出すんだ天才。
私が自由だとか言ってたけど、そっちの方がよっぽど自由じゃないか。
「君の絵だって、賞を取ってるじゃない」
「よく書けたから」
「私の肖像画だよね」
「だから、がんばった」
「君は私のことが好きなの?」
なに言ってる私!?
言ってる言葉が自由すぎないか私!
いや、待て。なんで黙るんだ君は。
え? 今うなずいたか? それとも気のせい? すごく困るんだけど。
私が一方的にライバル視してたんじゃないのか? 君も私を意識してたのか?
いまさらそんなこと言われても困るぞ!
うちに、美大に行くようなお金はないんだ。
変な希望を持たせないでほしい。
「それはともかく、お前のことは、ライバルだと思ってた」
「困る!」
私が君と同じ大学に行きたくなったらどうしてくれるんだ。まったく。
頭が混乱してました。
中学生のころみたいに、おかしな状態になってたんだと思います。
だから家に帰ったあと、私は父さんに、昔と同じことを言ってしまったのでした。
成長した分、ちょっとだけ、遠慮がちな口調で、
「私が美大に行きたいと言ったらどうしますか?」
「いいんじゃないか?」
「ちょっと待って話が違う!」
前に『……すまない。うちは美大は無理なんだ』って言ってたよね。
あれから参拝客は増えてないよね。
どうして言うことが変わってるの?
「そのために『ご神体チャンネル』を作ったんじゃないのか?」
父さんの話では、すでにチャンネルの収益化は完了しているとのこと。
これまでのたくわえを加えると、彼と同じの美大に行けるくらいは貯まってるみたい。
……なんてことだ。
「でも、お父さんの名義で貯めたお金だよ。お父さんが使った方が──」
「これくらい、手伝わせて欲しい」
父さんは、優しい口調でそう言います。
「父さんは芸術のことは、さっぱりわからないからなぁ」
「私の絵を見ても『うまい』としか言わないもんね」
「だから神さまは父さんじゃなくて、お前に神託を授けたんだろうね」
確かに。
父さんがチャンネルの運営をやったら、すごく前衛的な動画になりそうだし。
三脚を使っても手ぶれした写真が撮れる人だからね。父さんって。
「だから全部、うちの神さまのはからいなんだと思うよ」
「なんてことだ!!」
これが神さまをユーチューバーにしたお礼ってこと?
毎日ご神体を観察して、絵を描き続けたから、御利益があったの?
それとも、ただの偶然? わからないけど……。
私は家を飛び出して、ご神体の前で手を合わせる。
言うことは『ありがとうございました』だけ。
目をこらしても、やっぱりなにも見えてこない。
見えるのはご神体のでこぼこした表面と、それが落とす影。ざらざらしたかたち。
今すぐ描きたくなるのは、たぶん、これまでの習慣。
うちの神さまがなにを考えているのかは、わからない。
でもまぁ、美大くらいは受けてみてもいいかも。
これから準備するのは大変だし、記念受験になっちゃうかもしれないけどね。
彼──私のライバルに、挑戦してみるのも悪くない。
そしたら向こうも、もっと意識してくるかもしれないし。
私も素直に……彼と話ができるようになるかも……。
そんなことを思いながら、私はまた、ご神体に手を合わせました。
そしてその夜に見た夢は──
『巫女よ。「ご神体チャンネル」を、父に引き継いでいくがよい』
──うーん。
うちの神さまは、さらに難易度の高い課題を出してきたみたいです。
おしまい
【短編】巫女さんが神さまの依頼で、神社のご神体をユーチューバーにする話 千月さかき @s_sengetsu
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