第2話 暗空に照る綺夜月

 群青が塗られるキャンバスは、やけに夏夜に冷却材にも似た効果を俺に与えてくれる。


「……やけに筆が乗るな、今日は」


 夜のアトリエで透は絵筆を握ってキャンバスに絵を描いてた。

 海岸で出会った少女、鳴海ルナ。昨日であったばかりの少女が、ボーイミーツガール物の主人公と運命的出会いをする物語のような運命性なんざ、これっぽちも感じてなどいない。むしろ、妄想的な展開にも思えた。

 はたまた、己の就寝中の自分の夢の跡を辿ったのではないかと家に帰った時に頬をつねれば痛みを感じるのだから現実ではあったのかも、という認識だ。

 ……俺的には錯覚であってほしかったんだが。


「……これもだめだ」


 透は気にくわなかったキャンバスにペインティングナイフで白い紙切れを引き裂く。俺を画家として受け入れない審査員の連中は、俺が夢を諦めろ、と遠回しに言っているのがこのキャンバスから伝わって来るかのような気分にさせられる。


「……今回で、最後なんだ。いい作品を作らないと」


 キャンバスの端にそっと手で触れながら透は冬の凍える時に漏れる小さな声で囁いた。全部、全部、この一回ですべてが決まる。

 爺さんが与えてくれた俺の夢を、せめて、形にしたい。

 この一回に、俺の全てをかけなくてはいけない。かけなくては、意味がないんだ。

 かけなくては、かけなくては、かけなくては――――


「あぁ、くそっ!!」


 透は自分の頭を乱暴に掻いてから、財布を持ってアトリエから飛び出した。

 走り出した息遣いが、やけにセミの鳴き声に隠しきってくれなくて。

 やけに不安感と恐怖感が襲って眠れない日々が苦しくて。

 なんせ今の俺と両親は良好な関係じゃなくて。

 辛いと、一言言えるはずもなくて。


「……っ」


 涙なんて、学生時代に枯らしてきた。

 いじめてくる同級生たちへの憤怒を、絵に描くことでストレス発散してた。

 陰キャという分類だったのもわかってる。

 陰キャだろうが陽キャだろうが仲良くなれる交流のしかたとかあったかもしれないし、美術部に入って青春を少しでも謳歌できたかもしれない。

 でも、それらを一切してこなかった俺には遠い夢の話だ。


「……はぁ、はぁ」


 気が付けば、ゴミや排気ガスだので汚れていく青空が、夜になればそこまで汚く映らないが、星が前よりも減った、と爺さんが愚痴を零していたのを思い出す。

 夏の夜は嫌いだ。爺さんが、死んだ時のことを思い出すから。


「……はぁ、……ふぅ」


 走るのをやめ、途中から歩き始めていた自分に気づくとあの少女がいた海岸まで自分はやって来てしまっていた。どうせ、センチメンタルになっただけの少女の戯れだったのだからいないはずだと、内心決めつけていたはずだと言うのに。

 現実に、彼女は白いワンピースを着て海を見つめていた。

 俺は階段を下りて、少し黄ばんだ砂浜にスニーカーで踏みながら彼女がこっちに満面の笑みで振り返ってきた。


「……あ! 透っ、来てくれたんだっ」

「……るっさい。黙れバカ」

「ひっど! 美少女にその反応はないんじゃない?」


 流れる黒髪は潮風に吹かれても艶やかな黒を保っている。

 貞子ほどって評してもいい色白な白い肌。

 端正な、そこいらのアイドルよりも整った顔。

 金色の、月見の時に見上げる黄色い月みたいな瞳。

 極めつけにゲームのヒロインが来てそうな白のワンピース。茶色のサンダルなど、用意周到に着飾られては自分がゲームの主人公の感覚に陥りそうになる。

 ガキ臭い高揚感を殺すため、ルナに透は皮肉で誤魔化す。


「美少女は自分から言わないから美少女なんだよ、そんなことも知らないのか」

「あー! それこそゲームでその返しはサブキャラ発言じゃん! 主人公気取りたいなら、知るか! 昨日会ったばっかだろ!? って動揺するシーンじゃない?」

「……俺は自分の人生の主人公って意地張るような大人じゃないんでな。少なくとも、その台詞は学生じゃなきゃ成立しないだろうが」

「そうともいう!」

「お前な……」

「えへへー! 言わせたかっただーけっ……嫌だった?」


 からかって楽しんでるルナに透は呆れる。

 ふんふーん、と言ってルナはサンダルを脱いで海へと駆け出していく。


「あ、おい!」

「大丈夫大丈夫! 入水とかしないから! また透がここに来てくれるならねっ」

「……はぁ? ふざけてるのか?」


 また、なんてものを期待してるのかコイツ……変な奴だ。

 俺が来る気失せたらコイツ、死ぬかもしれないのは……後味が悪いのも事実か。


「ほらっ、くよくよしててもダーメ! 人生は楽しくてなんぼっしょ!」

「……よくそんな綺麗ごと言えるな」

「綺麗ごとをそのまま貫き通せば綺麗様々なんだぜ? 青少年っ」

「お前絶対学生だろ」

「ピンポーン! 19歳ですっ。まだまだぴちぴちの女子よぉん」

「ノリ昭和くさ」

「えー!? いいじゃーん! そういう気分な場合もあるじゃーん! 何事も刺激は大事よー? あはははっ」


 綺麗な夜月の瞳で見つめて来る少女の瞳は魔性の煌きを覚えた。

 まるで、本当に月をそのまま目に埋め込んだような綺麗さで。


「透も来なよー」

「断る」

「えー!? じゃあ、明日も自殺しないように来てよっ、おまけついででっ」

「……お前やっぱり」


 ルナが明るく笑っている。綺麗な笑顔だ。

 その内面を晒さないようにか、人形に近い笑みは昨日のままだ。


「まさか、本気にしちゃう? 透ってそんな天然な生真面目さんなんだぁ。変なのぉ」

「……帰ったっていいんだぞ」


 うん、コイツなんか茶番がしたいだけだな。

 透は軽くスルーをしてルナは両腕を振って抗議してくる。


「もー! ひっどーい!! ……ふふ、はははっ」

「……何笑ってんだよ」

「えー? 透と話してて楽しいなーって!」


 漣の上に踊る白い少女は月光を落とし込んだ双眸で少し熱っぽい目を向けて来る。

 ルナの表情に透は思わず見惚れていた。


「んー? どうしたのー?」

「……なんでもないわ、バカ」

「あー! また馬鹿って言ったー!! てりゃっ」

「うわっ、かけてくんな馬鹿!!」


 は楽し気にからかいを含んだ笑みでルナは笑い飛ばす。

 透は呆れながらも、彼女と一緒にいる時間がなぜか嫌にはならなかった。

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夜月が見せる水彩 絵之色 @Spellingofcolor

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