夜月が見せる水彩

絵之色

第1話 水彩に彩られた君

 何度塗り潰しても、届かない激情を秘めた青はそこにある。


「違う、こうじゃない」


 色波透いろなみとおるはキャンバスに描いた紙を握り潰す。

 床に転がった数多の色で彩ったゴミの紙切れは全部、自分が思い描く理想の絵とならなかった敗戦者たちだ。白紙のキャンバスにどれほど自分が望む色を映して筆を走らせても、心から望む絵画にならない。

 学生の頃に美術の専門学に通わなかった自分を恨めしく呪う。

 カーテンから見える青白い月を目にして嘆息した。


「もうこんな時間か」


 立ち上がった透は窓を開けて夏夜かやの涼やかな風を頬に掠める。普段はいつも咽せ返るとすら感じる暑さと違い、今日はやけに冷ややかだ。


「……いい風だ」


 一度、気分転換に外に出よう。コンビニに今日の夜食を買いに行くための財布をズボンのポケットに忍ばせて外へと出る。

 月明りが照らす夜道の音楽隊である蝉の鳴き声を鬱陶しいなと思いながら耳にしつつ、適当におにぎりと麦茶を買って、寝起きの時にも似た感覚でゆらゆらと歩く。

 今日もまた違う色合いを見せる夜空を眺めながら、来年の世界絵画大賞のためにも頑張らねばと躍起になる心と、また受からないのではないかというおどろおどろしい不安感がせめぎ合う。


「はやく、画家にならないと……? なんだ?」


 道路から横にある海岸側を通ると、夜空の黒を取り込んだ髪をした少女が浅瀬の海に足を浸らせながら立っている。


「何してるんだ!!」


 入水でもする気だと焦り、階段を降りて彼女の元へ行く。

 白いワンピースが夜空の青に溶けながら彼女はこっちの方に視線を向ける。暗くてもわかる琥珀の瞳が、俺の心を捕らえて束縛した。


「どうしたの? お兄さん」

「自殺しようとするな!!」


 くすりと、彼女は口角を上げて笑う。

 作り物の笑顔と評しても違和感はない人形のような微笑だった。


「死のうとしてるって思ったの?」

「だったらなんだ!?」


 からかってるのか、コイツ。


「優しいんだね、お兄さんの名前なんて言うの?」

「なんで答えなきゃいけない」

「このまま入水したら、罪悪感で潰れるのはそっちでしょ」


 少女は蠱惑的な微笑を浮かべる。

 悪魔の言葉とはこのことか。苛立ちを覚えながらも、渋々口にする。


「……色波透」

「水面みたいな名前だね。私、来海瑠奈くるみるな。ただ遊んでただけだよ?」

「はぁ……なら帰る」


 透は呆れ、踵を返そうとすると彼女が声をかけてくる。


「また、ここに来てくれる?」

「なんでだ」

「お兄さん、優しそうだから」

「……勝手にしろ」


 瑠奈は両手を後ろに組みながら、喜色を頬に浮かべる。

 ……厄介な縁を結んでしまったものだ、と呆れながら透は家に帰った。

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