大変だった事も言葉にして昇華させられそうな感じの楽しくてスッキリするような作品が沢山です! どこにでも見受けられそうな日常のコマを一つ一つを切り抜いて、こんなにも楽しい作品が出来上がる事に感心してます!
作者さまは、日々をいきながら、自分のなかのひえびえした部分に背をあわせながら、ことばのちからで世界のやさしさを探しているように感じました。そのやさしさが、作者さまに届いたのかどうかは、わかりません。それでも、わたしには、ほしぼしの幾千億のきらめきが、路傍の葉のうえのちいさないのちが、やわらかな雨粒が、食卓のうえのあたたかい湯気が、まぎれもない世界のやさしさの中央に、作者さまがおられることを示していると、感じられるのです。ですから、わたしは、おしらせしたい。指は、とどきましたよ、と。求めてやまない、終局点に。
こころにすとんと入り込む俳句で、一気に読んでしまいました。映像が浮かんだり、或いは気持ちがじんわりと沁みたり。軽やかでリズミカルな俳句で、気持ちよく読んでいけました。コメントしたくなる句ばかりです!
作品拝見いたしました。無精ひげとトマトの俳句がおもしろいと思いました。トマトのうぶ毛?がじゃまっていうようにも、女性が男性にじゃまよ!って言ってるみたいにも思えて。
とても自由で作者様が思ったままのことがあって日常を感じられました。不思議と俳句は楽しいものだと感じられましたし、多くの人が書いてみたいと思ったんじゃないでしょうか。まだ読んでない方は一度見てみることをおすすめします。
本作の俳句はユーモアが溢れています。読み進める度に笑みがこぼれます。でもね。生きていて楽なことばかりのはずがありません。各句にも、苦々しい想いが顔を出しているところがあります。だからと言って、生を諦められませんし、まして死ぬ訳にいきません。生きるのです。生きるために、苦々しいものをユーモアに包むのです。生きるために書く。その手本です。
紫蘇と言う 単語を視ては 国柄か紫蘇言えば 飲料水で 飲み干して返句にもなっていませんが、先生の紫蘇の俳句を視て返しました。
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