第5話 列車の中で

 ラダベルは、死んだ表情を浮かべていた。トパーズ色の瞳に生気はなく、纏うオーラに覇気はきは皆無。ぽっかりと口を開け、令嬢らしからぬだらしのない形相ぎょうそうをしていた。この顔をティオーレ公爵に目撃されたのであれば、面倒な言及げんきゅうは避けられないだろう。それほどまでに、阿呆面あほうづらであった。

 ラダベルは逃亡作戦を成功させたのはいいものの、なけなしの硬貨を使い果たしてしまい、八方塞はっぽうふさがりとなっていた――。もしそんな状況であったのなら、彼女は間違いなく天に昇る気持ちでお金を稼ぐための方法を見出していることだろう。ラダベルは現在進行形で、高速で移動したいという人々の夢を叶えた最新式の移動手段、“列車”に閉じ込められていた。


「ぁ、あ……あ……」


 開いた口から漏れ出すのは、死を目前とした人間の声だ。ラダベルは史上最高に、絶望をしていた。

 昨晩、逃亡を試みたラダベルは、三日月の光に先導されるがまま走り出したと同時に、呆気あっけなくラディオルに捕獲されてしまった。どうやらラディオルには人の心がないらしく、ラダベルを簡単にティオーレ公爵に差し出した。血を分けた双子の妹など、彼にとっては関係ない事項らしい。18年間悪女として生き、家族であるティオーレ公爵とラディオルの頭を悩ませてきた罪は、相当重いようだ。ラダベルは、ラディオルの裏切りにより、一晩を寒い地下牢で過ごすこととなった。人の心がないのは、ティオーレ公爵も同じ。実の娘を地下牢に閉じ込めるとは、倫理観りんりかんが大きく欠けている。彼は道徳の学習からやり直したほうが賢明けんめいだと、ラダベルは地下牢にて場違いに思案しあんしたのであった。そして今朝方、東の空から太陽が昇る前に、大量の嫁入りの荷物と共に公爵邸の外に放り出された。馬車で皇都中心部の駅まで移動し、予約必須の富裕層専用の列車に乗り込むと、そのまま東に向けて走りっぱなしである。既に、時刻は夜に近い。ありがたいことに、列車の中には豪華な寝台も備えつけられている。

 我が国レイティーン帝国が誇る鉄道技術は急速に発展を遂げ、今では皇都を越えた先まで繋がっているという。そんな技術を駆使して作られた鉄道の速さでさえ、未だ到着しない。つまりラダベルの嫁ぎ先は、列車で皇都中心部から一晩、もしくはそれ以上の時間がかかるということ。昨晩のラディオルとの会話の中で、「辺境」という言葉が出てきた。レイティーン帝国本来の国境近くまで向かうということだろうか。さすがに隣国などを含めた傘下国までは行かないと思うが……。


(行かないわよね?)


 ラダベルは急激に心配になる。一体この列車の中で何日間寝泊まりすることになるのだろうか。考えるだけで、身の毛もよだつ思いだ。

 ラダベルは大きく溜息をついて、窓の分厚いガラスに頭を預けた。一枚のガラスを挟んだ向こう側、皇都の中心部から遠く離れたこの場所は、一面に広がる草原が美しい。西に沈みゆく太陽を眺めていると、ラダベルの胸はぎゅっと何かに締めつけられる。黄玉の眼が潤み、死に際の輝きを放つ太陽の光に反射して、瞬く。一滴の涙がこぼれた。

 一体、どうしたらいいのだろうか。このまま嫁ぐしか道はないのだろうか。もう逃げられないことは、理解している。


「せっかく死ぬ運命から逃れられたと思ったのに、結局嫁がなきゃいけないのね……」


 ラダベルは頬をくすぐる涙を乱暴に拭った。新たに嫁いだ先でも、死ぬ運命であったらもうどうしようもできない。彼女は、背筋をおそう寒気に耐える。今はまだ見ぬ夫となる男性に祈りをささげる。別に愛してくれなくていい。だが、命をおびやかすことだけはやめてほしいと。

 右も左も分からない土地に行って、名も顔も身分も何もかも不明な男性のもとに嫁がなくてはならないのだ。恐怖でどうにかなってしまいそう。

 義母がいたとして、義母にいじめられたらどうしよう。子供を産むことを無理に強要されたらどうしよう。使用人にないがしろにされたら、土地に馴染なじめなかったら、一生孤独だったら――。様々な不安事に頭を悩ませる。

 “万が一”、が起こったのであれば、早々に離婚してティオーレ公爵家に帰るのもひとつの手だろう。ところが、離婚して実家に帰ってしまえば、また別の嫁ぎ先へ行くよう強要されるに違いない。バツイチとなった随一ずいいちの悪女ラダベルを受け入れてくれる貴族など、物好きな男性に決まっている。それに、離婚すること自体をあのティオーレ公爵が許すかも謎だ。

 ラダベルは前途多難ぜんとたなんだと天井を仰ぐ。せめて、殺されませんように。

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