第6話 旗を立てる

 列車に乗り続け、途中駅で休憩を挟みながら移動すること、約二週間。ようやくラダベルは、終点の駅に到着した。嫁ぎ先に向かうまでの間、手伝いをしてくれる侍女や身の安全を守ってくれる護衛ごえいたちと共に、荷物を持って下車する。煙の臭いの中、森林の匂いも香る。駅から辺りを見渡すと、周囲は山々に囲まれており、自然しか存在しない長閑のどかな風景であった。どこをどう見ようとも、皇都ではない。皇都の東の境界を越えたさらに先、極東に近いだろう。

 ラダベルたちが駅を出ると、駅前に停車していた数台の馬車と軍人たちが目に留まる。漆黒の生地に、薄紫の繊細な柄が施された美しい軍服。アデルが纏っているレイティーン帝国軍本部の軍服とはまたひと味違う。ひとりの青年が馬から降り、ラダベルに歩み寄る。


「お待ちしておりました、ラダベル・ラグナ・デ・ティオーレ公爵令嬢」


 そう言って敬礼をした青年に合わせ、ほかの軍人たちも同様に敬礼をした。青年は、ティーローズ色の柔そうな髪に、ライトブルーの双眸を持つ美しい顔立ちをしている。無表情だが、いい意味で人間らしくない、人形じみた雰囲気を漂わせていた。


「あなたは……」

「レイティーン帝国軍極東部所属、階級は中佐、ウィル・アーヴィンと申します。俺のことはウィルとお呼びください。敬語も不要です」


 ウィル・アーヴィン。レイティーン帝国軍極東部に所属する、中佐という高い階級をたまわった軍人。アーヴィンという苗字は聞いたことがないため、恐らく下級貴族の末端か平民の出身だろう。社交界での地位が限りなく低くとも、そしてたとえ社交界に足を踏み入れる資格がない平民であったとしても、レイティーン帝国の守り人である軍人として、出世をしているのだから大したものだ。そう、異世界に転生して右も左も分からぬ状態のまま翻弄される自分よりも……。一気に自信を失ったラダベルは、魂の抜けた亡骸なきがらのような顔で無理に微笑んだ。


「……ラダベル・ラグナ・デ・ティオーレよ。ウィル、よろしくね」

「よろしくお願いいたします。上官の命令を全うし、必ずやティオーレ公爵令嬢のお命をお守りいたします」


 ラダベルは、ウィルが放った「上官」という言葉に違和感を覚えた。ウィルは、レイティーン帝国軍極東部所属の軍人。上官というのは、彼よりも上の存在のことだ。そんな人間から重要な命令を受け、ウィルはラダベルを迎えに来た。つまり、彼の上官が仕える貴族に、ラダベルは嫁ぐのだろうか。いや、それも随分とおかしな話だ。レイティーン帝国軍という精鋭たちの集まりの中でも最も過酷であり、最強だとうたわれる極東部。そんな支部に所属している軍人が、戦争とはなんの関係もない一般的な貴族に仕えているわけがない。そこまで考えを巡らせたところで、ラダベルは目を見開く。ティオーレ公爵は、ラダベルの嫁ぎ先が一般的な貴族だとは一言も言っていない。これが何を意味するのか分からぬほど、ラダベルは世間知らずではなかった。結論、ウィルに命令を下した上官の軍人に、嫁ぐ。最終的な結論に辿り着いたラダベルは、立ちくらみに襲われ、倒れそうになってしまう。出会って早々恥をさらしてしまう、と思った瞬刻のこと、ウィルに腕を引かれ腰を支えられた。眼前に広がる、美青年の顔面の威力いりょくに、ラダベルは息を呑む。


「大丈夫ですか? ティオーレ公爵令嬢」

「え、えぇ……。ごめんなさい。少し気が動転どうてんしてしまって……」

「そうですか。極東部の軍施設並びに城には、この駅から馬車と宿を介して数日ほどで到着いたします。さらに長旅となってしまいますが、どうかご勘弁を」


 ウィルはラダベルから紳士に離れ、そう言った。ラダベルの頭どころか、耳にももはや話は入ってこない。本気で彼が何を言っているか、分からないからだ。彼の言う極東部の軍施設と城とは、どういうことだろうか。


(極東部には、戦争にて無敗を誇るあの“剣王けんおう”の異名を持つ軍人がいると聞いたことがあるけど、まさかね……)


 未来という立派な丘の上、自身の美顔が描かれた壮大な旗を自らの手で立ててしまったラダベルは、その愚行に気づかぬまま、乾ききった笑みを浮かべ続けていたのであった。

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