第7話 偶然という名の必然

 東の終点の駅を出発してから数日。夕刻頃、最後の宿泊をする予定の宿に到着をした。ここ数日間で、最も高級な宿だ。高級と言っても、皇都中心部の宿と比べるとそこまできらびやかではないが。

 ラダベルはウィルのエスコートを受けて、馬車から降りる。り固まった体をグッと伸ばすと、関節からバキッという音が響いた。ふう、と大きく息を吐き、自然の空気を吸い込む。その瞬刻のこと。


「ありがとうございました!」


 宿の店主と思わしき人物の大声と共に、宿の正面の扉から出てくるとある男が目に入る。皇都中心部の城下街より閑静かんせいな町には、随分とふさわしくない。多くの部下の軍人を連れた男は、さらりとした金糸をなびかせ、絶世の美男子の美貌をしげもなく晒していた。その美男子こそ、ラダベルがティオーレ公爵と同じくらい、二度と会いたくないと思っていた第二皇子アデルであった。漆黒の長いマントがひるがえる。着痩せするタイプなのか、強靭きょうじんな肉体美ではないが、軍服の下には線の細い美しい体が隠れているのだろう。圧倒的美を誇るアデルに見惚れていると、彼の部下であるひとりの軍人がラダベルを指さし咆哮ほうこうする。


「げ、元帥っ……!!! ティオーレ公爵令嬢がっ、ふぐっ!」


 叫んだ軍人は、ほかの軍人に口を塞がれてしまう。最後まで言葉を紡ぐことは叶わなかったものの、「ティオーレ公爵令嬢」という単語だけで、アデルは反応を示した。そして、ラダベルの姿を発見する。ほかの軍人たちは、ひとりの軍人の失態しったいを酷く恨んだ。アデルとラダベルは暫しの間、見つめ合う。ラダベルは、なぜこんな田舎町にアデルがいるのか? と考えを巡らせた。元帥の階級を持ち、さらには軍のトップをも務めるアデルが忙しく各地を飛び回るのも不思議ではないが、これが偶然だと言うのなら、あまりにも神は残酷だ――。ラダベルは俯き、顔を隠す。


「元帥」


 ウィルがアデルに対して、完璧な敬礼をする。レイティーン帝国軍トップであるアデルは、ウィルの上官でもある。


「……“剣王”の犬か」


 ウォーターブルーの瞳子が細められる。美人が睨みを効かせると恐ろしいという話は、本当であったみたいだ。

 アデルは小さく舌打ちをかましたあと、ウィルからラダベルへと視線を移す。何度か咳払いをして、喉の調子を確認する。


「ぐ、……偶然だな、ラダベル」


 アデルは、せっかく喉の調子を整えたのにもかかわらず、吃ってしまった。この上ない羞恥を感じた彼は、あからさまに目を泳がせる。一方、ラダベルの顔は、見事なまでに死んでしまっていた。トパーズ色の瞳に光は見当たらない。唇も真一文字まいちもんじに結ばれていたが、フッと力が緩められる。


「この間ぶりですね、第二皇子殿下。ところで、なぜここに?」

「あ?……」


 ラダベルの問いかけに、アデルが間抜けな声を漏らす。ほんのりと赤くなっていた美顔は、見る見るうちに戸惑った表情へと変わっていく。


「殿下は、東部の帝国民の治安を案じて、様々な場所を訪問されているので、」

「そうだ、仕事だ」


 先程、失態を犯した軍人の口を塞いだ部下が説明をしている途中、アデルが食い気味に被せる。説明を邪魔された軍人は、半開きの目でアデルを凝視した。


「そうなんですね。ご苦労様です。では私はこれで失礼いたします。ウィル、行きましょう」

「はい」


 ラダベルはウィルを連れ、アデルの隣を通り過ぎる。しかしアデルがそれを見逃すはずもなく――。


「待て」


 心地のよい声が反響する。ラダベルは大人しく足を止めた。血が出てしまわない程度に、唇に歯を立てて、鬼もびっくりの怒りの形相を浮かべた。ふつふつとたぎ憤懣ふんまんを抑え込み、嫣然えんぜんと笑いながら振り返った。


「まだ何か?」

「お前は……これからどこに?」

「……この宿に宿泊をさせていただく予定ですが」

「そ、そうではない!」


 ラダベルの返答が思ったものではなかったため、僅かに声を荒らげるアデル。照れたり怒ったり、感情が多忙な人だ。


「目的地はどこだ、と聞いている」


 あぁ、そっちか。ラダベルは納得した。

 レイティーン帝国屈指くっしの悪女であるラダベルがアデルと婚約破棄をしたという話は、既に広まっている。だがしかし、彼女が新たに結婚するという話は、まだ知られてはいない。いずれはその話が広まることは分かっているが、ここでアデルに結婚の話をしてしまえば、さらなる面倒な事態を招きかねない。冷静に分析を終わらせたラダベルは、踵を返す。


「第二皇子殿下には、関係のない話です。もう行ってもよろしいでしょうか? 長旅で疲れているのです」

「僕を無視するのか!? お、おいっ! ラダベル!」


 背後から呼び止める声が聞こえるが、ラダベルは悪女らしく無視を決め込んで、宿内に入ったのだった。

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