第8話 嫁ぎ先

 宿で一晩を過ごしたラダベルは、美味な朝食を優雅ゆうがに食べたあと、馬車に乗り込んだ。さらに、極東部に向けて出発した。時折ときおり、窓から外を覗くと、喧騒けんそうのない、長閑のどかで美しい田舎の景色に惚れ惚れとしてしまう。途中、何度かの休憩を挟みながらようやく目的地に近づいてきた頃には、夕日が見える時間帯となっていた。ラダベルは小窓を開ける。一面、茫々とした草原。太陽が燃え盛る炎を散らしながら、沈みゆく。圧巻の光景に唖然としていると、左手奥に、見たこともない巨大な建物が見えてくる。その建物を視界の中心に捉えた瞬間、ラダベルは察した。あれが、レイティーン帝国軍極東部の軍施設であると。


「私のまだ見ぬ旦那様はあの場所にいるのね……。一体どんな人なの?」


 返答がないことを分かりつつも、独り言を呟く。すると馬車の後ろから突然ニョキッと顔を出す人物が目に入る。ウィルだ。ラダベルは、酷く驚く。ウィルは馬で器用に駆けながら、彼女に話しかけた。


「令嬢の配偶者となられるお方は、不器用で厳しい方です。ですが、本当は慈悲深く、とてもお優しい方でもあります」

「……そ、そうなの。教えてくれてありがとう」


 ラダベルは苦笑しながら、礼を言った。

 ウィルの言う人物像が確かならば、ラダベルの夫となる男性は、随分と気難しそうだ。ひと癖、ふた癖あり、心の底に存在する本心を理解するまで、そして打ち解けることができるまでに、かなりの時間を要するかもしれない。


「気難しいところもありますが、どうかのことをよろしくお願いいたします」

「任せなさい。私の広〜い心で受け止めて差し上げます」


 胸を張り、微笑むラダベル。ウィルも鉄仮面てっかめんを崩壊させ、柔らかく破顔した。ラダベルは、軍施設に視線を戻す。よく見ると、隣に巨城もある。暫しその荘厳そうごんさに見惚れていたその数十秒後、先程ウィルが紡いだ言葉の中に、隠されていた爆弾を発見する。


「ん? 大将?」


 ラダベルは小さな頭を傾ける。

 大将、とは、誰のことだろうか。ラダベルたちが今向かっている目的地は、極東部の軍施設。もしかすると、階級のことか。大将とは、軍において実質上の二番目。つまり、最高階級である元帥のひとつ下の位だ。ラダベルは、大将という高い地位を持つ男性に嫁ぐのだろうか。段々、白日はくじつの下に晒されていく真相に、ラダベルは全身から力が抜ける感覚を覚える。断頭台が待ち構える死刑場へ向かう気分となり、転生をしたと自覚した瞬間と同等の絶望感を抱いたのであった。



 魂の抜けたしかばねのようなラダベルを乗せた馬車は、停車する。黒塗りの鉄の門が開門し、再び馬車は走り始める。いよいよ、極東部の軍施設へ入ったのだ。きもつぶすラダベルは、激しく高鳴る心臓を落ち着かせるべく、何度か深呼吸を繰り返す。

 馬車が止まり、心の準備をする暇もなく、扉が開かれる。ラダベルは腹を決め、震える足腰を機能させて、馬車から降りた。ヒュッ、と喉が鳴る。見開かれた黄玉おうぎょくの瞳は、夕日にきらめき瞬いた。彼女の眼前には、ラダベルに向かって敬礼をする大量の軍人たちの姿があったのだ。完璧な列を成す軍人たちは皆、彼女に軍人としての最大の敬意を払っていた。予想だにしなかった歓迎ぶりに、ラダベルは雷に打たれたかのような衝撃を受ける。確かに彼女は、有名な公爵家の令嬢だが、ここまで優遇ゆうぐうされる義理ぎりはない。ラダベルは戸惑いながら、異様な光景を眺め続ける。そんな彼女を現実へと引き戻したのは、ウィルの一声であった。


「ティオーレ公爵令嬢。こちらへ」


 ラダベルは我に返り、控えめに頷く。先導するウィルの後ろに張りつき、恐ろしい情景に背を向ける。一刻も早く、この場所を離れたかった。

 ラダベルはウィルに案内されるがまま、極東部の軍施設に併設している巨城に向かい、廊下を歩く。城まで来たなら大丈夫だろう、と彼女は緊張を解き、ウィルに疑問を投げる。


「ウィル。なぜ軍人の方々は、私に敬礼をしていたのですか?」

「ティオーレ公爵令嬢は、大将の奥方様となられるお方です。令嬢に敬意を払わずして、極東部の軍人を名乗ることはできません」


 敬礼の説明を受けるも、いまいち理解の及ばないラダベルは、頭をさらに混乱させてしまった。ラダベルが悪女であるという噂は、ティオーレ帝国の貴族や軍人ならば誰もが知っている話だ。そんな自身を歓迎するなど……。都合の良い夢ではないか? と疑い、頬を抓ったり額を叩いたりしてみるも、しっかりと痛みが走る。どうやら現実みたいだ。楽園にいる世界線と奈落の底にいる世界線を行き来しながら、素直に喜んでいいのか、何か裏があると猜疑心さいぎしんを持ったほうがいいのか、葛藤かっとうしたのであった。

 ウィルに案内された場所は、巨大な間だ。見張りをしていた軍人たちはウィルとラダベルに敬礼をして、扉を開ける。ラダベルの身長の数倍はある重厚な扉が開かれ、ラダベルは促されるがまま、間の中へ足を踏み入れる。天井は吹き抜けの仕様になっており、天窓から夕日の光が射し込む。紅と黄が混色した光の下にいたのは――。

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