第4話 未来へ

 衝撃的な事実を聞かされたラダベルは、ベッドの中で絶念を抱き、我を失ってしまっていた。

 なんと明日には、嫁入りするために公爵邸を出発することとなった。ラダベルがアデルと婚約破棄をした直後に、その情報を仕入れ、既にほかの嫁ぎ先を手配していたのだろう。18年間過ごしたティオーレ公爵邸から、ラダベルは呆気なく追い出されるのだ。血の繋がらない義理の娘ならまだしも、実の娘によくもまぁ非道な真似ができるものだ。ティオーレ公爵は、人の心を持たぬ悪人なのかもしれない。

 

「うちの毒親、用意周到よういしゅうとうすぎる」


 ラダベルはティオーレ公爵への不満を漏らし、途方とほうに暮れた。

 ラダベルは完全に、判断を誤ってしまった。転生したのはつい最近、自身の死を回避することに精一杯だったのだ。そのあとの未来など、気にする余裕もなかった。婚約破棄したその日のうちに、ティオーレ公爵邸から荷物と共に雲隠くもがくれしてしまえばよかった。ティオーレ公爵の監視の目が行き届かない、遠い遠い地に旅立つべきであった。ろくに働かない自身の頭脳と直感を、ラダベルは恨む。


「待って……? 今からでも遅くないんじゃないの?」


 ラダベルはブランケットを盛大に退かして起き上がり、ベッドのカーテンを開けた。寝間着のままだが、着替えている時間はない。椅子にかけてあった羽織を纏い、机の引き出しを漁る。なけなしの硬貨が入った箱を握りしめたあと、固く閉ざされた窓を開け放った。忍び足でバルコニーに出て、手すりを強く掴み、下を確認する。二階の高さだ。恐怖で足が竦むが、尻込しりごみをしている猶予ゆうよは残されていない。今すぐ逃げなければ、名も顔も身分も知らぬ男のもとへと嫁がされるのだから。ラダベルは腹をくくって、バルコニーの手すりに足をかける。寝間着の裾から生白い足が見え、太腿ふともも辺りまでまくれた。下着が見えそうになっていることも気に留めず、身を乗り出す。そして、夜空へ舞うが如く飛び下りた。滞空時間は、数字で表せば一瞬。だが、実際は酷く長いように感じた。つまずき、よろけながらも、なんとか着地に成功する。僅かに足首に鈍い痛みが走るが、無理に立ち上がる。


「よし、痛がってる暇なんてないわ。早く逃げないと、」

「へぇ、どこに?」

「それはもちろん、お父様の目が届かない遠く……に……? 誰!?」


 ラダベルは突然聞こえた声に、過剰かじょうに反応を示した。いや、過剰ではない。夜、それも三日月の輝きと極小の星々の瞬きしか光がない暗闇において、自分以外の声が聞こえたのだ。十分に怪奇現象かいきげんしょうだろう。今の声の持ち主が人間ではなかったのなら、大問題だ。ティオーレ公爵邸には、幽霊ゆうれいがいると――。ラダベルが恐怖から小刻みに震えていると、ザッ、ザッ、と草を踏む音が聞こえる。暗闇の中にぽっかりと浮かぶ手燭しゅしょくの灯り。ラダベルは身構え、息を呑む。庭園が広がる方向から姿を現したのは、ひとりの人間であった。幽霊ではないとホッと安堵の息をつくのもつかの間、ラダベルは登場した人物の厄介やっかいさに頭を抱える。

 ふわりと春先の夜風に揺れるのはレッドスピネル色の髪。蝋燭ろうそくの光に照らされたサンオレンジ色の双眸。右目元には、ほくろがある。端整な顔立ちをした青年の名は、ラディオル・ラグレ・デ・ティオーレ。ティオーレ公爵令息にして、ラダベルの双子の兄である。天敵の登場にラダベルは、死を覚悟した。


「なんだか最近お前の様子がおかしいとは思っていたけど……本当にイかれた? いい歳して恥ずかしいことやってるってようやく気がついたわけ?」


 自身の片割れにかける言葉にしては、だいぶ辛辣しんらつだ。だが今は、そんなことどうでもいい。この場を乗り越えずして、ラダベルの未来はないのだから。ラディオルにどう説明をするか熟考じゅっこうを重ねたあと、ラダベルはようやく口を開く。


「ラディオル……。お願い、見逃してほしいの」


 同情を誘う表情と弱々しい声色。普段のラダベルからは、少しも予想できない弱った姿に、ラディオルは違和感を抱く。だからと言って、見逃してやるほど彼は甘くない。何せ、あの男、ティオーレ公爵の生き写しなのだ。ラディオルは長嘆息ちょうたんそくを吐く。


「どれだけ父上や俺の顔に泥を塗ったら、気が済むんだ? ティオーレ公爵家の評判はお前のせいで史上最悪なんだ。これ以上暴れるてくれるな。お前は素直に、父上の言うことを聞いて、辺境に嫁げばいい」


 ラディオルの辞書に、ラダベルにかける慈悲など記されてはいなかった。ラダベルが18年間で行ってきた数々の愚行ぐこうは、これからどれほどの善行を積み重ねようとも庇うことができないかもしれない。彼女の体に、人生に転生を果たしたからには、彼女の愚行も背負って生きていかなければならない。自分は関係ない、では済まされないのだ。だが、ラダベルは幸せに暮らす人生を諦めていない。過去の自身の罪を背負う上で、新たな一歩を踏み出すのだ。


「そう言うと思っていた。だから、実力行使じつりょくこうしよっ!」


 ラダベルは踵を返して走り出す。向かう先、三日月がとてつもなく美しい。薄明るい月光に導かれるがまま、ラダベルは自由を謳歌おうかする。素晴らしい未来が待っていることに胸を膨らませて――。

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