最初のピース②
いつもはガチガチに結い上げている髪を下ろし、分厚いガウンを羽織って父上へ酌をする正妻。
父上は酒に多少顔を赤らめながらも嬉しそうに受け取り、杯を煽る。
あまり見た覚えの無かった二人の姿を前に、僕は対面の椅子へ腰掛けていた。
「それでだな、今回の件を見て思った訳だ」
一体アレの何を見て思ったのか、僕の頭は既に真っ白だった。
姉上とベリアルド王子の婚約、それは僕らを滅ぼす最大の要因だ。
姉上の情操教育だとか、そんな問題じゃない。
だって父上だって見ただろう?
彼女は王子の顔面に容赦なく拳をぶち込んでいた。かつては愛情を求めてしつこく付き纏っていたが、今回のアレは更に拙い。
王子だって明らかに敵意を向けていたし、ある意味で婚約する筈もないと安心していたのに、いったいどうしてそんなことを言い出すのか。
「ユレインにはまだ難しいかもしれんがな」
「いえ……出来れば父上のお心の内を少しでも知りたいと思います」
「ふふ、そうかぁ」
勿体ぶらないで早く、なんて思っていたら、酌を求めた父上の手を正妻が机へ戻させた。
にっこり微笑んで見せる彼女の、実に恐ろしい事よ。
やや苦笑いを残しつつ父上も諦め、杯を置いた。
「王子にした話は覚えているか?」
「はい。僕ら貴族は、常に時勢を見定めて、それに適した振舞いをしていかなければいけない、という話であったと考えています」
僕の応答に父上は眉をあげ、正妻と見合った。
なんだろう、思いつつも今は父上の内心が知りたい。
なぜそれが姉上の婚約に絡んでいるのか。
「そうか。分かるか。なら、もう少し詳しく行こう」
声の響きが変わった。
「今、世間で起きていること。蒸気機関などの発明が広まり、用途が次々生み出され、物流が劇的に変化している。こんなにも大きな変化は、おそらく遥か古代まで遡ったとて同じものが見当たらないだろう。精々、伝説として語られる精霊との契約くらいなものか」
産業革命、というのはもう少し後で語られる様になった言葉だったか。
細かい時期は覚えていないが、口に出さなくて正解だった。
「ユレイン。これから先この王国が、いや、世界がどこまで変化するのか、儂には想像がつかんのだ。五年、十年、二十年、まあそこらまでなら儂らも口出し出来るがな、その先となるともうお前達の時代だ。何より、昔を引き摺る儂らの言葉など、どれだけアテになるかも分からない」
思わず父上を見ていた。
いつもと変わらない、豪放で力強い、偉大な父。
だけど今は、どこか小さな灯火にも思えてしまった。
「ベリアルド王子に毒を盛ったのは儂だ」
「…………は?」
「正確には儂ではないがな。近くそうなる事を見越した上で、敢えて王都から距離を取り、誘発させた。内緒じゃぞ?」
いや……内緒というか、一体何を言い出してるんだ父上は!?
王子を毒殺!?
あんなこと前は無かったんだぞ!
あぁ違う、あくまで誘発させたんであって、実際にやった奴は別に居るって話だよな……?
「生き残らせるだけの用意を整えてあったからな。死ぬことは無い。だが、それを以って儂は王子の器量や、その周辺での動きを探ろうと思った」
「な、なんで……」
「ユレイン。お前が思っていた以上に有能で、自らの思想を以って行動出来る人間だったからだ」
駄目だ、理解が追い付いて行かない。
字面だけなら呑み込んでいけるけど……なんだって? 僕が有能? だったから王子の毒殺を見過ごした? なんでそんな話になるんだ?
「お前はプラチナという金属が、昔はごみとして廃棄されていたのを知っているか?」
話が転がり過ぎて分からない。
何が言いたいんだ?
「今は価値が低いとされているモノも、未来ではどうなるか分からない。各所で奴隷同様に扱われる
何もかもを見抜かれている。
もう次の瞬間、お前は未来から舞い戻って来たんだろう? なんて言われてもおかしくはなかった。
だけど、そんな冗談みたいな話より、ずっと父上は現実を見据えている。
「良い。一時の気紛れ、咄嗟の行動、続けるつもりがあろうと無かろうと、あくまでそれは例えの話だ。何が起こるか分からない激動の時代を乗り切っていくには、並程度の優秀さでは話にならない。故に儂らは、王国にその芽が無いかと血眼になって探しているだけだからな」
だから王子に毒を盛られても、僕みたいなのが国政に反した行動を取ろうと、ある程度のことと容認して見守ろうとしている……?
それほどまでに、父上は三大革命による世界の変化を怖れていると?
いいや、もしかするとコレは陛下すら巻き込んだ話なんじゃないのか?
だって今回の話、そもそも我が家に王子を預けたことさえも。
「っ……!?」
いやな。
想像をした。
「言ってみるといい」
「アナタ、ユレインはまだ幼いのよ」
「黙っておれ。常識を足場にして国の未来なぞ語れるか」
父上の僕を見る目は、既に親としてのものではなかった。
クゥデルローズ家を背負い、またウエスティア王国を背負った、一人の重臣としての目だ。
それはきっと、以前の僕が終ぞ向けられることの無かった、期待だった。
だけど無理だ。
僕は僕の無能を知っている。
こんなの、未来を経験してきたから、歳不相応さが生む誤解でしかない。
「言え、ユレイン。沈黙が許されるのは、他者に責任を押し付けられる者だけだ。指導者にそれは許されん。例え暗中であろうと、寸暇の先に崖から落ちてしまうとしても、指し示すことを止めてはいけない」
だけど、一つだけ。
一つだけ聞いてみたいことがあった。
聞かなければいけないこと、だ。
「父上」
「うむ」
「…………………………………………僕が崖から落とされることを、貴方は分かっていましたね」
「そうだ」
手が震えた。
足場が揺らぐ。
自分の居場所だと思っていた所が、まるで違ったのだと気付いた様な。
なんとなく、本当になんとなくだけど、ずっと疑問だったんだ。
僕が落ちるのを見ていた父上が、慌ててはいても恐怖を感じてはいなかった。
肉親を失うとなれば、僕は慌てふためいて恐怖する。なのに、父上には無かった。
きっと、エミリーが動かなくともどうにかする用意は整えていたんだろう。だけど彼女が動いたから、父上はそれらを止めて、様子を伺った。
クリオス卿の暗殺計画だって知っていたかも。
その上で放置して、我が子の能力と、周囲の反応を見定めようとした。
新式については見られただろうか。
いや、流石に大丈夫だ。
僕は徹底して蜘蛛の巣を張り巡らせて、彼以外の後詰めが居ないことを確認していた。それに、あそこまでの事が出来る僕に、今も言及してこないのはおかしいじゃないか。
現場の破壊も、クリオス卿がやったという報告が受け入れられている。
彼の処理については、まあ今はいい。
泳がされている、そんな予測を頭の隅に留めて、やるせなさに顔が歪んだ。
あぁでも、
それでも、
父上の目にあるのは期待だ。
かつては無かった、僕に託そうとする意志がある。
そして思い知った。
業腹だが、認めたくないが、これこそが、あのベリアルド王子を常に苛み続けていたものなんだ。
こんな嵐の様な恐ろしくも過酷な世界で、アイツは。
「……わかりました」
僕がそう告げると、父上は揺るがぬ瞳でこちらを観察し、そっと閉じる。
彼の中でどんな思考が巡っているかは分からなかったが、次に目を開けた時には、いつもの父上が戻ってきていた。
「それで、どうして姉上が王子と婚約なんて話になったんですか」
「うん? なんだ、そこは分からんか」
くそっ。
「王子への手綱、でしょうか。あの姉上であれば王子を御せると」
「はは、分かっているじゃないか。王子はどうにも気が小さい上に苛烈な所がある。まだ幼いとはいえ短慮に過ぎる面もある。それを、周りに誰も彼を御せる者が居ないのなら、アリーシャに任せるというのも手じゃないかとな」
それを聞いて、僕は父上が誤解していることに気付いた。
王子の気が小さい?
確かに周囲を警戒し過ぎている所はあるだろう。
だけど、アイツは身を縮めながらも常に周囲を睨み付け、観察している。余計なことをするまでもなく、アレは王者の器だ。
父上からすると側周りが情けない、で終わるのかもしれないが、あの年齢で大人も含めた周囲の者全てを恐怖で縛り付けていること事態がもうおかしい。
だから困った。
父上は乗り気だ。
姉上がどう思うかは分からないが、前でのあの執着っぷりを知っていると、何かの拍子に好意を持つことだってあるんじゃないかと思えてしまう。
あの姉上が、あの王子へ。
そこまで考えて、妙な気持ち悪さを覚えた。
こう、胸の表層、その裏側がチリチリと焦げ付く様な、苛立ちにも似た感覚。
いやいい。
今は婚約についてだ。
付き纏うにせよ、殴り付けるにせよ、王子の反感を買ってしまうことに変わりはない。
父上が王子に持つ評価を変えさせることは可能だろうか。
どちらにせよ、主軸が僕から王子へ移るだけか。
そうなると余計に姉上との婚約が意味あるものになってしまう。
僕はちらりと父上を見た。
見られている。
今も、僕の様子からその評価をどうするべきかと思考し続けている。けれど同時に、父親としての顔を見せている。
なら、まだ本気の発言ではないということだ。
「父上……」
翻せる。
同時に、ここで放置すれば婚約話が動き出してしまう。
二人の評価を変化させる方法が無意味なら、別の選択肢を用意するしかない。
あぁでも、王子に手綱を付けることに匹敵する、意味ある婚姻なんて…………。
「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………えっと」
ある。
あるが、言いたくない。
何故ってそれは、物凄くアレだからだ。
今父上も、正妻も、一人の親として僕を見ている。
だから余計に駄目なんだ。
さっきの、国政を見定める状態であったなら、まず僕の発言がどういう意味を持つかとか、そういうことを考えてくれる。だけど今、この状態じゃあまるで僕が。
「言ってみなさい。何、ここでの話は酒のツマミみたいなものだ。外には出さないと約束するよ」
余計に言いたくなくなったが、父上の誘いに正妻も乗った。
さっきは断った酌を、今は進んでしている。
いいですよ、と勧められているんだろう。
「その……決して勘違い為さらないで欲しいのですが。あくまでこの話は、手綱を付ける先を変更するという観点であって、僕の個人的な意思とは異なるということをまず理解して欲しいのです」
「ほう。趣味嗜好ではない、と」
「その通りです。例えばの話として……父上が僕を評価して下さっていること、一方で、その……」
言葉にできず、正妻を見た。
事情によって不妊となった正妻、長男を産めず、けれど相互理解によって正式な妻として今もクゥデルローズ家を取り仕切っている彼女は、かつての僕にとっては自分の母を蔑ろにする最悪な女として映っていた。
だけどあの燃え盛るマリーローズで、僕らを導いて最後には一人残った、彼女の姿を覚えている。
そう、貴族にとって結婚とは、双方の繋がりをより強固にするものであり、そこに個人の感情などは関係しない。
母上だって最初からそれを理解した上で後妻となったのだろう。
だから別に、僕がどうという話ではないのだ。
しかも魔術の血統を護ろうとする貴族にとって、近親婚はむしろ歓迎すべき者だという考えもある。流石に、父母共に同じであるなら医学的な問題が出るだのという論説もあるのだが、そこは問題が無い。
あくまでたとえ話。
誰も勘違いはしていないな?
大丈夫だな?
いうぞ?
覚悟を決めて、まるで処刑台へ登っていくような想いで僕は告げた。
視線が泳ぎ、羞恥に顔が熱くなり、声が震えたことは否めなかったが。
「……………………僕が姉上と結婚します」
父上が何も言わずに杯を煽った。
落とした吐息の熱い事よ。
正妻が目を丸くして口元を隠す。
隠しきれない口端が震えている。
そりゃそうだ、七つそこらのガキが『お姉ちゃん好き好き結婚するぅ(曲解)』なんて言い出してるんだからな……! あらあら~、なんて思っちゃってるんだろうお前ら!!
そして。
「だそうだ。アリーシャ、そんな所で聞いていないで、こっちへ来なさい」
「っ!?!?!?!?!?!?」
なぜそこに!?
いつの間にか談話室の入り口に立っている姉上が居た。
完全な無表情。眠そうにも見えるけど、怒っているようにも見える。
え、何、どっち!? 分かんない、なんの顔それ!?
とてとて歩いてやってくる姉上が、正妻の用意した椅子に座る。
つまり僕の真横だ。
ええと。
これは。
「という話も出ているんだが、アリーシャはどう思うね?」
完全に呑みに入った父上が手酌で酒を注いでいる。
裏返しに於いてあった杯を返し、正妻にも注いだ。
二人して寄り添い、にやにやとした笑みを浮かべながらこちらを肴にしてきていた。
「だっ、だからあくまでたとえ話だと言ったじゃないですか!? あくまで! そのっ、僕を評価して下さるのであればっ、正妻筋ではない僕を取り込む上で有効な手段であると説明しました!」
「うんうん、そうだな。そうだ。その通りだ。なるほどなあ」
「あらあらあら。好かれているわね、アリーシャ」
だから違うんだってばあ!
あれだろお前らっ、僕が王子に姉を取られそうだからって、自分の方が有能だからと王子に張り合ってると思ってるんだろ!!
違うからな!
勘違いするなって言ったじゃないか!?
あぁもう無駄に顔が熱い!
酒っ、僕にも酒を寄越せ!
なんて机へ手を伸ばしていたら、隣で無表情を貫いていた姉上の顔が唐突に崩れた。
「でゅへへっ」
え、なにそれ気持ち悪い。
「うぇひひひっ」
だから気持ち悪いって。
「もぉぉぉぉぉぉぉぉぉおお、しょおおがないんだからァん」
腕を組み、脚を組み、組んだ腕を解いて髪を払って、また組む。
このしょーもない動作も含めて、僕は事態がより面倒くさい方向へ転がった事を知る。
「愛されるって幸福なことだとばっかり思っていたけど、こんなにも想われていたなんて、ちょっと困ってしまいますわ」
誰だよその口調。
「そっかぁぁ、姉様と結婚したいくらい大好きなんだぁぁ。うーん、どうしようかしらぁぁ、愛されすぎて困ってしまうわぁぁっ」
だから何なんだよその口調。せめて安定させろ。
「…………この女っ」
「うん? どうしたのお?」
本当に小さく呟いたから、姉上にも父上達にだって聞こえていないだろう。
だけど口に出さずには居られなかった。
なんなんだ。さっきまで国の未来を憂える雰囲気だっただろう!? なんで二人揃ってぐいぐい酒を煽ってるんだ!
挙句姉上の機嫌が天の果てまで舞い上がっている。
「ユレインは、私と結婚したいのよね?」
「いいえ」
がばりと立ち上がった。
こんな場所に長居なんてしていられない。
「僕は言った筈です。勘違いしないで下さい、と。どうしてちゃんと聞いてくれないんですかっ。そういう……姉上を好きだとか、そういうんじゃないんですからァ!」
父上の杯を奪い取り、一気に煽る。
寝酒には多いが構うもんか!
そうして顔の熱さを誤魔化して、談話室の出入り口に駆ける。だけど、後ろの連中の表情が気になって振り返って、歯ぎしりした。
「~~~~っ!! 勘違いしないでよ! 好きとかじゃないんだからァ!」
撤退! 撤退!
僕が逃げ出した後、談話室から一際大きな笑いが弾けて、尻に火が点いたみたいに駆けてベッドへ飛び込んだ。
布団を被り、大声で叫ぶ。
「違うんだからなぁああ!?」
※ ※ ※ ※ ※ ※
第一章、完。
ここまでお読み下さり、ありがとうございました。
当作品はカクヨムWeb小説コンテストへ応募しております。
該当コンテストには読者選考がありますので、もし楽しかった、面白かった、評価に値すると思っていただけたなら、☆やレビューなど、是非よろしくお願いします。
作者、あわきは昨年よりプロとしての活動を目指して本格的に執筆へ取り組んでいます。何処が良かった、どのキャラが好き、あるいはここはちょっと、みたいなご意見でも頂けると本当に心の底から嬉しく思います。
もし本作で可能性を感じていただける様でしたら、どうぞ応援よろしくお願いします。
悪役令嬢の弟ですが、このままでは道ヅレで破滅してしまうので姉を光堕ちさせようと思います。 あわき尊継 @awaki0802
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