最初のピース①

 後の事はもう、余談でしかないけれど。

 派手な魔術行使は捜索隊に察知され、程無くして僕らは救助された。

 クリオス卿が十分な距離、としていたのは、あくまで常識的な範囲での魔術行使だ。

 木々がなぎ倒され、森が割れる程の破壊があれば、流石に気付いて当然だった。


「ご苦労」


 治療は行った、休息も取った、抜け切らない疲労も空腹もあった。けれどどうにか屋敷へ戻って来た僕らへ向けて、王子は悪びれもせずにそう言い放った。


 涙ながらに出迎えて、今や僕とエミリーを両脇に抱えている姉上すら呆然と彼を見る。

 広間で待っていたのは意外だったが、こいつには心配ってものがないんだろうか。

 いやそれ以前に罪悪感だ。

 今回の事は戯れや癇癪の域を超えている。

 苛立ちを抱えながらもどうにか息を抜いて、心を整えようとした。


 冷静になれ。


 ここで王子と対立してどうなる。こいつはいずれこの国の王となる人間だ。しかも、既にあの頃の、王者としての片鱗を見せている。

 排除できるのならともかく、今回だって毒を受けつつ生き残った。

 上手く付き合っていかなくちゃならない……なにより、父上は現国王に忠誠を誓っている。

 再び対立させるなんてことにしたくはないんだ。


「それだけ……?」


 最初、その声の主が誰か分からなかった。

 紛れも無く僕のすぐ近くから発せられたものだっていうのに、だって貴女はずっと彼のことを。


「ふん。この俺自ら出迎えてやっただけでも感謝すべきだろう? 近くの渓谷を通って来れば一刻と待たずに戻って来れる位置でもあった。あぁそういえば、救援に走った者が無様にも負傷し、脚を引っ張ったんだったな」


 総毛立つ、という感覚を僕は初めて知った。

 こいつ、事もあろうにエミリーを非難しているのか?

 騎士も誰も、咄嗟には動けなかった中を誰よりも早く飛び出して、魔鳥の巣すら潜り抜けて僕を助けてくれた彼女を?


「ロッドクワンテ家も随分と手緩い指導をしているらしい。所詮は海軍に戦場を奪われた、お飾りの剣だったか」


 俯く少女に目を向けている暇は無かった。

 あぁ、よく分かった。

 そして分かっていなかった。

 こいつは駄目だ。

 こいつを王になんかしちゃいけない。


 そうだよ、今ここで確実に。


「っっ、ふざ――――「っけんじゃないわよお!!」


 烈火の如き髪を振り乱し、小さな姉上が飛び出ていく。

 大きく振りかぶった手で王子の頬を………………殴り飛ばした。


「ごめんなさいとかっ! すみませんでしたとかっ! もうやりません許して下さいとかも言えないのアンタは!!」


 怯んだ王子の胸倉を掴み、更に殴る。

 足がもつれ、倒れ伏してもまだ止まらず、馬乗りになって殴り付けた。


「アンタが毒を盛られて周りを不審がるのは分かるわよ! だけどねっ、自分が不安だからって嫌なこと押し付けてっ、それで我慢させるのが忠誠なんかになる筈がないでしょ!」

「っ、お前如きに何が分かる!」


 抵抗した王子が手を出そうとするが、それはあっさり掴み取られて逆の手で一発。その手を取られると、今度は全力で自分の頭を打ち付けた。

 あまりにも激しい動きで、後ろから見えていた僕には姉上の髪が燃え上がる炎にしか見えなかった。


「知らないわよそんなの! ユレインもエイムスも私の大事な弟でっ、友達なの! 知らないでしょアンタだって! 分かって欲しいなら話しなさいよ! お父様やお母様にそんな程度も教えて貰えなかったの!?」

「この……っ、いいかげんに!」

「うるっさい馬鹿! 私お前みたいなのが一番嫌いだ! 馬鹿っ、馬鹿! このっ、馬鹿ァ!!」


 事ここに至って呆けていた護衛騎士達も動き出した。

 暴れる姉上をどうにかして引き剥がし、鼻血を出して頬を腫らした王子に顔を引き攣らせる。


 あぁ……。


 やってしまった。

 王子を。

 あの高慢ちきで自尊心の高かった男が、この屈辱を許す筈がない。


「反逆者め……! こいつらをひっ捕らえろ! 王族への暴行など許されるものじゃない!」


 当然こうなる。

 分かっていて手を出そうとした。

 だけどこんな、こんなにも早く王子と対立する事になるなんて。


「さっさと動かんか! それともキサマら全員叛意ありと見做されたいか!」

「そのくらいでよろしいのではないですか、王子」


 激昂する王子へ向けて、穏やかで、けれど決して安穏とはしていない、厳しさを伴った響きでその場を縫い留める声があがった。

 本来この屋敷の支配者でありながら、王子を尊重して一歩引いた位置で動静を見守っていた人物。

 クゥデルローズ家現当主、ファイラス=レイ=クゥデルローズが、ゆっくりと歩み出してくる。


「お父様……」


 未だに暴れ続けようとしていた姉上も、父上の大きな手が頭を撫でると、淑女らしからぬ振舞いを恥じるみたいに口を引き結んだ。

 ただ、目はまだ王子を睨み付けていたけど。


「王の在り方を私は語るつもりはありません。それは、いずれ貴方が、貴方の父上から玉座を引き継いだ上で好きになさると良いでしょう。自らの支配が及ぶ限りに於いて、王は絶対だ」


 王は絶対。

 その言葉は僕を重く斬りつけた。

 姉上が先に動いてしまったけど、僕だって、今。


「ただ、今貴方自身が体感した事をよく考えるとよろしい。我が子ユレインが崖より落とされた時、エイムスは我が身も顧みず飛び出し、助けに向かった。負傷こそすれ、この歳でそこまで出来る者は中々に居ない。そして今、貴方を助ける者は居なかった」


 父上の言葉に王子はすぐ反論しようとした。

 けれど静かに己を見詰める姿に言葉が出ず、逃げる様に周囲を睨み付ける。当然、普段から王子の癇癪を受けてきた側周り連中は恐怖に俯くだけだ。

 風除けになっていたクリオス卿もここには居ない。


「ユレインが正しい、とは言いません。正も邪も、善も悪も、強弱すらも、その時々で大きく変化するものです。だからこそ我らは常に時勢を読もうと血道を挙げている」


 あぁ、確かにそうだ。

 高い魔力量を持つ貴族が、炉心革命で弱者へ落ちた様に。

 時代の先なんてものはいつだって暗中を行く様で、その先を見据える事すら僕は放棄してきた。

 生まれの幸運に守られ、誰かの血を踏んで、結局何も出来ずに首を落とされて。


「ですから、よくご覧になることです。多くを知り、多くに触れて、多くと言葉を交わしなさい。自らの王道を定めるには、貴方はまだまだ幼い」


 そこまで聞いて、僕はようやく、この王子の来訪が父上の画策であることに気付いた。


「……随分な物言いだな。七大貴族でも最も下に見られているクゥデルローズが」


「ははは。服従ばかりが忠誠ではありませんよ、王子」

「確かにこの家は俺へ反抗的な者ばかりだ」


 王子の視線が俺を掠め、未だ不機嫌そうにしている姉上へ向かう。

 今までは視界にすら入っていなかっただろう彼女を認め、けれど不快そうに鼻を鳴らした。


「いいだろう。此度の不遜は俺の胸の内へ仕舞っておく。だが勘違いするな、王者に手を挙げた者には相応の始末を付けさせる。殴って正解だった、などと思い上がらん様にな」


 部屋へ戻る、そう言って王子は誰も引き連れずに広間を出ていった。

 呆けていた側周り達が互いに目配せしつつ、恐る恐る付いて行く。

 可哀そうだけど、後の事は彼らでどうこうしてもらうしかない。


 ようやく、といった感じで僕が息を付くと、ちょうど父上がため息をつくのが重なった。

 互いに見合い、父上が豪快に笑ってみせるから、真似しようとして顔が引きつる。


「おっ、大丈夫かユレイン?」

「痛たたた……っ、できれば横になりたいです」

「分かった。無理をさせたな。おおい誰か、あいや、ほれ」


 言って、父上がひょいと僕を抱き上げる。

 まだまだ小さな僕の身体は簡単に大きな腕へ収まり、流石の気恥ずかしさに顔が熱くなる。


「あの……父上」

「ほぉ、思ってたより大きくなっていたか。昔はもっと小さくて、抱えるというより持ち上げる感じだったがなぁ」


 揺すられ、上下に振られ、また少し痛みが出る。

 どこが痛んでいるのかも分からないくらい、僕の身体はボロボロだった。

 だけど楽しそうだからと何も言わないでいると、横合いでずっと様子を伺っていた正妻が歩み寄って来た。


「アナタ、無理をさせないであげて下さい。早く部屋へ。そして、アリーシャ」

「…………はい」

「全てが悪かったとは言いません。ですが、改めて話をしましょう。お披露目の歳まで、貴女はもうすぐなんだから」


 それから家令を始め、家の者共へ次々と指示を飛ばし、ようやく屋敷の中が動き出した。

 父上は政務を始めとした都市のことを取り仕切るが、家のことは正妻が行っている。中央では有能な文官としても活躍していたらしい彼女は、どこか活き活きとした様子で声を張った。


「さあ、皆動いて。いつも通りに、完璧な仕事を為さい」


    ※   ※   ※


 一眠りして、二眠りして、薬を飲んで、沢山食べて、また眠って、派手に吐いた。

 子どもの身体というのは単純だ。

 寝て起きるとあっという間に回復している。

 それでも時間が掛かったのは、新式の魔術行使がかなりの負担になっていたからだ。


 僕が目覚めた時、外はすっかり暗くなっていて、屋敷の中は静まり返っていた。


 溜まった熱を逃がそうと椅子へ移り、カーテンを一部開ける。

 部屋の中は十分に暖められているから、毛布を重ねたベッドの中は熱かった。

 きっと、眠りっぱなしの僕を心配した誰かさんが、気合を入れ過ぎたせいだろう。

 窓ガラスの向こう、雪景色は少しだけ青を帯びている。月灯かりがこんなにもはっきりしているのは久しぶりなんじゃないだろうか。

 今日ばっかりは潮風も穏やかで、冬の静けさの中で微睡んでいる。


 染み込んでくる冷気と火鉢の熱、双方を感じながら夜空ばかり見上げていたら、どこかから姉上の声が聞こえてきた。


「ふふ」


 相変わらず快活な事で。

 廊下側ではないので、おそらく子ども部屋か、談話室だろう。


 すっかり夜中だと思い込んでいたので、騒ぐ声に部屋の中が明るくなった気がした。


 身体の調子は良い。

 魔術を使えばどうなるかは分からなかったけど、普通に歩く分には問題なさそうだ。

 思って椅子から降りて立ち上がった時、ふと傍らにある棚へ目が向いた。


 戻ってきてから一度として触ったことなかった棚。

 きっと、玩具なんかが放り込まれているだけで、何があるでもないだろう。

 けれど昔を懐かしむ様な気持ちで僕は取っ手に指を掛けた。

 子ども部屋へ向かうのなら、何か良いものがあれば持っていこう。

 きっとエミリーやカミーユだって一緒に居る。せめて価値あるものならいいんだけど。


 思って引き出しを開けた後、僕は呆然とそれを見詰めた。


「…………………………………………そっか」


 ここにあったんだ。


 父上に買って貰って、二人して組み上げた。

 その後僕が一人で完成させて、姉上へ渡したんだ。

 一度完成させた直後だったから、覚えている方法を当て嵌めていけばいい。だから僕は簡単にそれを組み上げて、なのにしばらく分からないふりを続けた。


 この頃の僕は母上から引き離された事に拗ねて、父上や正妻は勿論、姉上にだってどうにか嫌がらせをしてやろうとしていた。

 勿論、面と向かって何かをする度胸は無い。

 面従腹背。

 空っぽの賛美と賞賛でご機嫌を取りつつ、取り入りながらもいつだって馬鹿にする機会を伺っていたんだ。


 だからもその一つ。


 最初の部品ピースを抜き取ったまま、パズルを姉上へ渡した。

 絶対に汲み上がることの無いパズル、それを必死に完成させようとしている姉上を見ながら、僕はちっぽけな反抗心を満たしていた。


「本当に……僕は……」


 全ての取っ掛かり。

 これが無ければ、あのパズルは完成しない。

 見掛けでどうにか形を整えたって、土台が無いからすぐ崩れてしまう。


 あんなものにどれだけ意味があったのかは分からないけど、姉上は最後まで組み上げようと格闘していた。

 なのにそれを、僕が隠し持っていたなんてな。


 パズルのピースを掴み取り、部屋を出る。


 なんて言おう。

 なんて謝ろう。

 部屋に落ちていたんだ?

 違う。

 まず謝って、正直に話そうか。

 悔しかったんだ。

 僕は母上から引き剥がされて、毎日毎日不安なのに、姉上はいっつも思う侭に振舞って……そう思い込もうとしていた過去のままに。

 それで。

 ここから始めてみよう。

 許して貰えるかは分からない。

 明らかに敵意や害意があって僕はコレを隠した。

 それを姉上が認めてくれるかどうか。


「ううん。それでもいい」


 怒らせてしまって、また口を聞いてくれなくなったら、一生懸命謝って許してもらおう。

 生きているからこそ、機会は作っていけるんだから。


 冬の寒さが沁み込む廊下を足早に抜けていく。

 あぁ、せめて上着を羽織って来れば良かったかな。


 思って、駆け出そうとした所で声が掛かった。


「おぉい、ユレイン。もう大丈夫なのか?」


 父上だ。

 談話室で正妻と二人、晩酌をしている。


「ほら、こっちへ来なさい。甘い菓子もあるぞ」

「いえ……すみませんが僕は」


「実は今アメリアと、アリーシャの婚約相手にベリアルド王子はどうかと話し合っていたんだ。お前にも関わる話だから、話しておこうと思ってなあ」


 思わぬ内容に脚を止め、僕は顔が引き攣るのをどうにか堪えつつ、談話室へと入っていった。





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