幼虫

高居塔

第1話

 ある年の四月二十二日。その日は異常気象により、日中の気温が三十五度を記録し、夜は嫌がらせの様な熱帯夜ねったいやとなった。

 人々は不本意ながら冷房を付け、望んでもいない異常気象に辟易へきえきしていた。


 街の中心街の外れにある木造アパート六号室に住む男、ディーンは貧困のため、冷房は付けずに窓を開けることにより暑さをしのいでいた。


 熱気は常に体中にまとわり付き、吹き出る汗はベッドをぐっしょりと濡らしている。

 ディーンは止まらない汗や熱気に苛立いらだちを覚えていると、右のすね辺りに何かがい回るような感覚を覚えた。

 最初は流れる汗かと思っていたが、あまりの生々なまなましい感触に悪寒おかんがし、勢いよく上体じょうたいを起こした。


 そこにはなんと五センチメートル程の気味の悪い幼虫が這っていたのだ。緑の体に、頭から尻までを二本の赤い線が背中に引かれており、その周りを黒や黄色の斑点はんてんがぽつぽつとまばらに散りばめられている。おまけに虫のくせに鼻息の様な音を発し、二本の黒くて長い触覚をちょろちょろと動かしていた。人を不快にさせるためだけの様な配色はいしょく形状けいじょう悪意あくいすら感じさせる。

 

 ディーンは手で触れたくないので、一心不乱いっしんふらんに右足を前後左右にじたばたさせた。

 だが吸盤きゅうばんがしっかりと脛に吸着きゅうちゃくしており、脚の一部になってしまったかの様に幼虫はまったく離れる様子がない。


 幼虫を振り解くのに必死になっていると、突然針で刺された様な痛みが脛を襲った。

 ディーンはたまらずに、手で幼虫を振り払った。幼虫は無事に右脚から離れてくれたが、脛の辺りには二本のあごかじられたのであろうあとが残っており、少し血が出ている。


 血と汗を洗い流すため、ディーンは浴室よくしつへ向かった。

 シャワーから出るぬるくした湯を浴びながら、今年一最悪な夜だと形容する様に、悲哀ひあいに満ちた表情を浮かべた。


 シャワーで汗を流し、血がある程度止まったことを確認すると、浴室を出てあのにくき虫ケラを殺そうとまずは部屋の電気を付けた。

 しかし、部屋はお世辞せじにも広いとは言えないせまさで、多少は散らかっていると言えど幼虫の姿が全く見当たらないのである。

 ディーンはあの気色の悪い虫と一夜を過ごすのは耐え難いので、部屋の隅々すみずみまで探し回った。それでもやはり見つからない。ディーンは眠気と疲労により、汗に濡れたベッドに倒れ込み、そのまま眠ってしまった。


 翌朝、気温は十三度。異常気象は去ったかと思われる。


 ディーンは目を開け、欠伸あくびをしながら両目をこすった。それから、朝飯を食べようとキッチンへ向かおうとすると、あの不快な鼻息が聞こえた。


 恐る恐る上を見ると、あの最悪な見た目の幼虫が天井に張り付いていたのだ。

 ディーンは慌てて奴をはたき落とそうと、棒状の物を探した。しかし、今も聞こえる鼻息を聞いていると、あんな虫が他にいるだろうかと思った。


 ディーンの中で恐怖が好奇心に変わりつつある。


 再度天井の虫を眺め、あの気色悪い触覚も何か珍しい物に見えてくる。ディーンは叩き落とすための棒ではなく、木製のバスケットを両手に持ち、ベッドの上に立った。

 そのまま、バスケットを天井に何度か打ち付け、幼虫を中に落とそうとした。さいわい、この部屋はアパートの最上階で、住人に迷惑をかけずに捕獲ほかくを成功させた。

 

 バスケットの中の幼虫を見ると、相変わらず鼻息を発している。二本の無駄に長い触覚もやはり珍しく見える。ディーンは、この幼虫が成長するとどの様な姿になるのだろうか。もしかすると、ヒッコリー・ホーンド・デビルのごとく、成虫は美しい個体になるのではないか。はたまた、新種の個体なのではないか。そう思い始めるともう止まらなかった。ディーンは幼虫を眺めながらこう言った。


そだてよう。」


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幼虫 高居塔 @takaitower

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