第8話 跳べ!

 先生はバックミラーでわたしの顔をちらりと確認すると、説明してくれた。


「カセットって表裏があるんだ。で、シングルって、だいたい売れ筋のタイトル曲を表のA面に入れて、裏のB面は売れ筋から外れる曲が入ってることが多い」


「つまり、B面っておまけってことですか」


 今流れているB面の曲は、さっきのしっとりした曲に反してアップテンポな曲だった。


「そうとも言い切れないんだよ。売れ線ねらった曲って、アーティストからしたら自分のこだわりが入れられないんだって。その点、B面は好きに作れる。だから、A面よりヒットする場合もあったんだって。おもしろいよね」


 おまけのB面は、アーティストの熱量がギターに乗り移ったようにジャカジャカとうるさい。不思議と、わたしの視界はさっきよりもクリアになっていった。


「二曲しか入ってないってことはそのカセット終わったら、次のカセットに取り換えるんですよね。めんどくさくないですか?」


 サブスクの訊き放題に慣れている身としては、いちいちテープを入れ替えるなんて信じられない。


「あはは、そうだね。めんどくさくても手間暇かけたら、物にも曲にも愛着出るよ」


 先生は、ハンドルをにぎり豪快に笑う。ゆるキャラみたいな先生は、この古くて快適とはいえない車をすごく大事にしてるというのが伝わってくる。


「めんどくさいことに、意味があるってことですね」


 わたしのめんどくささは、どうなんだろ。わたしのめんどくささにも、意味があるんだろうか。


「先生がさっき言ってた吉峰くんが男の子の理由、なんとなくわかりました」


 先生は、「えっ、聞きたい」と興味を示す。

 晶くんのことが好きと自覚して、初めてわかったこと。


「女の子が主人公だと、生々しいんですよ」


「ちょっと、よくわかんないんだけど。どういうこと?」


「漫画の中でエッチしてるのが、自分と同じ性別の子だとなんか読んでて居心地悪くなる。なんでかわかんないけど、男の子の方がこわがらずに自由になんでもできる気がするんです」


 忍ちゃんを男の子にすることで、女の子だと非難されるようなことでも、吉峰くんに感情移入して何でもできた。


「うーん、わかったような、わからないような」


「つまり安全圏に身を置いて、男の子同士のいちゃいちゃをのぞき見してるだけってことです」


 先生は、前を向いたままこてんと首を横に倒す。


「女の子って、複雑でめんどくさいね。僕には、理解不能だよ」


「先生さっきめんどくさいから、愛着わくって言ってたくせに」


「あっ、そうだ。最初から思考停止したらダメだね。ごめん、ごめん」


 生徒に偉ぶりもせず謝る先生に、訊いてみたくなった。


「先生ってお仕事、楽しいですか?」


「原田さんの志望は、教育学部だったね」


 わたしの消極的な志望を、先生は覚えていてくれた。


「うーん、残業多いし、授業以外の業務は多いし、ブラックはブラックだよ」


 正直すぎる答えが、返ってきた。やっぱり、わたしに先生なんて無理なんだ。


「でもね、楽しいよ。生徒から教えてもらうことも、いっぱいあるし。コスパは悪いけど、やりがいはすごくある」


 珍しく先生は、強気な口調で断言した。


「わたし、とろいんです。さっきも恋心自覚したとたん、失恋したし。将来のはっきりしたビジョンも見えないし」


 本当に、親のいう通り教師でいいのか……。そもそも、教師になれるのか。すべてがあいまいで、わたしの未来にはもやがかかり、足元しか見えない。


「あのさ。山登りする時って、頂上見ないで登るよね。足元見ながら、一歩一歩確実に歩いていく。人生も、同じじゃないかな。今できることをする。それだけで、いいんだよ」


 先生の声音は、押しつけがましくなくどこまでものんびり落ち着いていて、優しい。人生何周すれば、そんなことが言えるようになるんだろう。


「わたしが今できるっていうか、したいことは家に帰って漫画読んで、泣きたいです」


「あはっ、いいね。僕も早く帰って、原田さんの漫画読みたいよ」


「いやいや、わたしのよりもっとおもしろいの、読んでくださいよ」


「じゃあさ、どんなの好き? 僕ね、健気受け」


 さっきのいい話がぶち壊しになりそうな性癖を、先生は自ら暴露する。教え子にそれはまずいんじゃないだろうかと、一瞬頭をよぎるが無視する。


 同志は自分の内なる欲望をぶちまけて、連帯すべし。


「王道ですね。わたし反対で、健気攻めが好きなんです」


「うわっ、攻めかあ。そっちは読んだことないなあ。じゃあさ、今度原田さんおすすめの健気攻め貸してよ。かわいい攻めがいいなあ」


「いいですよ。今度お貸しします」


「やった、ありがとう!」


 先生は同志の出現により、あきらかにウキウキと楽しそうだった。それを見ていて、わたしもうれしい。


 わたしはわたしがめんどくさい。それでも、機嫌の取り方は知っている。失恋しても人生に迷っても、大好きな漫画を読んだらちょっとは元気が出る。


 わたしにはA面の王道よりも、B面のおまけの曲がお似合いだ。でも、それも悪くない。


「あのさ、原田さん。今度、オリジナルのキャラつくってみたら? 原田さんの萌えをおもいっきりつぎ込んだキャラは、唯一無二でぜったいいいと思うよ」


 ポケットの中から、昨日拾った鉛筆を取り出した。手のひらの中にある芯の丸まった鉛筆は、もうわたしに何も訴えかけてこなかった。


「そうですね……」


 忍ちゃん、今頃何してる? わたしは、忍ちゃんにはなれなかったよ。でも、いいんだ。今ちょっとだけ、解き放たれたような清々しい気分だ。


 窓の外の二月の空は重苦しい鉛色だけど、車中には『跳べ!』と何度も繰り返されるB面の曲が流れ、明るい空気に包まれていた。

               


              了

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サヨナラ、二月のララバイ 澄田こころ(伊勢村朱音) @tyumei

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