滋賀――悠久の歴史に隠された品格

滋賀県といえば律令制時代の国家、近江の国と合致する。
古事記にも「近淡海(ちかつあはうみ)」の名で登場する由緒正しき土地である。

近淡海とは淡水の湖、いわずとしれた琵琶湖を指すが、万葉集を見ても、まだその名称は記されていない。
では一体、琵琶湖はいつ琵琶湖となったのか。
しかも飛行機のない時代、なぜ人々はこの巨大な淡水湖を「琵琶」の形と評したのか。

ときは江戸時代、元禄年間。
「淡海録」という当時の地方紙のようなものに「琵琶湖」の名は登場する。しかしそれよりもずっとまえから愛称としては呼ばれていたそうな。

では一体だれがそう呼び始めたのか。
その疑問にヒントを出してくれるのが、琵琶湖の南西側に座している山だ。
山の名は「比叡山」。標高848メートルという立派な名峰である。
この高みから望む「近淡海」は、かの七福神のひと柱である音楽の神は弁財天が持つ、その琵琶に似た形をもって「琵琶湖」と呼びならわしたという。

そして「比叡山」はどこにあるか。
そう京都なのである。
京都人は悠久の昔から、滋賀を「見下して」いるのである。

一方、滋賀に天下の名城「安土城」を建てたのは誰であったか。
言うまでもなく天下布武でおなじみの、第六天魔王、織田上総介信長である。

さらに言うのであれば、信長に焼かれた延暦寺はどこにあったか。
「比叡山」である。


この物語は現在では不遇の県とされる滋賀をめぐる数奇な運命の記録である。
滋賀とは一体なんだったのか。
しかとその目に焼き付けていただきたい――。