第44話 プレイス・オブ・ビロンギング②

(1)


 寒さが一段と厳しくなったかと思えば、あっという間に年末に近づき、日没の時間がほんの少しずつ短くなっていく。年が明け、日々の生活を慌ただしく過ごしていく内に、いつの間にか桜の開花時期を迎えていた。


 寒の戻りでまだまだ肌寒い日もあるが、抹茶色の作務衣に羽織るカーディガンを厚手から薄手に変えてもいいかもしれない。冬の間に伸び、近頃は一つに括っている髪もそろそろ切りに行きたい。そんなことを思いながら、晶羽は今日も柳緑庵の店頭に立つ。


「お会計二八五〇円になります」


 常連客の老婦人が小銭を探す間に、柳緑庵オリジナル、季節限定練り切りセットを紙袋へ入れる。


「ごめんねぇ、小銭が足りなくて」

「いいえー、だいじょうぶですよー」


 笑顔で老婦人から三千円を受け取る。慣れた手つきでレジを操作し、お釣りの一五〇円を手渡す。


「ありがとうございました!またのご来店お待ちしてますっ」

「今度は桜餅と三色団子買いに来るからね」

「ぜひぜひっ!よろしくお願いしますっ」


 がらがらという音と共に退店していく老婦人を見送っていると、入れ替わりで新しい客が、しかも一人ではなく数人のグループで店に入ってきた。学生風の若い男女数人のグループ構成に嫌な予感が過ぎるも、「いらっしゃいませー」と、平常通りの笑顔で呼びかける。


 若者たちは、ショーケースの商品にはまったく目もくれなかった。店内を彩るように飾りつけられた、クラフトペーパーの桜や梅、ウグイスなどを見回したのち、晶羽へ不躾な視線を送ってくる。


 うーん、か。

 一応は仕事中。辟易しきっていることなど顔には出さないけれど。


「なにかお探しですか?」

「てゆーか、おねーさんの声、キラに似てるっすよね~?!Rainbow Plastic Planetsの元ボーカルの!」


 やっぱり。

 貼りつけた笑みは崩さず、内心でため息をつく。

 どこで嗅ぎつけてきたのか謎だが、昨年秋のコンテスト出場して以来、キラ=晶羽と疑って興味本位で柳緑庵に来店する客がたまに現れるのだ。


 コンテスト予選時に流出した動画か、コンテストの時に見せたパフォーマンスか。

 はたまた珠璃とのYou Tubeチャンネルでのライブ動画視聴数が上がっている影響なのか。何にせよ、店長や美紀子に迷惑かけないようにしなければ。


「そうですかー?たしかによく言われるんですけど、自分では全然ピンとこないんですけどねー」


 以前なら、焦って挙動不審に陥っただろう。でも、今の晶羽は笑顔で平然とはぐらかす。慣れって怖い。


「いやいや、めっちゃ似てるって!なー?」

「そうそう、絶対似てるって!オレら、昔キラのファンだったんでー、キラの声を聞き間違えるとかありえないんでー」

「おねーさん、背も高いしね!」

「えー、たまたまですよー」


 買う気がないなら帰ってくれないかな。遠回しにやんわり伝えようとして、別のことに注意が向く。

 若者グループのひとりがさりげなく携帯端末を晶羽へ向け、シャッターを切ろうとしている。


「すみません、店内は撮影禁止なんです」


 にこやかに、毅然と忠告すれば、渋々と端末を下ろしてくれて安堵する。

 しかし、それでも彼らはまだ店から立ち去らない。しつこいな……。


纐纈こうけつさん、休憩入っていいですよ」


 休憩ならつい一時間前に入った。珍しく厨房から店頭へ顔を出した店長に戸惑いの視線を向ける。


「何かお探しですか?」

「い、いえ……!」


 若者たちは、突然ぬっと現れた海外バスケットボール選手並みの高身長、蛍光ピンクの七分刈りの強面男性に委縮し、すごすご退散していく。


「休憩……は、嘘、ですよね?」

「すみません。うまい口実が浮かばなくて」

「いえっ、いいええっ……!ありがとうございます。私こそお店に迷惑掛けてすみません……」

「纐纈さんが謝ることじゃないです。あれは立派な営業妨害なので。……厨房戻ります」


 言うが早いか、店長は晶羽に背を向け、店の奥の扉へ下がっていき──、下がる途中でくるっと振り返る。


「さっきの人たちが本当にキラのファンだったとしても。引退したキラの生活を詮索するより、黙って見守ることこそ真のファンがすべきことだと思います」

「はあ……」


 ぎくりとしながら曖昧に返した晶羽の返事に答えることなく、再び店長は厨房の奥へと姿を消していく。

 その広い背中に向かって、晶羽はもう一度小さく礼を述べたのだった。







(2)


 壁時計が夕方五時を示す。柳緑庵の閉店時間だ。

 今日は美紀子が休みの為、晶羽一人でレジの精算処理、店の掃除などの後片付けを行い、最後に厨房に籠る店長へ報告。すぐにタイムカードを押し、着替えを急いで済ませる。この後、Chameleon Gemsでのオープンマイクイベントに参加するからだ。


 地下鉄へ向かい、晶羽の自宅アパートとは逆方向の電車に乗る。

 部活帰りらしき学校指定ジャージを着た中高生たち、真新しいスーツ姿の新社会人が散見される車内。ワイヤレスイヤホン越しに今日演奏予定のカバー曲を繰り返し聴きながら、四駅目で降りる。

 薄暮から夜の帳が下り始めた空。高架下に沿って軒を並べた居酒屋や食堂から喧騒が漏れ聞こえてくる。


 高架下を歩くこと、約一〇分。オレンジ色の三角屋根の古い三階建てビルに到着。地下へ続く螺旋階段を一階分下り、Chameleon Gemsの扉を開ける。

 オープンマイクイベントはすでに始まっていて、男性二人組のアコースティックギターデュオがステージで歌っていた。


「晶羽ちゃんおつー。こっちこっち」


 ステージから見て左方、凹型カウンターの左端から小声で珠璃が晶羽を呼ぶ。珠璃の隣には中村みさ希が並んでいた。


 あの後──、コンテストでの晶羽と珠璃のパフォーマンスに勇気を得た中村みさ希は、佐藤美咲たちと距離を置くようになったとか。露骨な無視や陰口はあったものの、それ以上の嫌がらせをされることもなく(彼女佐藤美咲たちたちも、内部入学とはいえ内申を気にしたのだろう)、少しずつ珠璃ともわだかまりも解いていったのだ。そして無事に志望大学にも合格、この春から大学生になる。


「みさ希ちゃん、おつかれー」

「おつかれさま、ですっ」


 みさ希にも一声かけてから、珠璃を間に挟む形で晶羽もカウンター席に座る。


「あれ、珠璃ちゃん。またインナーカラー入れた?色も前と変えた?」

「おっ、気づいてくれた?入試もとっくに終わったし、いい加減色入れてもいいだろって」


 機嫌よさげに珠璃がかき上げた髪のインナーカラーは、鮮やかな青から紫へ変わっていた。

 珠璃もまた、古着屋のバイトは続けつつ、春から通信制高校へ入学する。入学前の面接のためにしばらく髪を黒一色に染めていたのだった。


「お、晶羽ちゃん来たねぇ」

「おはようございます、みやびさん」

「ドリンク何にする?」

「野菜暮らしでお願いします」

「最近野菜暮らしお気に入りだよね」

「お気に入りというか……」


 母との一件以来、実家からの金銭援助も野菜の仕送りも途絶えた。

 金銭的には柳緑庵での仕事の他、時々、珠璃のバイト先である古着屋のオンライン通販モデル(当然顔出しナシ)を頼まれるので、贅沢しなければ暮らしていける。

 だが、『贅沢』の中には『野菜を値段気にせず買う』も含まれている。以前と比べたら、確実に野菜不足気味なので、Chameleon Gemsでは野菜ジュースを飲むようにしている。


「つか、野菜ジュース置いてるライブハウスってあんまりなくね?」

「これが意外と売れんだよ」

「あっそ。晶羽ちゃん、演奏順だけどあみだくじで決まってるから。にしても、日向音おっせーな。あたしらの出番、次の次の次なのに」


 むすっとした顔で珠璃はステージの方へ身体を向け、黙って演奏に聴き入る。

 演奏中のおしゃべりは失礼だし、演奏自体もちゃんと聴きたい。晶羽も黙って演奏に聴き入る。


 日向音はバンド脱退だけでなく大学も退学したあと、専門学校の学費を稼ぐため、年明けからアルバイトに日々明け暮れている。おそらく三人の中で最も多忙なのは彼だ。にも拘らず、晶羽と珠璃のユニットにサポートで時々ベースを弾いてくれている。今日も、バイトが間に合いそうだから、と一緒にオープンマイクライブに出てくれると言っていたのだが。


「あいつ、マジ遅ぇっ!忘れてないだろな?!」


 晶羽たちの出番一つ前の演奏者が、ステージで準備し始め、たまらず珠璃が吠える。

 今にも椅子を蹴倒し、暴れ出しそうな珠璃を、お、落ち着いて……、と、晶羽とみさ希の二人掛かりで宥めていると、後方で入り口扉が勢いよく開いた。開いた扉から、ベースを背中にかつぎ、息せききって日向音が駆け込んでくる。


「おっせーよ」

「ヒーロー、は、遅れて、やってくるん、じゃん?」


 ぜぇぜぇ、はぁはぁ、息を切らしながら、親指立てていい笑顔を見せる日向音に、「はあ?誰がヒーロー?」と珠璃は鼻白む。あいっかわらずだなー、と呆れる雅から二杯目のドリンク受け取る晶羽も、思わず苦笑いする。


「ちゃんと練習してきたよなーあー?」

「とーぜん」


 晶羽の近くの壁際に寄りかかり、日向音はソフトケースからベースを取り出す。

 オープンマイクで演奏するのは二曲。今日はみさ希が遊びに来ると聞いていたので、彼女が好きな曲をやろうと事前に三人で決めていた。

 一曲目は、ハンナと氷の女王というかなり前に大ヒットした海外アニメ映画の日本語版のカバー、もう一曲は──、みさ希が変わるきっかけとなった、あの曲。



「前の子たちもう終わるよ。準備始めた方がいいんじゃない」


 煙草を咥えたまま、雅が晶羽たちにわざわざ呼びかけると、程なくしてステージから「ありがとうございましたー」という声と拍手の音が。


「んじゃ、チューニング終わったら行きますかっ」


 珠璃と日向音がそれぞれ愛機を手に、晶羽の様子を窺う。

 二人の呼びかけと笑顔に、晶羽は明るく応える。


「うん、行こう行こう!みんなで楽しもうね!」





(了)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Starting Over Again 濡れ衣炎上女子の再起 青月クロエ @seigetsu_chloe

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ